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THE SHOW MUST GO ON

通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

とりあえずソーシャルな何かを企業なり何なりが活用して行こうぜ論が幅を利かせる中、一体何をすればよいのだろうと考え込む人がいて、それじゃぁお手伝いしましょうという色んな人がいてという構図は別にソーシャルな何かに限った訳ではなく、昔から業種業態その他諸々を問わずにある話です。で、大抵の場合、考え始めた人や悩んでる人が欲しがるのは「事例」。誰かの成功事例はやっぱり聞きたい。何を考えて、どうしてそれを選んで、でもって今はどうなってるのか、そして今後はどうしようとしているのか。中には使い始めて直ぐに事例として紹介されていて「でもこれって事例云々の前段階でしょ?」とか思うケースにも出くわしたりして色んな事情が透けて見えるわけですが、まぁそこはぼんやりと眺めておくに限ります。

因みに成功事例と同じくらい需要があるのが失敗事例で、どこに注意しないと駄目になるのか、何がその兆候なのか、どうやって上手く撤退したのかなど実は成功事例よりも余程ためになる情報を得る事ができるケースもありますが、誰しも自分の失敗はあまり人に言いたく無いもの。そもそも「成功するまでやるから失敗はない」系で押し通すともっと大変な事態を招いたりするケースもあるんですが、個々の何かの事例を引き合いにして説明する場では無いので、そこは割愛します。

で、たとえばソーシャルな何かの活用事例として目に留まったのが・・・

 

武雄市の、市職員の大半にFacebookのアカウントを取得してもらい、それを市としての情報発信やら何やらに活用するぞという事例

元々Twitter上での活動が話題になったこともある武雄市ですが、事Facebookについては昨年から市のWebサイトをFacebook上に移行するぞという流れが伏線にあり、市職員にまで直接裾野を広げようという話になってきているわけです。因みに事例として考えると市(正確には市役所ですが)のFacebook Pageは既に運用中の事例であり、市職員への展開については発表された段階ですので事例とはいい辛い。でも、少なくともそういう方向に舵を切ったのねということだけはよく判るわけです。

もっとも、個々の市職員がそれぞれの職責との絡みで何をいうコトが出来るのかっていうのは服務規程やら条例やらが絡む部分もあったりして興味が尽きないのですが、市としての取組であると市長自ら記者会見を行って発表した以上は、それなりの方向が考えられてるのだろうなとは思います。

 

事例として考えると、どう捉える事が出来るのか

となると、実は事例として参照できる側面は二つある事に気が付きます。1つは間違いなく地方自治体としての取り組みと言う部分。ここまでFacebookに入れ込んでいる地方自治体というのは日本には殆どありませんから、これは間違いなく先進事例と言えるんだとは思います。因みにFacebook自体が先進的かどうかではなく、こういう仕組みを地方自治体がどっぷりと活用するという側面の方が私的には面白いと思うのですが、まぁこれは人それぞれ。

そしてもう1つは、本来ガッチリと服務規程がある立場の人が職務上の事をどこまで言えるか言っても良いかと言う手探りの部分についての事例という側面があるんじゃないかと思います。

たとえば外資系企業、特にIBMを始めとするIT系の企業の場合、自分の立場を明確にしたうえでキチンと自分で判断してモノを言いなさいというルールが明確に存在するケースもあったりしますが、実はそうじゃないところの方が多いのが実情じゃないかと思うんですね。ルールで規制しているところもあれば、そもそもルール自体が存在していないところもある。でも、参照するべき事例が外資系ITのあの会社やこの会社なんて話ばかりだと「そりゃそういうところはそうでしょ」みたいな感じになってしまうことも多々あるわけですが、これが地方自治体という立ち位置での動きであれば全然受け止め方が違うような気はします。

もちろん自治体としてソーシャルな何かへの取組をどうするよという部分で眺めるのは一つの正しい見方だとは思うのですが、ちょっと見方を変えると違うものが見える・・・ ような・・・ そんな気はしています。もちろん事例としてはこれから形作られるものなので、今の時点では何かしら評価するべきものではないわけですが。

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別にスマホに限らないのですが、ガラケーでも雑誌でも、何かを見ながら歩くのは危ない話です。でも、そんな事は判っているけれどやっぱりメールとかをゴチャゴチャ触りながら歩く事を全くしない人かと言うと、いや・・・ すいません。そんなことありません。たまにします。自分なりに言い訳しながら見たいな事もあれば、電車やバスの車内でケータイを触っていて、降車してもそのままなんてこともありますし、急に来たメールに反応したりとか、まぁ状況は様々。

もちろん安全じゃないことは判ってるんですけれど。

 

スマホに変えてから夜道で触るのが微妙に怖くなった

ガラケーよりも画面が広い分、あるいは見ているサイトなりアプリの画面のデザインのせいか、比較的明るい画面が多いんですよ、私の場合。それが夜道の周囲の暗さとのコントラストで、どうにも足元が見えない。いや、正直怖いです。ちょっとした歩道の段差で躓きそうになったりすることもあって、それ以前にガラケーを使っていた時期よりもはるかに夜道で画面を見る事が少なくなりました。

これは心がけの問題というよりも物理的に画面を見てると本当に危ないという状況なので、別にそれ自体褒められた話じゃないですが、とりあえず少なくとも夜道で画面を見ることは本当に少なくなりました。ただ、日中は・・・ すいません、すいません。

 

しかし、事故を起こしたり怪我でもしたりすれば笑い話ではなくなるわけで

最近電車の駅のポスターや中吊りで、画面を眺めながら歩くのは危ないですよ~というのを時々見るようになりました。もちろん他の場でも時々そういう話を聞きます。自分がそうしてても時々ヒヤッとすることがありますし、例えば駅のホームや道路上でも「おいおい」と思うような人を見かけるのは事実。

で、それを見ながら「本当に怪我しなきゃいいんだけれど」とは思うんですが、じゃぁ自分もそれなりに気をつけろって?そうですね。人の心配するよりはまず自分ですね。

 

