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SaaSの「死」が描く構造変化――AIエージェント時代の業務ソフトの再定義

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Microsoft CEOのSatya Nadella氏は2024年12月、AIエージェントの時代には「ビジネスアプリケーションのSaaSというカテゴリーは事実上崩壊する」と発言しました。発言から約1年半が経過し、業務ソフト市場では予測と実態の差異が徐々に明らかになってきています。

Gartnerは2025年8月、2026年末までにエンタープライズアプリケーションの40%が特定タスク向けAIエージェントを搭載すると予測し、2025年時点の5%未満から急拡大する見通しを示しました。一方でBain & Companyは2026年5月、SaaSの「死」ではなく、業務システム間の人手の調整作業を自動化する1,000億ドル(約15兆円)規模の新市場が立ち上がりつつあるとの見方を示しています。両者が描く2026年の景色は、必ずしも同じ方向を向いていない構図です。

今回は、Nadella発言の真意、Gartner・IDC・Bainの市場予測の差異、Klarna事件が示した移行の現実、SaaS主要各社の防衛戦略、そして、今後の展望について取り上げたいと思います。

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Nadella発言の真意――「死」ではなく相互作用層の移動

Nadella氏の発言で強調されていたのは、SaaSというビジネスモデルそのものの消滅ではなく、業務ソフトの「相互作用層」の移動という構図でした。同氏は「業務アプリケーションの大半は、CRUDデータベースとビジネスロジックの集合体である」と整理し、AIエージェントの時代にはそのロジック層がAI側に移ると指摘しています。

発言の文脈を踏まえれば、SaaSベンダーが提供してきた「画面」「操作」「ワークフロー」がAIエージェントの自然言語インターフェースに吸収されていく、という方向性が見えてきます。Gartnerは2025年10月のStrategic Predictions 2026の中で、2028年までにユーザー体験の3分の1がネイティブアプリケーションからエージェント型フロントエンドに移行すると予測しました。

ただし、データベース層、業務ロジック層、規制対応層といったバックエンドの構造そのものが消滅するわけではない、と整理するのが妥当でしょう。SaaSの「死」という言葉が一人歩きする一方で、業界内の議論は徐々に「死」から「再定義」へと重心を移しつつあります。

Gartner、IDC、Bainが描く3つの市場像

主要調査機関3社の予測を並べると、SaaS市場の見立てに微妙な差異が浮かび上がってきます。Gartnerは「2027年までに生成AIとAIエージェントが、過去30年で初めて主要生産性ツールに本格的な競合圧力をもたらし、580億ドル(約8.7兆円)規模の市場再編を引き起こす」と予測しています。最も野心的なシナリオでは、エンタープライズアプリケーション収益の30%が2035年までにAIエージェント発のものとなり、その規模は約4,500億ドル(約67.5兆円)に達するとされています。

IDCは異なる切り口から、ライセンス課金モデルの再構築を主軸に予測を立てています。「2028年までに、純粋なシート単価方式は時代遅れとなり、ソフトウェアベンダーの70%が消費量・成果・組織能力など新たな価値指標へと価格戦略を組み替える」との見通しを示しました。

一方でBain & Companyの2026年5月の調査は、まったく別の構図を提示しています。SaaSの次の1,000億ドル市場は、SaaSを置き換える側ではなく、SaaSとSaaSの間の人手の調整作業を自動化する側にあるというものです。現時点で40〜60億ドルが捕捉済みであり、未捕捉領域は90%を超えるとされ、AIネイティブのGleanは年間経常収益(ARR)2億ドル、Sierraは1.5億ドル、Cursorは20億ドルに達したとの個別事例も示されています。

3者の見立てを並べると、SaaSの「死」というよりも、価格モデル、ユーザー体験、商品提供範囲という3つの層で同時並行的に再構築が進んでいる構図が見えてきます。

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Klarna事件が示した移行の現実――理論と実装の距離

2024年9月、スウェーデンの後払い決済企業Klarnaは「SalesforceとWorkdayを停止し、自社開発の生成AIシステムに置き換える」と公表し、SaaSの死論を象徴する事例として注目を集めました。CEOのSebastian Siemiatkowski氏の宣言は、業務SaaS各社に対する強い圧力として受け取られた経緯があります。

しかし、その後の経過は当初の予測を大きく裏切るものでした。Siemiatkowski氏は2025年に、自社がSaaSを大規模言語モデルで置き換えたわけではない、と公の場で訂正しています。実態として、KlarnaはSalesforce CRMを別のSaaS(Deelなど)に切り替え、グラフデータベースのNeo4jを使ってデータを統合するという形を採っていました。

Siemiatkowski氏は事後インタビューで「Salesforceとの一件は痛々しいほど誤解された。大半の企業がAI中心のソフトを自社開発するという未来は来ない。むしろ、SaaSは集約され、寡占化したベンダーが我々と同じ機能を他社にも提供するようになるだろう」と述べています。この訂正発言は、AIエージェント時代の業務ソフトを巡る議論に大きな含意を持つものです。

事業者の立場で読み解けば、Klarna事件は「AIエージェントの実装は、SaaSの代替よりもデータ統合と業務知識の構造化のほうが先に律速になる」という現実を示したものと捉えるのが妥当でしょう。SaaSを停止する決断よりも、複数SaaSにまたがるデータと業務知識をどう束ねるかのほうが、はるかに難しい工程となります。

SaaS主要各社の防衛戦略――Salesforce、Microsoft、Workdayの動き

SaaS主要各社の動きを並べると、「SaaSの死」を待つのではなく、SaaSそのものをAIエージェント実行基盤として再定義する方向に投資を傾けている構図が見えてきます。

