オルタナティブ・ブログ > 永井経営塾 >

ビジネスの現場で実践できるマーケティングと経営戦略をお伝えしていきます。

日本軍から学ぶ 『情報は客観的に見るべきであり、主観的に見てはいけない』

»

NikkeiBPに掲載された『日本軍のインテリジェンス』の書評記事は、日本軍におけるインテリジェンス活用の分析を通じて、マーケティングの中でも非常に重要な市場分析の勘所を捉えています。

---(以下、引用)--

 情報部が神風特攻隊の戦果を控えめに算出すると、作戦参謀からこう批判されたという。「情報部の奴等は、作戦の現場にいたわけでもなく、作戦部隊の報告を無視するような戦果を云々するのはけしからん」。情報部が提供する情報に基づき、作戦が立てられるべきなのに、これでは本末転倒である。

---(以上、引用)--

 「彼らは命を賭して敵を攻撃した」
⇒「従って、大きな戦果を挙げないと浮かばれない」
⇒「大きな戦果を挙げられるはずだ」
⇒「いや、大きな戦果を挙げなくてはならない」
⇒「しかるに、この戦果報告は何だ!」

というように、本来は客観的に見るべき情報を、希望的観測で主観的に見てしまっているということでしょうか?

例えば、太平洋戦争の大きなターニングポイントとなった1942年のミッドウェイ海戦では、日本海軍は事前に図上演習を行いました。

作戦の客観的な評価を行うために、攻撃の命中率はサイコロを使用していましたが、演習を行っているうちに日本軍が不利になると、演習の途中で「米軍の命中率は、日本軍の半分以下とする」というルールをその場で作ってしまいました。

同様に、サイコロで日本軍の空母が撃沈されても「今のはなかったものとする」と宣言しました。

結果、日本軍は、正規空母を4隻失うという大敗を喫し、その後の太平洋の制海権を失いました。

客観的に見るべきところを、主観的に見ると、いかに悲惨な結果を招くか、という好例ではないでしょうか?

---(以下、引用)--

 インテリジェンスサイクルが停滞すると「情報の政治化」が起こる。ある情報に即して、適切な政策が決められるのではなく、まず政策ありきで、その政策の実現に反する情報は黙殺または曲解されてしまうのである。

---(以上、引用)--

ある意味、情報を政治的に活用することは大切です。例えば、現場での士気維持のためには、事実の中からよりよい情報を見つけて提供する必要があります。しかし、真実を曲げるべきではないのことは言うまでもありません。

記事では、陸軍の軍人が書いた文章を紹介しています。

---(以下、引用)--

「情報収集の目的は、『事象の実体を客観的に究明する』にある。ところが日本人は主観を好む。主観は『夢』であり『我』である。これは己個人に関する限り自由であるが、我観及び主観を国家の問題に及ぼすにおいては、危険これより甚だしきはあるまい」

---(以上、引用)--

国家を企業に置き換えて考えたいですね。

ポイントは、事実に対しては常に謙虚に学ぶ姿勢なのではないでしょうか?

その事実を謙虚に学ぶためには、主観的ではなく客観的に捉えるべきです。

定性的分析も必要ですが、時に主観的な観点が入ってしまいます。

従って、主観的な観点をできる限り排除し、客観的に事実を捉えるためには、数字で達成度を評価することが極めて重要なのではないでしょうか?

但し、この数字にしても、目標設定によっては恣意的にコントロール可能です。従って、達成度把握のためには、注意深く数字で目標を立てて、数字で状況を把握することが必要になります。

仮説検証アプローチでPDCAサイクルを回し、改善を図る仕組みは、まさにこれを実現するものです。ポイントは、C (Check)のフェーズで、いかに謙虚に数字を評価できるか、というところにかかっている様に思います。

Comment(2)