でもって、同じくらい怖いのがヘッドホンをつけていて周囲を全く意識していない人

以前にも何度かエントリーにも書いた事があるんですが、私自身ヘッドホンをつけて外を歩く事をやめてから多分10年くらい経ちます。それ以前も基本的にはヘッドホンをつけたまま歩くのは怖い人なので、何かしら思うところがあるとか、あるいは何かしらの必要性が無いとやらないです。因みに音楽が嫌いだとかそういうのではなく、たとえば家にいるとカミさんに「たまには静かにさせてくれ」といわれるほど何かしら音楽やラジオ放送を聴いています。クルマを運転しているときには基本的にラジオをつけっ放しです。

でも、歩く時には怖いんです。だって、周囲の状況が判らなるんですから。これはひょっとしたら人によって差があるのかもしれませんが、私の場合、周囲の気配っていうのを音で感じる事が多いのかもしれません。歩いているときの周囲の人との距離感や空気感みたいなものについて、視覚は勿論あるのですが音の部分で感じる事がとても多い。だから、耳を塞がれたまま歩くとなんだか諸々の距離感がつかめなくて、とても怖い気分になるんです。

これが全段のケータイの画面を見ながら歩く話になると、たとえば音は普通に聞こえているわけですから、視覚を集中させることはそれほど怖くはない。でも、なんだか音が聞こえないと駄目ですね。もちろん個人差がある話でしょうし、皆さんそうですよね?と言う気はサラサラ無いんですけれど。

 

そしてケータイを触りながらヘッドホンで音楽を聴きながらフラフラ歩く人の動きが読めない

だから止めろとは言いません。でも、目と耳の意識を他に持ってゆかれてある意味自分だけの世界に入ってしまうと、勢い周囲の状況が判らなくなる。これは私だけの問題かもしれませんが、たとえば空間の中に流れる音や音楽を聴くのと、ヘッドホンで他の音を事実上遮断しているのとは周囲の感じ方が違う。

例えば人の流れる速さ、隣の人との距離感、流れの動く方向感などなど。で、何が起きるか?もちろん人に寄る話だとは思いますが、周囲の人の事を意識しないまま突然歩く方向を変えたり止まったり。結果的に周囲の人が慌てたりぶつかったりする事もあるわけで、まぁ迷惑この上ない訳です。ぶつかられた挙句に睨まれたりして「俺じゃないよ!」と思うことも無くはない。

もちろん人それぞれの趣味嗜好の話ですから四の五の言う気はありませんが、自分に対して何かしら被害があるような状況になると「あのさぁ」と言いたくなるのは人の常。だからと言って「周囲の人に気を配って流れを妨げたり人にぶつかったりしないように云々」と説教を垂れる気もないので腰砕けではありますが、でも、そんな風になりそうな雰囲気の人からはちょっとだけ距離を置くようにはしています。

そんなに臆病になってどうするって?まぁ、そうなんですけどね。
お前も時々するだろうって?(ヘッドホンはともかく)画面を睨みながら歩く事があるのはありますが・・・


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よくよく考えると、かれこれ30年近くPCのディスプレイと付き合っています。多いときには自分の席の周りに8台くらいディスプレイを並べてデモセンターのシステムの運用をやってたなんてとんでもない時期もありましたが、ここ10年くらいの基本はPC本体1台に17インチから20インチ前後のディスプレイ2台体制。正直、流石に目が疲れます。もちろん輝度とかコントラストにはそれなりに気を使っていますが、毎日10時間以上もディスプレイを睨みつけるのが仕事の大半となってるので、どうしても辛くなります。

因みに物理的な疲労と言うところではキーボードやマウス(というかトラックボールなのですが)については自分の気に入った疲れの少ないものを使っているのですが、椅子は勤務先支給なので仕方が無いところも有ります。でも、できる対策は講じつつ、最終的に残るのは目からくる疲労。どうしたものか。

 

ってことで試し始めたJINS PC

PCなど画面を見るときの疲労を抑えるために、主に青い色の部分の透過率を下げた眼鏡。度は入っていませんが、基本的にはコンタクトレンズを使っているので問題は有りません。因みに酷いドライアイなのですが、これは正にディスプレイを睨み続けすぎるから起きるってのは自分でも自覚しています。お陰で多種多様な目薬を常日頃持ち歩いていて、更には眼科医にも定期的に相談しつつ、でも眼科医には「ディスプレイ作業が長すぎ&コンタクト装着時間が長すぎ」と毎度同じ事を忠告されつつ、という状況ではあります。

ただ、ドライアイが酷くなってから特に蛍光灯の光が辛くなる事が多くて、実際家の照明も可能な限り白熱電灯もしくは電灯色の蛍光灯にしています。そう。ここ。これです。多分どこかの波長の光に弱いんじゃないかと。ってことで、とりあえずディスプレイの色温度を変えられるのであれば比較的低い色温度(黄色っぽいほうですね)に調整したりしていたわけですが、どうやらJINS PCはレンズでそのアタリの光の透過性を調整してるらしい。

ならば試してみようぞ、ということで先日から利用中です

 

楽なのかどうかはまだこれから

何となく楽な気はします。特に日が暮れてから時々見舞われる目の疲れからくる頭痛の兆候は殆ど感じません。もちろんそれほど長い期間ではありませんから何とも言えませんが、かけていると何となく視界が楽な気はします。特に蛍光灯の青白い光が柔らかく感じられるので、多分目と頭は楽してるんだと思います。ただ他に代替手段があまり無いので、これに頼るしかない状況、と言えるかもしれません。

因みに私自身コンタクトレンズを使っているのですが、諸般の事情により乱視矯正用の眼鏡をかけていたりします。更にシニアグラス(いわゆる老眼鏡ですが)を持ち、更にJINS PC。それぞれつけたり外したりということで鞄の中には常に眼鏡のケースが三つ入っています。何気に物持ちです。更に因みに特に夏場ですが日差しが強いときにはサングラスも持ち歩いたりしますので、その日の朝刊だけをブラブラ持って出社するなど夢の世界です。なんだか違う意味で物持ちです。