Salesforceは2024年末以降、Agentforceを中核とした自律エージェント基盤の投入を進め、CRMの操作画面ではなく業務成果に課金する従量モデルへの転換を打ち出しています。MicrosoftはCopilotとCopilot Studio、そしてMicrosoft 365全体に組み込まれたエージェント機能で、Office製品群を「AI実行プラットフォーム」として位置付け直しています。Workdayも同様に、HR・財務基幹業務の中にエージェント連携を埋め込み、画面操作の削減と業務リードタイムの短縮を訴求する方針を示しています。

これらの動きの背後にあるのは、提供事業者としての生存戦略です。ハイパースケーラーと垂直特化型のAIスタートアップの双方から挟まれる構図の中で、SaaS各社が握っている資産――業務ドメイン知識、規制対応、顧客固有のカスタマイズ蓄積――を、エージェント時代に適合する形で再パッケージする必要があります。

提供事業者の視点で読み直すと、Nadella発言は「SaaSは死ぬ」という宣告ではなく、「SaaSは画面ではなく実行基盤になる」というメッセージと捉えるのが妥当でしょう。実際、Gartnerは2027年末までにAIエージェントプロジェクトの40%以上が中止されると予測しており、コスト超過・価値の不明確さ・リスク制御の不足を主因として挙げています。「画面の置き換え」が容易には進まない現実が、市場で徐々に明らかになりつつある局面です。

「死」か「変質」か――SaaSの3つの層に分けて読む

SaaSをめぐる議論を整理すると、表現層・実行層・データ層という3つのレイヤーで起きていることが異なる、という構図が見えてきます。

表現層、すなわち画面とワークフローの層では、AIエージェントによる代替が最も急速に進む見通しです。Gartnerが予測する「2028年までにUXの3分の1がエージェント型フロントエンドへ移行」という見立ては、この層に対応しています。SaaSの「画面のメタファー」は、確かに後退する局面に入っているといえます。

実行層、業務ロジック・規制対応・ワークフロー制御の層は、SaaSが長年蓄積してきた資産が残ります。財務会計、HR、CRM、サプライチェーン管理といった領域では、各業界の規制要件と業務慣行が深く組み込まれており、AIエージェント単体での代替は容易には進みません。Klarna事件が示したのは、この層を解体することの難しさそのものでした。

データ層では、SaaSをまたぐ統合課題が次の競争領域として立ち現れつつあります。Bainが指摘する1,000億ドル市場の本質は、SaaSの代替ではなく、SaaS間に挟まる「調整労働」の自動化にあります。AIエージェント時代の主戦場は、業務ソフトそのものの置換ではなく、業務ソフト間に残った人手のオペレーションの機械化にあると見ることができるでしょう。

この3層分解で見直すと、「SaaSの死」という表現は表現層についてはおおむね妥当である一方、実行層・データ層についてはむしろSaaSの再評価が進む局面にあると捉えるのが現実的でしょう。半導体・データセンター・AIモデル・SaaSというレイヤー全体で見れば、計算資源側で起きているコスト低下(推論コストの90%以上の低減)が、SaaS側の価格モデルを成果連動・消費量連動に押し出す力学として作用している構図にもあります。

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今後の展望

2026年後半から2027年にかけて、SaaS市場は3つの分岐の中で姿を変えていくと予想されます。第一に、価格モデルの変質です。GartnerとIDCの予測が一致しているのは、シート単価から成果連動・消費量連動への移行であり、この動きは2026年中に主要SaaS各社で具体化が始まると見られます。逆に従来モデルに固執するベンダーは、AIエージェント発のSaaS新興勢力に侵食されるリスクが高まる構図です。

第二に、SaaSの提供範囲の再編です。SaaS各社がAIエージェント基盤として自社を再定義できるか、それともエージェント側のツール群の1つに組み込まれる立場に位置付けられるかで、収益構造が大きく変わります。Salesforce、Microsoft、Workdayが2026年に投じる投資の中身は、その分岐点を映す指標となるでしょう。

第三に、AIエージェント側の現実的制約です。Gartnerが警告する「2027年末までにエージェントプロジェクトの40%超が中止」という予測は、過剰な期待への警鐘でもあります。Klarna事件が示したように、「SaaSをAIで置き換える」という単純な構図は通用しません。

日本企業にとっては、SaaSの導入が欧米に比べて遅れていることが、結果として「世代飛ばし」の機会となる可能性もあります。ただし、その前提となるのはデータ層の整備とAIガバナンス体制の構築であり、画面の刷新よりも先に取り組むべき土台となります。SaaSの死を語る前に、自社の業務ソフトのどの層でAIエージェント化の摩擦が生じうるかを冷静に切り分ける視座が求められています。

【書籍紹介】

AI時代のCxO論: CFO・CMO・CDAO・CHROはAIにどう備えるか 

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【出典】

- Gartner「Predicts 40% of Enterprise Apps Will Feature Task-Specific AI Agents by 2026」(2025年8月26日)
- Gartner「Strategic Predictions for 2026」(2025年10月)
- Gartner「Over 40% of Agentic AI Projects Will Be Canceled by End of 2027」(2025年6月25日)
- IDC「Is SaaS Dead? Rethinking the Future of Software in the Age of AI」
- Bain & Company「The $100-Billion SaaS Opportunity Hiding in Cross-System Labor」(2026年5月)
- Microsoft Satya Nadella氏 BG2ポッドキャスト発言(2024年12月)
- Klarna Sebastian Siemiatkowski氏 公開発言(2024年9月、2025年訂正)

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