若い人に付き合ってもらえない大人の条件は「出し惜しみ」
田中淳子さんの「「若い人に付き合ってもらえる人になる」という発想」という記事を読んで「なるほど、なるほど」と納得していたら、高木さんが条件出しをされている。これはいけない、僕も付いて行かないと、ということで、少しばかり。
若者に付き合ってもらえる人、という発想は、多くのおじさんたちには存在しないように思います。僕は30代の頃から若者が好きで、若者を羨ましがっていたので、この発想はとても分かるんです。「お前ら付いて来い」なんて居酒屋に繰り出しても、身体は渋々来てくれるかも知れませんが、心が付いてきてくれないのですよね。だから、携帯ばかり触っていたり。
でも、心が付いてきてくれる、あるいは逆に誘ってくれるようだと、真正面から話をぶつけてきてくれることがあります。これは本当に楽しい。彼らが何を考えているのか、といったことが見えてきますし、学ばせてもらうことも多いのです。
僕が考える(実証済み)「若い人に付き合ってもらえる大人」の条件も、高木さんと同じく「ケチじゃない人」だと思います。ケチには二つあって、一つは文字通りお金に対するケチ。例えば4人で1万円だとして、「一人、2,500ずつ円な!」なんて言う大人はケチ。自分が4,000円出して、「一人2,000円ずつな!」と言えば、若い人にとっては500円ずつ奢ってもらっただけなんだけど感謝したくなったり。僕はそうでした。そういう先輩ってカッコいい。
ただ、「払ってくれるから」ということで誘われるようになると別の問題。前職で、新人歓迎会で社長に20,000円出してもらって、お釣りを返さずに二次会でカラオケにいって全部使い切るヤツがいたのですが、こうなってしまうとリスペクトもへったくれもないですよね。これはちょっと違う気がしますね。
もう一つは、智慧の出し惜しみをしない大人。 知識を出し惜しみしてもしょうがない時代。ほとんどの知識はネットにありますしね。ノウハウなんてのもモノによっては簡単に見つかります。ただ、智慧ばかりはネットで見つかるものではなさそう。その智慧を出し惜しみする、あるいは出さない大人には、若者は近寄りたくないだろうな、と思います。少なくとも、僕はそうでした。
若い人たちに無闇に高いものをご馳走する必要はないと思います。ただ、ちょっと多めに払うことで「背中を見せる」ことになるんじゃないかな、と思うのです。「次は、自分たちが後輩にやる番だぞ」ということを、背中で示す。そういう先輩、そういう大人ってカッコいいな、と僕は思っていました。そして、お金も智慧も、出し惜しみをする大人って、なんとなくカッコ悪いなと思っていました。「ケチくさっ!」という感じで。
カッコいい大人になれば、自然と若い人たちと付き合えるんじゃないかな、なんて勝手に思った次第です。あ、だからといって居酒屋で「アニキ!」とか呼ばれるのはお断りです。(笑)