 

そういえば色温度ということで思い出すのはコダックのフィルムの発色の話

先日チャプター11の適用が発表されたフィルム業界の嘗ての雄であるコダックですが、一応これでも写真好きな私の場合、ネガでもポジでも好きなのはコダックの色なんです。幾つか使った結果最後にたどり着いたのはPortra NCってネガカラーフィルムで、これで随分と撮りました。コダック的にはNCという名前の由来の通りニュートラルカラーに振っているのですが、やっぱりコダックの色だったりします。

もちろんフィルムによって発色が違いますから全部を好きかどうかは別ですが、日本のフィルムに較べて一様に黄色が強い発色が昔から好きでした。このアタリの話は商業写真でない限り個人の嗜好の問題なんで色々と指南されても困るんですが、今現在デジカメで撮っている写真も基本的にはどちらかと言うとそういう色に振っています。

どうやら私自身、そもそも黄色が強い、というか青が強いのには弱いのかもしれません。

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例のSOPA/PIPAに絡んでWikipedia英語版は一時止まるわ、Twitpicは背景を黒くするわ、Googleは米国でロゴを隠すわ、なんだかんだと大騒ぎな訳です。それ自体をどう評価するのかというのは評価する人の立場立ち位置によって全然違うわけで、そういった構図自体は別の業界でも起きていたりするわけです。もっとも今回のSOPA/PIPA関係については情報を得るインフラに手を入れる話なので、ちょいと影響が大きいのは事実。

でも、冷静に考えなくてはいけないのは、これは米国内法に纏わる動きであるという事実。そして、その米国内法に基く何らかの動きが米国から全く離れたところの人にすら影響を与える事。もっとも、そういうコト自体、今に始まった話じゃないですけれど。

 

たとえば(通称)米国愛国者法とか

もちろんそれだけじゃないですが、米国の国内法に基いて非居住者に対して何かしらの影響力を及ぼすことが出来るケースというのが無くはないのは事実です。もちろんその制定の目的が純粋に国益に帰するとして作られる仕組みもあれば、ある業界を守るため、あるいは何かしらの権利者を守るためのモノなど多様なわけですが、どこまでやるかは別にして多くの国で同じような動きがあるといえばあるわけで、内容はともかく、そういう動き自体は別に目新しい話じゃない。

ただ、今回は著作権保護のために「海賊行為」をしている何かしらへの情報到達経路を絶つことを認めるとかなんとかかんとか、で議会はどうよとかホワイトハウスはどうよとか・・・ まぁ実際に法律として成立した段階ではないので物事は流動的ですが、少なくともそういう動きがあるわけです。

とりあえず米国内の話なので、太平洋を挟んだ日本からは静観するしかないわけですが。

 

インターネット上のサービスの国籍と米国という国に対するカントリーリスク

たとえば日常ネット上で使うサービスがどこの国の企業が提供しているのかというところを意識することはあまり無いわけです。でもそれぞれの提供主体はどこかの国に所在を持ち、基本的なところでその所在する国の法律に規制されているわけです。が、逆に言うと、それを他の国からネットワークを通じて使っていても自分の国の法律は殆ど手出しを出来ない事が実際にあるわけです。

でも、これはユーザーとしての立場の話。それが自分の使っているサービスの提供者が属する国の法律によってサービス自体に何かしら手が入るようになると、これは全然別の話です。そのアタリが本来今回のSOPA/PIPA関係の話には巻きついてるんですが、議論自体は米国内の話だからなのか、あるいは私の観測範囲が穴だらけだからキチンと理解できていないのか、どう理解されているのかが良くわからないんです。

ただ間違いないのは、海外のサービスを使っていると提供しているサービス主体の所在地の法律やら政策の影響を受ける事があるし、実はそういったサービスの多くが米国内の企業によって運営されているし、多くのユーザーがそこに巻きついてるという話があるというコトです。もちろん他の国の事業主体が提供しているサービスは一杯あります。米国だけが提供主体となる国ではない。でも、多くのサービスがそこで提供されているのは事実。で、そこでの政策や法規制が何らかの影響を与えるとすると・・・ これってカントリーリスクとして意識していても悪くは無いと思うんです。

 

かといってIT鎖国論を叫ぶ気はサラサラ無いんですけれど

国内にある事業主体が提供するサービスだけを使え系の、それこそ中国のような政策は支持しません。それは困る。体制上の問題から日本がそういう流れになることは基本的に無いとは思いますが、ならば逆に選択肢の幅の広さは実は裏に多くのリスクを背負っていて、それらの中には明らかにカントリーリスクと理解してよいものもある事だけは覚えておいて損はないと思うわけです。

たとえばURL短縮系サービスの大手どころが実はリビアのドメインだったので政変でどうなるんだと大騒ぎになったこともありましたし、ケータイ系サービス大手のカナダ企業のサービスを自国の公務員が利用するのはまかりならんと暴れた欧州の国があったりとかってのは比較的知られた話ですが、それ以外にも実は色々とあったりします。

選択肢が増えるというコト、それらが実は国境を平気で踏み越えている事っていうのを意識せずに使えるのが今のネットの世界。でも踏み越えている先は別の主義主張の体制なわけです。決して日本の中だけではない。そこは常に意識している必要があるかと思うんです。そして、それを踏まえつつ、SOPA/PIPAの流れがどうなるかを見ないと、多分なにか大きな流れを見誤ることになるんじゃないかと。

 

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自分の、そしてカミさんの実家がある神戸の話、そして阪神大震災に関する話を何度と無くエントリーに書いてきたのですが、とりあえず17年目となった今日も、やっぱり色々と考えています。17年前のその日は私もカミさんも神戸にはおらず、テレビの報道にジリジリしながら必死にそれぞれの実家や親戚のところに電話を掛け続けた日の事は今でも思い出します。そして、そのあとの年月がどういう風に流れてきたかと言うのも(そこに住んでいるわけではありませんが)自分の家族の事、知人友人の事として一緒に過ごしてきたという意識は持っています。

