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ネットやケータイが社会(人間関係)に与える影響に関して、日々思うことがあります。
ケータイメールが奪ういくつかの大切なこと
我々の中学生時代を振り返ってみると、ケータイなどはもちろんなかった。したがって家に帰ってしまうと、同級生やクラブの友人らとは関係が切れてしまって、今度は家族という人間関係に切り替わっていたものであった。しかし今の中学生は、通学中だろうが家に居ようが、場所と時間に関わりなく、常にメールで誰かと繋がっている。物理的制約によって関係が途絶えるということがないため、ひとたび人間関係でトラブルが起これば、クールダウンする余裕もなく、いつまでもそれを抱え続けることになる。当たり前のことのようですが、人間関係が物理的な制約で切り替わる効用は、思いのほか大きかったのかも知れません。つながりが切れることで、そのつながりを客観視することが可能だったのですが、つながり続けていると、いつまでも抱え込むことになります。イジメが陰湿化し、凶悪化する背景は、つながりが切れないことに由来するのかも知れません。
家族で食卓を囲んで話をしている最中に、よそを向いてメールを始めるような事態が起こるのだ。これは大人でもままあることだろう。親としては躾として、目の前の人をほっとらかしにして、バーチャルな人間関係に没頭するのは正しくないと諭したいところである。どちらが大事か、ということはあるにしても、礼儀として目前の人間に失礼となるような行為は慎むべきだろう。本人の意識はさほどではなくとも、目の前の人間関係が疎かにされることは、よく経験することです。会議中にケータイに出る人、それぞれのケータイを見ながら何となく群れている学生、家庭の食卓でケータイの画面を見ながら気のない返事をする人、。。。。
以前は、休み中も毎日メールの確認をし、休みボケしないようにしていましたが、最近は休みの最終日の午後だけの作業にしています。ケータイは、ほとんど発信専用にしているので、掛かってくることも激減しました。携帯メールは面倒なので使っていません。つながっていることの安心感に浸ることは大きな危険を孕んでいます。つながっている状態を客観視するためにも、意識的に「つながりを断つ」ことを習慣化し、目の前の人間関係に意識を集中したいものだと思います。
ここ1週間ほど、ネット(ブログ)と「思いつき」に関して、いろいろな考えが飛び交っています。
震源地は、デイリーポータルZの林雄司さんの講演にあると勝手に思っていますが、これも思いつきです。小林さんのシロクマ日報でもいち早く取り上げられました。
ネットは「思いつき」というレベルで動けて、しかもそれが大きな影響力を持つ可能性がある。だからあれこれ悩まずに、とりあえず動いてみたら――というアドバイスであるように僕には感じました。
ネット以前は、内輪ネタとして消えていた「思いつき」が、ブログなどで世間に知られるようになることは、とてもいい事だと思いますし、実際に動く(ブログに書く)ことの重要性が従来より高く認識されてくると思います。企業も確かな成長シナリオが描きにくくなっているので、組織運営による効率性を追求するのではなく、個人の創意工夫による「思いつき}を引き出す仕掛けが重要になると思います。
林さんの講演の中でも、
人に「そうなのか?」って言われたら、まあ、わりとノーっていわれると引っ込んじゃうタイプなんですね。企画書を書いたり、人に説明する面倒臭さに負けてしまうんですよ、僕が。で、そうすると人からあんまり突っ込まれないところを見つけて、小さいところでちょっとづつなんかやっているっていう、気の弱い10年間を過ごしてきたんです。
という部分があって、企業側は「思いつき」を潰さない工夫が必要だと思いました。
林さんの講演が行われたアルファーブロガー・アワードの中心人物である徳力さんのコラムでも、「思いつき」に関して書いてあります。
インターネットは個人の思い付きが、ついうっかり影響力を持つということ。
林さんのプレゼンでとても衝撃を受けたのが、冒頭のBroadBandWatchの記事でもピックアップされている「インターネットは個人の思い付きが、ついうっかり影響力を持つ奇跡のツール」というフレーズです。長くブログを書かれている方であれば、大なり小なりこの言葉に共感される人は多いと思いますが。当日の個人的には、これはまさに自分にたいして言われたような感覚を受けた言葉でした。
やらせでなく、「ついうっかり」という表現も絶妙だと思います。生産者から消費者へのパワーシフトが起こり、プロダクトアウトからマーケットインになった流れが、ナレッジや情報でも起こっている、ということだとも言えると思います。情報の受け手だった側が主導権を持つようになると、情報発信手段の独占に基づいて影響力を保持していたマスメディアは凋落し、情報受信側の支持さえあれば、「ついうっかり」影響力を持ったりします。そういう意味でも、無駄と思わずに「思いつき」を情報発信する行動力が重要になってきます。
従来のマスメディアは、発信手段を独占する代わりに、重い責任を担っていました。報道の真実性・中立性・公平性は社会的には大変重い責任です。その固定観念をブログなどに求める意見もありますが、当然のごとく「思いつき」に過度な理論武装を求めるなみたいな意見も出てきます。
ブログに過度な理論武装を求めるな。
「ブログで表現する者」の「書く気」を削ぐ意見も見られることがあります。それは、「いちいちブログの内容に理論武装を求める人」です。そうです、自分の意見と食い違うときに、文章の中で理論のつながりの欠落点だけ指摘して「こういう場合はどうさ」と揚げ足取り屋さんに多いタイプです。
所詮、「思いつき」なのですから、揚げ足取り屋さんは相手を間違えています。実際にも、そういう場違いなコメントが数多く見られるのは悲しいことでもあります。気の弱いブロガー(行動した人)は、林さん同様、それだけで行動を自粛したりします。
「ブログで情報発信したい!」と思い、ブログを始めたばかりの人に対して、このような人の存在は、「(確固たる)理屈の裏づけがないとブログが書けない…」と感じさせ、せっかく「表現」しようとしている気持ちを奪いかねません。そしてそもそも、理論武装だらけのブログがはびこるネットの世界なんて…つまんない。いいじゃん、理屈がなくたって。(「理屈がない批判」は「どうよ」と思いますが)いいじゃん、感覚だけで。いいじゃん、「思った」「感じた」だけで書いたって。「表れたもの」に対してしか批判できない人よりよっぽど素晴らしいですよ。まっさらから文章を起こしている、という方は。
個人の「思いつき」が伝播して、他の人に気づきを与えられるのは、とてもいいことだと思います。伝える手段がないために、宣教師が宗教を広めた時代に比べれば、人間同士の叡智をシェアしやすくなった現代は、とても幸福な時代だと思います。幸せの根源は、自由意思の尊重、選択肢の多様さにあると思います。「思いつき」を共有できることは、選択肢が多様であることのインフラになりうると思っています。
情報発信の内容にどこまで求めるかは、ネットの実名・匿名の議論とも関係し、今後深まっていくことを期待しています。
匿名はウェブの質を下げているのか
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