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とあるところで、受験に関するコンサルティングをしている社長のお話を聴く機会がありました。で、最初からボソボソ話しているので聞きづらいのですが、そのうち周りもケータイを触り始めたり、隣の男性はPCを出して仕事をし始めるという散々な講演会だったわけですが。
話の主旨は、中学受験をする子供の親に向けてのメッセージです。ただ、話の内容が散漫であること、ボソボソ話して聞き取りづらいことなどから、だんだんと興味を失ったのですが・・・。
約45分間の講演中盤で、「私は父親として全然ダメだったのですが、どうダメだったかというと…」という話が約15分間。父親として受験生の子供の相談に乗ってあげなかったこと、子供のダメなところにばかり目がいってしまったこと、子供が成績のよいときに褒めてあげず、ダメだったときだけ叱ったことなどを話しておられました。
自身の失敗談を延々と語る。これって、いろいろなところで行なわれているように思います。教師が教壇に立って、自分が子供の頃に如何にダメだったか、という話もありますよね。いや、子供を勇気づけようとして話しているのであればいいのでしょうね。ただ、(少なくとも聞き手にとって)目的不明のまま延々と語っているのってどうなのかな、と思った次第。僕は一番後方に座っていたため、聞いている人たちも、だんだんと姿勢が崩れていくのがはっきりと分かります。
僕自身も人前でお話をする機会が多いので、こういうところにも気を配らないと、と感じた次第です。
永井さんにしてはずいぶん短いブログですが(笑)、とても大切なことなので食いついてみたいと思います。
うまくいかない場合でも、必ず自責の部分がある。それを直せば改善する
タイトルにすべてが凝縮されていますが、何かに取り組む。それがうまくいかない。「これは、上司が悪い。先輩が間違えたから。お客さんも悪いし」と、他人のせいにするのが一番気楽ですよね。実際、誰かのせいでもあるわけですから。
うまくいかない、というのはいろいろ考えられます。プロジェクトが納期までに終わらない。想定外のことが起きた。提案したが失注した。予定外の邪魔が入った。予定外の邪魔なんて、どう考えても、その邪魔をした人のせい、だとは思います。
問題は、「誰かのせいにすると、何かが解決するのか?」ということですね。そして、「自分はどうすれば、もっと成長できるのか?」を考えているだろうか、ということです。特に20代でこれを考えられない人は、30代、40代になると、いつも人のせいにする嫌なヤツになってしまうこと請け合いです。
我々は(「我々は」です。51歳の僕も、まだまだ成長したいですから)、次に同じ場面に遭遇したとして、同じ結果にならないようにしなくてはなりません。それができないなら、成長しない単細胞ということですから、単細胞ではいたくないわけです。それは、あえて気にするべきなんですよね。
会社員でありながら評論家の人が増えている中、自分はそうならない努力が必要ですね。僕自身も、人のせいにせず、日々精進できる人間で在り続けたいと思う今日この頃です。
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