もちろん、その場で何が本当にあったのか、どうやって今に至っているのかと言うところを自分の体験として持っている訳では有りません。でも、自分の事としてそれらを受け止める事ができる位置にはいると思っています。そして、昨年の3月の震災。考える事、考えるべき事は絶える事が無い今日この頃。

 

もう多くの方が新たに理解し始めている、復旧と復興の違い

精神論というか正論の世界かもしれませんが、一度何か起きてしまいそれ以前の社会を構成していた色んなモノが変わってしまうと、基本的には元に戻すことは非常に困難です。これは別に震災のような大きな災害に限らない話ですが、単純に復旧を目指すのと新しい形を作り上げてゆく復興とは全く別次元の話だったりします。

災害という面で言うと私自身が直接触れたことのある例としては阪神大震災の例しかないんですが、社会の方向や行政の施策の中でどのように段階を経てどのような形に持ってゆこうとするのか、してきたのかと言うところは手探りでやるしかなく、そしてその評価は直接関与した人たちとは別のところでなされる部分があったりして、非常に難しいものです。ましてや昨年3月の震災の被害の広がりや規模を考えると、確かに誰も経験したことのない世界に踏み込んでいるのは私ごときがここで改めて指摘する必要もありません。

そんななかで、私が何をできるのか、私が何かをする人をどうやったらサポートできるのか、後世にそれらを伝える事の何かができるのか、なんだかんだ・・・ そんな中、早晩大きいのが関東から東海にくるぞという話は昔からあるわけで、そうすると今度は完全に自分の問題としてそこに対峙する必要がでてくるわけで、そのためには自分は何を備えているべきなのか。

既に思考のループに入ってる場合じゃないような状況ではありますが。

 

変わらないことと変わってしまったこと、そして変わり続けること

これは、その土地に住んでいる人としての評価と住んでいない人の判断とでは全く違うわけで、何が良い悪いという次元の話ではありません。そして人の心の問題はそれぞれの話なので、更に別の次元の話。ただ17年も経てば普通に色んなモノが移り変わるわけで、たとえば明石から神戸芦屋西宮といった地域はその歴史を踏まえて今があるわけです。

自分はどうするのか
これからどうしてゆきたいのか
何をどう守りたいのか
などなど、などなど・・・

そんな事を毎年考える1月17日、そして今日はその17年目だったりします。

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以前からCGM即ちConsumer Generated Mediaってどうなの?という議論はずっと有ったわけですが、ここにきてグルメサイトのコメントの内容の話から再び火がついた格好の「信憑性」の問題。でも、そもそもそこにあるのは一定の目安であって信憑性を判断するのは受け取り側の姿勢の問題じゃないのかなぁと改めて思うところであります。

それを踏まえつつ、私自身はそこに「独立性」とか「中立性」、「公正さ」、そして「信憑性」を求めるのはそもそも筋違いじゃないですか?と思うんですが、どうなんでしょう。

 

「メディア」に対する信頼の寄せ方と拒否の仕方、そして贔屓の引き倒し

人間誰しも自分が直接声を聞ける範囲というのは限られていますから、その外の話というのは基本的に何らかのメディアを通じて入手しようとするわけです。これはいわゆる社会問題や政治、経済に限らず、それこそ「美味しいものを食べたい」という欲求を満たすための行動としてもあるわけで、だからこそ美味しいものを食わせるお店の情報というのは大昔からあるわけです。それこそ東海道中膝栗毛なんてのは江戸時代の旅行記という形を取りながら途中の街々の紹介やら美味しいものの紹介をしているわけで、その意味では一種のグルメ本に近い性格を持っていたりします。もちろんそればかりではなく江戸や大阪、あるいは他の地域でもそれぞれの地域の紹介や名産物の紹介をする「メディア」は色々あったわけですが、当然のようにその信憑性やら何やらも議論にされてきたわけで、だからこそ多くのモノは淘汰され、文学的な価値やら何やらを踏まえて生き残ったものを現代の私たちは目にする事が出来たりするわけです。

ただ、ここで重要なのは、そこに何かしらの編集編纂の意図があるわけで、それが全て「中立」であり「公正」であり「信憑性の高さを誰かが担保した」ものではないというのは何ら変わり無いわけです。で、それが時代が流れて今だから大丈夫なんて誰かが言っているのか良くわからないのですが、その意図を排除してユーザー目線で、消費者の視点で情報を集約してゆけばより良いものが作れるんじゃないか?的な流れがCGMの発想にはあるんだと理解しています。

でも、そこで公正さやら何やらを結局誰も担保しないなら、単なる希望的観測にすぎないんじゃないのかな?と常々思う私です。

 

情報を流す人には必ず流す意図がある、という視点

これは私とて同じだとは思いますが、何かしら誰かに何かを伝える人には必ず意図があるはずです。それを誰の視点から見たら良い話で、別の人から見たら良くない話で、という議論は当然あります。それは立脚する主義主張や目的目標行動原理その他の違いから出るものですから、それ自体を云々言うべきではないというのが私のかねてからの主張だったりします。

たとえばCGMに類するもので言うと、自分でざっと思い出してもこんなエントリーを書いていたりします。

スパムコメント、そしてスパムラベリングが中立性や公正性といった訳のわからない概念を嘲笑っている 2011/09/08

賞味期限のない口コミサイト情報には意味は無い 2011/06/21

ステルスマーケティングとソーシャルな何かとの微妙な関係 2011/06/17

ネット上の情報は常に最新ではあるが、直近の情報だとは限らないというコトは社会的基本合意事項として認知されている? 2010/09/15

3つ星の視点 2007/11/27

編集姿勢の偏向は当たり前だと思い続けたい私は変かな? 2007/10/27

こうやって並べると、いかに自分がシニカルにCGMおよびその周辺を眺めているかってのが改めて判って凹みますが、とりあえず自分的には一応主張の一貫性はあるよねとは思っています。それを凄く乱暴に単純に一言で言うと「信じる信じないは自分の責任で、その責任を誰かに転嫁するべきじゃない」というコト。いや、結局のところ、そういうことじゃないかと思います。もちろん法的に問題があるとか同義的にどうよ云々とかそういう話はあったりしますが、まずは情報の受け手としての自分の主体性をどう捉えるかというところが大事なんじゃないかと思います。

