国内企業の8割に残るレガシー:技術的負債の解消とAI実装
IDC Japan株式会社は2026年2月10日、「国内ITモダナイゼーションサービス市場の予測」を発表しました。同社の推計によると、2025年の市場規模は1兆3,044億円に達し、前年比10.1%の成長を記録しています。さらに2030年に向けて年間平均成長率(CAGR)10.2%で推移し、市場規模は2兆1,234億円まで拡大すると予測されています。
この数値の背景には、デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展やAI活用の前提となるデータ基盤の整備といった攻めの要因と、メインフレームや既存パッケージのサポート終了(EOL)、保守人材の枯渇といった守りの要因が複雑に交錯しています。大・中堅企業の約8割がいまだレガシーシステムを保有するという実態は、日本企業が抱える構造的な課題を浮き彫りにしています。
今回は、市場拡大の構造的要因、リホストからリビルドへの質的転換や人材供給制約の影響、そして、今後の展望について取り上げたいと思います。

成長軌道に乗るモダナイゼーション市場の構造分析
国内ITモダナイゼーション市場が2030年にかけて堅調な拡大を続けるという予測は、日本企業のIT投資が不可逆的な局面に入ったことを示唆しています。2025年時点での1兆3,044億円という市場規模は、多くの企業が既存システムの延命措置やクラウドへの単純移行(リホスト)に一定の資金を投じてきた結果といえます。グラフが示す通り、2025年から2030年にかけて「リホスト」の構成比が徐々に縮小傾向にある一方で、「リライト」および「リビルド」の領域が着実に伸長している点は重要となります。
これは、ハードウェアの老朽化対策やデータセンター閉鎖への対応といった物理的な制約から脱却し、アプリケーションそのものの構造改革へ投資の重心が移動していることを意味します。これまで多くの企業が選択してきた、既存の業務ロジックを変更せずに基盤だけを刷新する手法では、俊敏性や拡張性といったクラウド本来の恩恵を享受しきれないという課題が顕在化してきました。その反省に基づき、業務プロセスやデータモデルの再定義を含む抜本的な刷新へと舵を切る企業が増加していると考えられます。

出典:IDC Japan 2026.2
「2025年の崖」以降も解消されないレガシー資産の実態
IDCの調査で明らかになった「大・中堅企業の約8割がレガシーシステムを保有している」というデータは、日本企業のDXがいまだ道半ばであることを示しています。2025年を過ぎてもなお、基幹システムをはじめとする多くの領域で旧来型の技術が稼働し続けている状況です。これは、過去数年間に行われてきたDX推進が、周辺システムや新規事業領域に留まり、企業活動の根幹を支える「Core IT」の領域まで浸透しきれていない現状を映し出しています。
レガシーシステムが残存する理由は、技術的な難易度だけではありません。長年にわたり改修が重ねられた複雑なソースコードの仕様を把握している人材が退職し、ブラックボックス化が進んでいることが大きな障壁となっています。リスクを回避したい経営判断が、結果として抜本的な刷新を先送りにしてきた側面も否定できません。この膠着状態を打破するために、外部ベンダーの知見やツールを活用したモダナイゼーションサービスへの需要が高まるのは必然的な流れといえます。
労働供給制約とAI実装が迫る「待ったなし」の刷新
市場成長を後押しする要因として、マクロ環境の変化も見逃せません。少子高齢化に伴う労働人口の減少は、IT業界において「レガシーシステムを保守できる技術者の枯渇」という形で深刻な影響を及ぼし始めています。COBOLなどの旧来言語やメインフレームの運用スキルを持つベテラン層の引退が進む中、若手エンジニアの関心はモダンな技術領域に向かっています。維持管理が物理的に困難になる前にシステムを刷新しなければならないという、事業継続計画(BCP)の観点からの圧力が強まっている状況です。
また、生成AIをはじめとするAI技術の企業利用が加速していることも、モダナイゼーションを加速させる要因となります。AIによるデータ分析や業務効率化の効果を最大化するためには、システムごとにサイロ化されたデータを統合し、APIなどを通じて柔軟に連携できる環境が求められます。レガシーシステムの存在がAI導入のボトルネックとなるケースが増えており、将来的なAIユースケースの拡大を見据えたインフラ整備という観点からも、刷新への投資判断が正当化されやすくなっています。
投資対効果の可視化とベンダーの役割の変化
モダナイゼーションプロジェクトにおいて最大の課題となるのが、投資対効果(ROI)の測定です。新規サービスの立ち上げとは異なり、既存システムの刷新は「何も起きないこと(安定稼働)」が成果とみなされやすく、売上増などの直接的なビジネス貢献が見えにくい傾向にあります。そのため、経営層からの予算承認を得るハードルが高く、プロジェクトが頓挫する要因となってきました。
こうした中で、ITサービスベンダーには、単なる技術的な移行作業の提供だけでなく、モダナイゼーションがもたらすビジネス価値を定量的に示す能力が求められています。IDCのアナリストが指摘するように、産業分野ごとの課題に合わせた支援シナリオの提示や、保守コスト削減分を原資とした新規投資への振り向けなど、経営視点でのロードマップ策定支援が重要となります。ベンダーの役割は、システム構築の請負から、顧客のビジネス変革を伴走するパートナーへと変化しており、その対応力が市場での優劣を決定づけることでしょう。
リビルド領域へのシフトが示唆する産業構造への影響
2030年に向けて「リビルド」の市場構成比が拡大するという予測は、IT産業全体の構造変化を示唆しています。業務プロセスやデータモデルを再定義し、新たなアーキテクチャで再構築するリビルドは、従来の人月単価に基づく受託開発モデルとは異なるアプローチを必要とします。アジャイル開発やマイクロサービス化が標準となる中で、ユーザー企業とベンダーの関係性も、仕様書に基づく納品責任から、成果を共有する共創関係へと進化する必要があります。
また、この変化はユーザー企業内部の組織構造にも影響を与えます。システム刷新をIT部門だけの課題として捉えるのではなく、業務部門を巻き込んだ全社的なプロジェクトとして推進する体制が不可欠となります。リビルドの過程で業務の標準化やスリム化が断行されれば、日本企業の生産性向上に寄与する可能性が高まります。市場の拡大は、単なるIT支出の増加ではなく、日本企業の経営体質がデジタル時代に適応したものへと進化するプロセスそのものを表していると考えられます。
今後の展望:無形資産としてのIT投資へ
2030年に向けて2兆円を超える規模へ拡大するITモダナイゼーション市場は、日本企業が「技術的負債」を清算し、次なる成長フェーズへ移行するための重要な足場となります。今後は技術的な側面だけでなく、会計や法務といった制度面の再設計も議論の俎上に載るでしょう。例えば、リファクタリングやコードの最適化といった、機能追加を伴わない質の向上に対する投資をどのように資産計上し評価するかといった会計基準の解釈や、アジャイル開発に適した契約形態の普及などが想定されます。
経営層には、モダナイゼーションを単なる老朽化対策コストとして処理するのではなく、将来の競争力を生み出すための「無形資産への戦略投資」として捉え直す視点が求められています。レガシーからの脱却は、AIやデータ活用を前提としたデジタルネイティブな経営基盤を獲得するための通過点に過ぎません。この移行期を乗り越え、柔軟で強靭なIT基盤を手にした企業こそが、2030年代の市場環境において持続的な成長を実現できるのかもしれません。
