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2007年10月5日 » |
中さんの朝日新聞「沖縄集会は11万人参加」→産経新聞「それは嘘」にトラバです。
色々なブログなどでも解説されている参加者数の根拠の信憑性について、イベント屋的な発想に基づく収容人数を乱暴に考えてみます。
会場はどれ位の広さ?
どうやら会場自体は25,000㎡くらいあるようなのですが、ここに11万人を突っ込むと、一人当たり約0.23㎡となります。会場となった公園全体に人を入れた場合です。通路も何も考えていません。
既に恐ろしいことが起きそうな予感がします。
イベント屋が考える大人一人当たりの占有面積
私の場合、展示会のフロアのスペースを計算する時の大人の占有面積は肩幅80cm x 胸の厚み50cm = 0.4㎡ を基本的なサイズとして考えています。また、例えばパイプ椅子の場合には横幅60cm x (椅子の奥行き60cm+間隔10cmで)70cm = 0.42㎡を基準にすることが多くあります。乱暴に計算すると、立っていようが座っていようが、人は0.4㎡程度の面積を占めることになります。
しかるに 0.23㎡の空間では50cm X 45cmくらいしかありません。満員電車状態です。膝を曲げることも出来ません。膝を曲げるスペースだけ考えた場合(これまた乱暴ですが)会場の面積が倍あれば物理的に11万人入れることは可能かもしれませんが、ラッシュの通勤電車の車内のような混雑状態で11万人が存在する場所というのは暴動が起きてもおかしくない状況のような気がします。
会場敷地の利用状況の仮定と収容人数見積もり
それに対して実際の大会の写真を見ると中央に大きな空スペースがあり、講演者が演壇の上で落ち着いて話をしています。取材陣のためのスペースも必要ですし、そのほかに通路やら何やらのスペースが必要ですので、(重ね重ね乱暴ですが)単純に来場者のためのスペースを全体25,000㎡の半分ちょっとの13,000㎡くらいと考えた場合、一人当たりの占有スペースを前述のように0.4㎡として、約13,000㎡ ÷ 0.4㎡ = 32,000人がある意味当日の収容限界じゃないかという気がします。
かたや警察や消防は場所としての収容限界を経験上知っていますから、催事の許可を申請する時点で不用意に多すぎる参加人数を書き込んでいると催事の開催許可そのものが降りないですね。警備計画云々とか以前の話です。
素直に考えて11万人は言いすぎのような気がします。
正確な図面が無いのでこの会場全体の面積がどうなのか、催事に使える部分という意味での有効面積はどうだったのか、更にはレイアウトからどれほどのスペースが来場者のために用意されていたのかがわかりませんからあくまで推測ですが、それを割り引いても個人的には正直11万人というのは言いすぎじゃないかという気はします。
まぁ、こういう集会や大会ではよくある話ですけど。
永井さんのエントリー日本軍から学ぶ 『情報は客観的に見るべきであり、主観的に見てはいけない』 に触発されて、ちょっと視点を変えて考えてみました。
メディアに何かが取り上げられる場合、そしてそこに編集の機能が介在する以上何らかの立場に基づいて解説されるものです。それがそのメディアの存在意義でもあるわけで、Google Newsなどはその機能を最初から持たないと言い切っている以上、メディアではなくニュース・ポータルなんでしょうね。
自分の立ち位置と評価は大事なんだけど
当然誰にでも自分の立ち位置があり、その立場を基に判断をするわけで、たとえば政治にしても国際情勢についても、それこそプロ野球やサッカーについても意見を持つものです。
例えば私としては昨日のジャイアンツの原監督胴上げシーンを「くっそー」とか思いながらスポーツニュースで見たのですが、その一方で「我等が阪神タイガースがプレーオフで勝ち残るはずだ」とか「上原の苦労なんて知らんわい」と勝手に思っているわけです。これは私の阪神タイガースの思い入れが他の立場を考えることを頭の中で封印してしまっているわけですが、まぁこれは別にどうってこと無い話です。
でもたとえば仕事の場合、自分の目の前にある社内の状況を見つつ業界環境やお客様の動向などを多面的に見て行かないと、せっかく作った企画書は「お前は何にも判っとらん!あほ!」といわれて落ち込むのは良いほうで、なんだか判らないまま会社全体業績が落ちてゆき、手を打とうにも誰も状況を理解あるいは共有できていないし、そうこうするうちに気が付いたら会社ごと・・・、あるいは自分の立場が・・・ なんて状況になることもあながち言いすぎとは言えないわけです。
信頼できる情報のソースを常に複数確保する意味
これは誰でも理解できると思います。以前誰かが言っていたかと思うのですが、「会議で報告を受けるまで事態を把握していない管理職は辞めたほうが良い」的な話を聞いたことがあります。空気を読めとは言わないまでも、ちょっとした切っ掛けやそぶりなどなんでも良いのですが、アンテナをきちんとActiveにしておくといろんな情報が入ってきます。これはインフォメーションの状態。生の加工されていないものですね。
そういったさまざまな報告や連絡、そして情報などの断片情報を繋ぎ合わせて状況を判断した結果がインテリジェンス。細工ではなく、必要な加工(判断)されたものですね。
情報が多すぎると処理に苦しみますが、最初からポイントを決めて情報を眺めると、何処かしら臭ってくるものや引っかかるものが出てくるものです。しかもいろんな立場のいろんな情報から。
例えば新聞3社の提携で言うと・・・
色々なコメントや叱責を受けるのを覚悟でこの件に触れると、実は肝は最後の販売提携の部分に有るんじゃないかと思います。日本の新聞が良い悪いとか編集方針上の好き嫌いとかは別にして、少なくとも日本の新聞社の経営が広告収入などではなく戸別配達システムによる営業収入によって支えられているのは事実で、これが崩壊すると新聞社を中心とした巨大な業界の崩壊を意味するわけで、最終的にとてつもない雇用問題を引き起こしたりします。
新聞は何処に行くのだろう
私自身は別に新聞業界に縁や義理があるわけではないし、もちろん各社とも民間企業ですから勝手にしろみたいな部分もあるのですが、「好き嫌い」は別にして少なくとも多様な記事を書く記者が居るわけです。ある方針に基づいて編集を行う機能はあるわけです。メディアを標榜する限りそれらの機能が存在意義であって、たとえば編集機能を全く持たないGoogle Newsは単なるポータルでしかないわけです。ただ、記事の露出媒体としては強力。紙とは異なり最新記事の横串検索や過去記事の検索もできるわけで、それが出来ない紙媒体、特に新聞はもう駄目だという議論が多くなされている気がします。もちろん今回の提携を皮切りに毎日新聞や各地方のブロック紙の再編が始まるはずです。
多方面にモノゴトを眺めるという意識
ここで大事なのは、単なる「ネットに押されて駄目になった新聞」視点だけでモノを見るのではなく、例えば誰が情報の提供元という立場に生き残れるのか、どういう立場と手段を取るのか、どのような情報をそのメディアとして伝えてゆこうとしているのか、そしてそのためにどういうビジネスモデルに変えてゆくのか、といった事をきちんと見るように意識すると、単なる業界再編とは違う側面が見えてくるんじゃないかと思います。
ある意味究極のマーケティング。
この提携が業界全体のデザインや企業全体のデザインの取っ掛かりと考えると、なんだか凄いことになってきたなぁと思えてしまいます。
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