盲目的に何かを信じるのも1つ。全てを疑うのも1つ。そしてその間のグラデーションのどこに自分の立ち位置を置くか。そういう風に考えると見える風景も違ってくるんじゃないかと思うんですよ、私は。 

 

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何か行動を起こそうとするとき、多くの場合には何かしらの目標とか目的があるわけです。これが純粋に個人の話であれば何も考えずにただフラフラってのがアルとは思いますが、それが何かしらの組織であれば必ず目標なり目的があるわけです。で、その目標ってのは当然設定時点では実現できていない事な訳ですが、逆に言うとそれを裏側から見ると弱みの部分が透けて見えるというコトもあるわけでして・・・

 

企業のトップの年頭所感にみる、その企業の弱み

随分昔、営業をやっていた頃に先輩にも言われていた事なのですが、講演なり何なりで目標として掲げられるモノというのは基本的にその組織なり人なりが実現出来ていない事であるという理解ができます。もちろん積極的にこれをやるぞという部分はもちろんありますが、内容によっては今の自分なり組織なりが実現できていないものをそのまま反映する事があります。

因みにそれを企業のトップの年頭所感から読み取るという流れの記事を日経新聞のサイトで見かけて、そういう見方ってのはアナガチ外れていないよねという事をあらためて思った次第。たとえば「グローバル人材の育成が必要」、「(事業の)グローバル展開が必要」、「顧客視点が重要」などなど。これは正に裏を返せば「これらが出来ていないと判断している」わけです。

因みにこれらの年頭所感については新聞やネット上で多くに触れる事が出来るわけですが、個々の企業のトップが何を考えているのか、自身が率いる組織がどこに行くべきだと考えているのか等などが端的に判る種類のモノです。もちろんそれを喋っている場に居合わせたときに口調や身振り手振り、あるいは資料などから伝わる臨場感というものは伝わってきませんが、それでも多くの情報がそこに詰め込まれているのは事実。そしてそれの裏側を透かしてみるのも1つの味わい方だと思います。

 

ただしその発言に至る流れを理解していないと誤解する部分もあるわけで

端的な表現の裏側には当然のように色んなモノが巻きついているわけで、たとえば同じように見える「グローバル人材の育成」云々という話にしても、その企業なり組織の風土やらビジネスの状況などを事前にある程度理解していないと、それが単に英語教育的なものなのか、その企業としてのビジネスの進め方そのものまでを含めた話なのか、あるいはまったく別の観点からの話なのか、そもそも単に流行り言葉として取り上げただけなのかというのは理解できません。

更に言うと、そもそもその企業なり組織がどこに向かおうとしているのか、その業界自体はどういう状況なのかなどを理解していないと、単純に額面だけで受け取ってしまってその裏側にある何らかの危機感や方向感を読み取る事は出来ないわけで、だからこそ色んな情報に常に接していないと変な理解だけに留まってしまうわけです。それこそ週刊誌の中吊りだけを眺めて記事内容やその裏側まで判ってしまった気になってしまうのと同じだったりします。あ、もちろん自分自身がある程度の情報を持った内容であれば見出し1つでいろんな事を思い浮かべる事が出来るわけで、そこは否定しませんが。

 

情報はネットだけにあるんじゃないという至極当たり前の結論

もちろんこれらの情報を後から検索し参照するにはインターネットで繋がった世界は非常に楽な仕組みである事は今更言う話ではありません。でも、そこで見つける事が出来る情報の裏側までキチンと押さえること、つまり裏取りをするのはそれほど楽な話ではありません。極論の世界ですが、たとえばブログにしてもなんにしても、本当に本当の裏側の話全部をそこに書いたりしないよね的な話もあるわけで、結局のところ誰かが何かの意図を持って必要と思える部分だけを文字にしていたりして、でも実際にその文字が書かれる裏側には山のように多種多様な経緯が巻きついているわけで、あたかも裁判記録か何かのように全ての経緯や因果関係、そしてその結果までが赤裸々に明かされる状況など滅多に無いんじゃないかと、少なくとも私は思っています。

だからこそ普段から色んな情報に接するということは大事で、だからこそ紙やら映像やらも含めた多種多様な媒体に接し、好き嫌いをとりあえず一旦忘れて色んな立場の人の話を聞き、意見交換をすることが大事だよねと確信しているんですが、下手をすると自分の目の前で流れる情報だけに頼る向きもあったりして、私ごときをしても何だかなと思う事があったりします。

もちろん自分自身がそういう風に見られてる嫌いは当然あるので、そこはそれ自分で諸々絶えざる努力をする必要があるんですが。

 

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何を隠そう(いや、別に隠してるわけじゃないんですが)指輪好きな私。いや別に宝石がどっかーんと乗ってるのとかじゃなくて、シルバーの指輪が好きなんです。なんで?とか言われると非常に説明が難しいし、別に宝飾関係者が近くに居るとかそういう話でもないんですが、なぜか普段からシルバーの指輪をしています。だから何だという話ではあるんですけれど。

 

結婚当初カミさんに「結婚指輪は外さない」と言い切って驚かれた過去

多分普段私と接する方からすると、私が指輪好きには見えないとは思います。いや、好き嫌いというかそもそも興味ないでしょ?という風に見られると思うのですが、そんな私が30年近く前に結婚したときにカミさんにそう言い切ったら非常に驚かれたりしました。それ以降、幸か不幸かずっと同じ指輪をしているのですが、そのうち何となく増えてきちゃっています。

