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これまで仕事をしてきた中で、始まる前には「これは無理かもしれない」と思った仕事が予想よりもきちんと着地したという経験は少なくありません。では始めてみたら難しくて困ったということがあったかというと、それもさほど多くはありません。これは簡単な仕事が多いという意味ではまったくなくて、何かが足りない時には周りの方々よりお力添えをいただき、また自分自身の心の準備ができていて難しさを楽しみであったりやりがいであったりに変換できた部分があったのかなと考えています。また、多くの未知数を含むような仕事は仕事としてリスキーすぎて引き受けられず自分に回ってきていないということもあるかもしれません。
それはそれとして、ITの進歩、監督の強化、グローバリゼーション、競争激化、環境意識の高まり、デフレ、などなど様々にビジネス環境が難易度を増す中で、自分の成長する速度と仕事の難易度の上昇がバランスしなければ世の中は打ちのめされた人ばかりで埋め尽くされてしまうことと思います。見渡してみるとそれほどでもないのは皆さんも世の中にキャッチアップされているということなのでしょう。
さて自分が「いちばん難しかったと思える仕事」ですが、これには色々な意味があると思います。
ひとつは個人的な作業内容。ひとつはプロジェクト運営。ひとつは全体成果という軸があるでしょう。
例えばプログラム系の仕事であれば、作業内容はプログラム自体の難易度が当てはまります。プロジェクト運営で言えば(自分がメンバーとして入る場合も含めて考えます)仕様がぶれたりメンバー入れ替えが多かったり土壇場でお客様が異動になってしまったりというのが当てはまります。全体成果では例えば超重要インフラのプログラムだと自分の作業は簡単でも「すごい難しい仕事をしたんだねー」と言われることがありますが、自分の仕事が巡り巡った帰結になります。
わたしのこれまで(10年弱)はSEとコンサルタントの2つの時代からなりますが、それを振り返ってみると作業内容が難しかった仕事というのはやはりSEの頃が多かったように思います。プロジェクト運営というところでは圧倒的に最近が難しいです。やはり超短納期化が進みすぎているような。そして全体成果というところでいうと、これは本当に幸福なことですが入社してよりこれまでに度々大きな仕事に携わる機会を色々と頂戴しております。
果たしてこれから先はどうなるのかというところをふと考えてみると、責任が重くなるという面や、リーダーとして進捗を管理する対象が増えていくという形での難易度増加はありえますが、個人作業の範囲ではさほど難易度が高まる余地というのはないのではないかと感じます。
そこでタイトルに戻るのですが、「これまでの人生であの仕事が難しかったなー」と印象深い仕事は何歳くらいにあったでしょうか?作業内容、プロジェクト運営、全体成果、いずれでも構いません。もちろん、若ければ自信が未熟が故に相対的に難しさが増すと思いますので相対評価でお聞かせいただければと思います。
ある一定の年齢より上の方ならば「ピテカントロプスになる日も」というフレーズが思い浮かぶことと思いますが、息子の持っている図鑑を読んでいたところ衝撃の事実が。
ピテカントロプスという分類(ピテカントロプス属)は廃止されてしまい、ホモ・エレクトスという分類に切り替わったそうです。まったく知りませんでした。
私の祖父(大正元年生まれ)に漢字を習うといくつかの書き順が異なっており、「自分の時代はこう習った」と言われて困惑したことがありました。まさか自分にもそのような時がやってくるとは。
冥王星が惑星から外れた時やニュートリノが高速を超えた(誤検知)ときのように大きな話題になればキャッチアップができますが、それほど大きな取り扱いを受けないレベルでこのような変更があるとすっかり時代遅れになってしまいますね。
生物以外では歴史なんかも危ないかもしれません。数学・物理・化学あたりは高校レベルで習う内容にまで変更が入ることはないと思いたいですが、自分の子どもが高校生になるころまでに何かの変更があればすっかりおっさん扱いされることでしょう。
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