流石に仕事中は自重して結婚指輪の他には左手の人差し指に裁縫用の指貫かと思われるようなのを1つだけ付けていますが、この状態は私にとって「ON」の時間。じゃぁ「OFF」の時間は?というと、実は右手にあと3つくらいつけています。それで短いモヒカン状態の髪型のまもなく50なおっさんですから、真面目なダークスーツを着ていてもカタギには見えないかもしれません(笑) も1つ言うと、結婚指輪以外全部外した状態は自分にとって「ON」でも「OFF」でもなく「PRIVATE」な時間。色々理由があって増えた指輪なんですが、そんな気持ちの切り替えのためのスイッチという役割を持っていたりします。逆に言うと、それぞれの指輪を買ったときにはそれなりに経緯があったりするんですが、まぁそれは非常に個人的な問題なので、ある意味どうでも良い話。

ただ、それぞれにそれなりに経緯と意味合いがあるのは事実ではあります。

 

One Image One Attitude

因みにシルバーのアクセサリー好きというと多くの場合骸骨系のデザインとかを思い浮かべる事が結構あったりしますし、ショップに行けばそんなのが山のように有りますが、私自身はそういうのは持っていなくて、それこそ裁縫用の指貫みたいなのが多いんです。本当は指を覆う鎧みたいなのとか欲しかったりするんですが、いい感じのが意外と見つからないんですよ・・・ってのはどうでもよくて、手持ちのに1つにメッセージを刻印したのがあるんです。それがこの言葉。

「One Image One Attitude」

別に深い意味は無くて、某有名宝飾メーカーが某有名アパレルメーカーのブランドで出していた指輪のシリーズの1つで、プレーンなデザインの指輪の表面に色んなメッセージを刻印していたシリーズがあったんですね。で、たまたま仕事上非常に厳しい状況にあった30代半ばにふと店頭でこれを見つけて、しばらく考えて買い込んだのがそのメッセージが刻印されていたシルバーの指輪。ずっと身に着けていますが、大した傷をつけることも無くいまだに現役だったりします。

で、別にこのブランドの宣伝をする気も無いのでそれはどうでも良いのですが、そのときに引っかかったこのメッセージってのは、いまだに自分の行動原理のどこかにあるような気がしています。

因みに英語的には何を言ってるのかよく判らんところではあるんですけれど、とりあえず芯をしっかり持とうぜというメッセージだよねと自分的には理解しています。まぁ、どの道趣味の世界の話と自分の思い込みの話なんですけれどね。

 

自分は何に立脚し、何をどうしようとしてるのかを常に考える

念頭の挨拶とか決意なんて次元の話ではなくて、行動原理の根っこの話。余りに根っこなので変えようがないのですが、そもそも自分は何者であり、何を立ち位置の基準とし、何をしようとしてるのかを常に考える事ってのが大事だと思ってるんです。もちろん1人ボッチで何かをしているわけではありませんからそこには必ず自分が働きかける誰かがいて、自分に働きかける誰かがいる訳です。そしてそういった関係の中での距離感の計り方とか影響の度合いとか諸々考えつつ、1人の人間としての自分ってどうなの?という問いかけがそこにある訳です。

もちろん題材は年により、そして歳により変わるものです。環境が変われば価値観も変わるし、そもそも変わらないものは何も無いわけですからそこでどうやって泳ぎ渡ってゆくかということを(変な意味ではなく)意識しながら生活してるわけです。時には攻撃的になることもあるでしょうし、時には凹んでどうしようも無いときもあるわけですが、まぁそれも流れ。

 

と、まぁ、自分の置かれている環境やら自分の観測範囲の状況など諸々考えるに付け、あらためてそういうコトをもう一度考え直している2012年の仕事始めです。

 

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立場上通信関係の話、特にケータイを含む無線通信関係の話には触れないようにしているのですが、昨今のWiFiのアクセスポイントに絡む話はやっぱりちょっと思うところがあって触れる事にします。もちろん1人のユーザーとして通信サービスを利用できる場所や方法が増えるのは歓迎しますし、それで自分が今までより便利になるなら嬉しいのは事実。でも考えないといけない事があるのも事実なんですよ。え?なにそれって?

 

物理法則は誰にも変える事はできない

3G携帯電話でもPHSでもWiFiでもWiMAXでも、全て電波を媒介として通信を行います。通信規格や利用できる帯域幅、伝送のための技術、そして周囲の建物やら何やらの環境によって通信できる速度やら何やらが変わるわけですが、空間を飛ぶ電波のところは基本的に同じ物理法則に基いているわけです。これが商用無線であればお互いに干渉が極力起きないように調整しますし、自分自身のネットワークのカバーする密度を上げるために基地局を置くための設計をやり直して出力やらアンテナの方向やらゲインやら何やらを調整してゆくようなことも当然するわけです。この部分はいわばプロの世界であり、それぞれが決まったルールに基いて動く世界。

かたやWiFiの場合、元々公衆サービスをする事を前提としていない規格なんで、お互いの干渉とか全く意識していなくて、極論するとアクセスポイント自体は世の中には自分しか存在していないと信じて動くようなものだと思ってもいいかもしれません。それが閉じた空間、たとえば自宅だったり壁面で囲われたオフィス空間だったりというところで利用されるのが本来の姿なんですが、たとえばそれが屋外だったら、そしてお互いの電波が届きあってしまうような環境にあれば当然ですが所期の速度なり品質なりを保つのは難しくなります。

因みにこれは不正アクセス云々といったレイヤーの話ではなく、純粋に無線の世界の話。同じ周波数を使い、お互いの干渉を避けるという動きを基本的に求められない機材が混在するとどうなるか。これまた極論すると会議室の中でみんながワーワー言ってる状態で誰が何を喋ってるのかよく判らない状態になるわけです。これが相互の干渉で、これを避けるための方法はあるんですが、それを全てのアクセスポイント機器が実装しているかどうかは別の話。

 

でも屋外でそんなに干渉しまくることってそんなにないでしょうって?

今はそれほど多くは無いですね。そもそも無線出力が小さいし、使う周波数も比較的高いところなのである程度の距離があれば大丈夫ですし、壁を抜けるときの減衰も大きい。だからたとえばマンションの個々の部屋でアクセスポイントを設置していてもそれほど大きな問題にはならなかったりします。もちろん設置場所やらアクセスポイントの機器によっては周囲に電波干渉を起こす事がゼロではありませんが、少なくとも壁を挟んでいれば、というところはあります。

でも、WiFiのアクセスポイント自体が動きまわる世の中ですから、そう楽観しててもさぁって状況があるんですよ。でもアクセスポイントが動き回るって?

 

3GやLTEで繋がったWiFiのアクセスポイントを持ち歩くというコトの功罪

私自身、3GやLTEなどの公衆網に繋がるWiFiのアクセスポイントを持ち歩く事自体を夢にまで見た時期が長かった人ですし、そういう環境が使えるようになって本当にありがたかったし、その意義やメリットは百も承知しています。そしてそういう使用方法が今後なくなることは無いと断言しても良いと思っているくらいです。あくまでもユーザーという立場でモノを考えた場合。

ただ、これを無線の世界から見るとですね・・・ たとえばWiFiが使える喫茶店やら何やらにこの機材を持ち込むというのは、無線の部分から見ると同じ周波数でそれなりの出力を持った自分と同じような機器が突然邪魔しに来るみたいな話になるわけです。当然電波は干渉を起こしますし、お互いにそれを回避する手段を持ちませんからワーワー言いながら誰とも会話が成立しないような状況が起きるわけです。そしてこれが幾つも同じ場所に集まってしまうとですね・・・ それこそ渋谷のハチ公前交差点でみんながワーワー言ってる状態になるんですが、そうなると電波強度は最高なんだけれど全然繋がらないとか、あるいは速度が出ないとかそういう話になるんです。

じゃぁルールを作ればって?いや、だから、そもそも現在のWiFiのアクセスポイントは世の中に自分しかいないと思って動く規格ですから、なかなか難しい。じゃぁWiMAXってどうなの?とか言う話になることもあるんですが、それはあくまでも通信規格の話であってそれを媒介する無線(つまり電波)の制御の話とは別次元のお話。同じ周波数を使ってる限り必ず干渉、つまり邪魔しあいます。

とまぁ、難しい話になるんですが、少なくともそういう事が起きてるんだよってのは覚えておいて損はしないと思います。

 

じゃぁどうすりゃいいんだよって?いやぁ、それは・・・

とてもむつかしい話です。相互干渉を避けるためのプロトコルをWiFiの規格に実装して全ての機器がそれを利用できるようになればいいんでしょうけれど、それは夢の話。じゃぁ商用無線サービスとして、たとえばLTEでもなんでもいいんですが、そういうサービスが隅々まで使えるようになればいいんでしょという話になると、実効速度の問題や料金体系、そして端末機器の問題(WiFiが使えてしまう機器が余りに多い)などからやっぱり簡単な話じゃない。

ってことで、そのうち「無線データ端末の電源はお切りください」という告知が出る店が出現すると凄いなとは思うのですが、ポケットや鞄の中に忍ばせてしまうと見た目で存在がわからないわけで、いちいち手荷物検査しなくてはいけないという、わけの判らない話になるような気もします。

因みに余談ですが、無線区間がいくら速い規格であっても、それと何かしらのバックボーンネットワークに繋ぐ部分が必要にして十分な速度が出ないと遅くなるのは当然で、でもそこは通常見えない話なので話題にされにくいんですけれど、そこに触れると更に面倒くさい話になるので、今回は触れません。

便利なのは便利。これは事実。でも、便利になってる裏では色んな事が起きてしまうという難しいお話でした。

bibendum_iwa

色々な理由と経緯と知り合い関係の諸々があって、先週木曜日にLinkedInとは何ぞやという話をする場に居合わせる事が出来ました。ちょっと前に日本語画面が提供されるようになったタイミングで「LinkedIn上陸だぁ」と言う話でメディアまで含めて盛り上がったのですが、数年前からLinkedInにアカウントを持ち、それなりに使っている私はそれを「なんか違わない?」と少々冷ややかな目で見ていたのは事実。LinkedInが違うって?いや、そうじゃなくてLinkedInってそもそも何なのかという理解の仕方、その受け止め方、そしてメディア各社の対比させる図式についてです。いや、別に私自身がLinkedInに勤めてるわけでもないので、だからどうのこうのという発言は基本的にしていなかったのですけれどね。

 

LinkedInもそもそもは自分を表現する場であるけれど、一般的に理解されているSNSの世界とは違う立ち位置

元々日本語のメニューが全く提供されておらず、日本人で登録している人はどちらかと言うと外資系企業に勤める人も含め基本的なコミュニケーションを英語で出来る人が中心だったのは事実だと思います。因みにLinkedInにアカウントを取る切っ掛けの多くが転職先を探すというのが動機のひとつであることが多いのは事実だと思います。しかも英語だけの世界ですから所謂外資系企業へのアプローチ、もしくはそこへの転職をサポートする企業への売り込みの場みたいな所はあります。正直これは間違いなくあります。実際、LinkedInに公開されているProfileをスキャンしてビジネスをしている企業や個人がいるもの事実です。

そういうのが基本的な発想でいる人が一定数いるのは事実で、だからこそLinkedInの理解としては「転職活動のための場」という理解がされてもおかしくなくて、それはある側面では正しいとは思います。これは今でも思います。そう考えると、他のSNSの場とは違ってその場で自分が同見られるべきなのか、どう見られたいのかというのを意識するレベルが違うのも事実。もちろん今となってはFacebookやTwitterのアカウントと連動できるようになっていますから、たとえばTwitter上でtweetしている「はらへった」とか「ねむい」とかも流れ込めるのではあるのですが、基本的にそこで表現するべき自分というのは演出するという考えとは別にビジネスの上での自分をそこで表現する必要があるわけです。そうなると余計な発言やら何やらはむしろ邪魔になる。そういう世界は他のサービスでやればよい。そんな切り分けですね。

 

LinkedInで表現する自分がLinkedIn上で求めるのはビジネスの世界の話、という位置づけをもてるとすると見える使い勝手

転職活動、というのは自分を表現しながら売り込むという一つのビジネスと言えるのかもしれません。因みにそういう言い方をすると、たとえば新卒就活中の学生さんからみると非常に敷居の高い話になります。なにしろProifleでいきなり職歴を入れろと来ますから。もちろんそこには例えば何かの活動に参加した話とかも書けばいいのですが、他の人を見ると○○会社の○○部門でなんたらかんたらというProfileばかりが目立つ。もちろんそんなの関係ないよとその場を利用するのは全然問題ないし、私ごときが四の五の言う話では無いですが、実際にはそんな世界ばかりが目に入るわけです。今でこそ平気な私ですが、色んな理由があってアカウントを取った頃は日本人の登録者自体もそれほど多くなく、それなりに気後れしたのも事実です。

ただ、ここでチョイと目線を変えると面白い事に気が付きます。このあたりの話はたとえば加藤恭子さんがリンクトインは巨大なデータベースだったというエントリーでも書かれていますが(というか、実は私、この場に居合わせたんです(笑))が、LinkedInというサービスにあるのはスキルセットのありかを教えてくれる巨大なDBであり、そこで誰かを探す行為というのは「人を探す」だけではなく「仕事のパートナーを探す」という側面があるという本質論があるんですね。

たとえば雇いたい人を探すというのは本質的には人が欲しいのではなくて目の前のビジネス上の課題を解決するための人が欲しいという根本的な話があります。それがその人の直接雇用という形を取るのか、あるいは必要なスキルセットと仕事をするという部分の繋がり=仕事上のパートナーを探すという形を取るのかというところ。ここが大事な訳です。ただしこれが企業に属している人であれば個人として立ち回るには限界がありますし、その人が所属している企業がいきなり何かしらのサービスなりパートナーシップなりを作って云々と言う形になるのは簡単じゃないのは、それこそ30年近くもサラリーマンやってる私じゃなくても誰でも判る話。

ただし、自分がこういう人です、こういうコトをやってきた人ですというコトをまとめるという行為自体は色んな意味があるんじゃないかと思います。企業に勤める上でそこで自分の職歴みたいなものを晒すこと自体に色々なリスクがあるのは百も承知ですが、これからの世の中、自分がどういう人かというコトを表現できないと見る事が出来なくなる未来があるような気はしています。それは私だけの話かもしれませんが、でもどんなに長く勤めても定年は来るわけで、でも定年が来たからって年金で悠々自適なんてのは無いわけで、もちろん仮にそうであっても何もしないで暇を持て余して死にそうになるのは死ぬほど嫌な貧乏性なわけで・・・ あくまでも私個人の話ではありますが。

 

上辺や掛け声ではないパーソナルブランディングというものと、そもそもSNSはないんだよという理解

例えば別に世の中の色んなSNS上で実名匿名を問わず色んな自分を演じることは可能です。もちろん知り合いがそこに居れば演出されたものは直ぐにバレる訳ですが、でもそれらを通じて何かしら自分を作り上げる事は出来ます。

でも、自分が何をやってきた人なのか、というところをキチンとリストにすると、どうしても取り繕えない部分があるのは事実です。しかもその履歴に第三者のReviewが入るようなシステムであれば尚の事。そういう立ち位置であれば別に毎日LOGINして誰かに声を描けたりする必要もない。層考えると・・・ 既にLinkedInっていうのはSNSじゃないんですよね。

因みにこの話、前述のLinkedInの勉強会でのディスカッションの中でふと思って私が発言した「そもそもLinkedInってSNSじゃないですよね」という言葉をディスカッション中、更にはその後にずっと頭の中でリマインドしているうちにキレイに腑に落ちたんです。もちろんそれ以前からそういう方向では理解していたんですけれど、口に出して表現し、それも含めて何人もの方とディスカッションするなかで確立した考え。

 

別にだからと言ってLinkedInを擁護するとかそんな話じゃないですけれど、使える場ということではずっとそこにあってほしい類のサービス

正直TwitterやFacebook、Google+などの上で本当に仕事の話が出来るとは思っていません。もちろんこれはそれぞれ意見や立場立ち位置がありすから一概に駄目だという話ではなく、あくまでも私自身の志向と環境の問題。ただ、私の場合には駄目です。もちろん何かしら仕事に絡んだ話がそこで展開されるケースがゼロではないのですが、どんなにセキュリティがしっかりしていていも基本的には公衆の面前ですから出来ることと出来ない事があるし、するべきでないと自分が判断するケースも一杯あります。

それに対して自分が仕事をするパートナーの状況を事前に調べたり、あるいは自分の事を「真面目に」知ってもらうための場として使えるというのは非常に貴重なのかもしれません。もちろん今後10年先までそうなのかとかってのは良くわかりません。でも、少なくとも今はそういう風に使えるわけで、それが出来る場は他に無いとすれば、やはりLinkedInはSNSではない、という結論と理解が出来ると思うんです。

しかしながら、こういう場を使う事自体、たとえば企業の人事部門のみならず諸々面倒くさい事が起きるリスクもあるのも事実。このアタリは雇用環境や商習慣などが深く絡むので難しいのですが・・・ 曰く「お前LinkedInに登録してるみたいだけれど転職活動してるんだろ」と言われると面倒臭いことになるとか、どこまで書いても良いのか誰も教えてくれないぞとか、書いたら書いたで一杯リスクが有りそうなんだけれどそれはどう理解すればよいのかとか、なんとかかんとか。でも、定年延長うんたらかんたらという話があるってのは逆に雇用や年金制度がグダグダだからなわけで、そんななかでキチンと自分がどういう人なのかを表現する場ってのは大事にしないといけないよねと思うんです。

少なくとも外資系と日本の企業数社を渡り歩いてきたつたない私の経験をもってしても、です。

bibendum_iwa


プロフィール

岩永慎一

岩永慎一

外資IT、日本のIT系を経由して現在通信事業者に勤務。営業やSE、更にはコミュニケーション系を中心にありとあらゆるマーケティング関連の仕事を経験してきたが、現在は通信業界の特殊部隊として常に完全装備で課題に取り組む。

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