オルタナティブ・ブログ > 坂本史郎の【朝メール】より >

ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

人が「熱意」を持てなくなる理由を挙げてみましょう

»

おはようございます。

6時を過ぎると空気が明らかに5時台よりも生ぬるくなってきます。
今日もオフィスでオフピーク冷房。6月は電力使用量前年比28%減を達成!

仕事は「時間」と「能率」と「熱意」が大切。昨日は「時間」と「能率」のバランスを残業という逆インセンティブを排除する仕組みから考えてみました。今日は「熱意」について。

==

起業をした当初、「自由闊達なる理想工場(※ソニーの当初の理念)」のような、自由な空間を目指しました。自分がそれまで大企業で勤めてきた中で、権限が任される、個人の裁量が大きいなど、漠然とした夢として持っていたイメージがあったからです。

それなので、徹底的に時間の束縛も無くして、仕事は個人の創造性に任せてみました。

完全自由裁量性のようなものでしょうか。会社に来ても来なくてもかまわない。指示を基準に動くのではなく、自分で考えて動くのです。それでいて給与は高い。知的作業にはそういう要素が必要だと考えたわけです。

いわゆる体育会系と言われることの真逆をやってみたわけですね。

ところが、これが大失敗をします。1年もすると、笑いは多いけど、時間は守らない、指示系統はない、とてもだらしない組織が出来上がっていました。理想を求めていたのに、結果は逆に出てしまったのです。

何がいけなかったのか。悩みました。そして、当たり前のことに気がつきます。

人は自由で勝手気ままでいい状態で仕事を与えると、必ず低い方へ流れていきます。自分を律する気持ちがだいぶ強い人でも、特にフィードバックが無いと仕事を少しずつ怠けるようになります。最終的には「あ、そこまで怠けていいのね」というような、低さの比べあいのようなことが発生します。「熱意」などは欠片も存在しなくなります。

放任していたのでは組織は動かないのです。自分が理想としていた自主的で自由な働き方を目指したのですが、それには手法がありました。人が組織としての「熱意」を失うのには次の要素があります。これも失敗しながら徐々にわかってきたことです。

■平等性が損なわれる
 →「不幸には強いが不平等には弱い」(という
真理子さんの名言)
 →一生懸命でいることが馬鹿臭くなる

■全体像を見失う
 →全体像が見えない
 →立場によって見えているものが違う

■自分の存在意義を見失う
 →私がいなくてもこの組織は動く
 →仕事で貢献できていないという意識

■成功がイメージできない
 →何をしたら喜ぶの?
 →誰を喜ばせたらいいの?

■指示が不明確
 →自由にやっていいというのはツライもの
 →何をすればこの組織に貢献できるの?

■だらしないことが容認される
 →時間を守らない
 →整理整頓をしない

それなので、これらの要素を消すように一つ一つ行動するしかないわけです。

これらを「権威主義」で強制しては自分の目指してき理想ことが崩壊してしまいます。それなのであくまでも、誰もが納得して仕事をする「納得主義」を貫きました。

そしてできたのが、「逆さメガホン組織」という組織のイメージです。簡単に説明すると、ビジネスは次々と逆さに立てたメガホンの中におちてくるボールを拾うのがゲームであり、リーダーは一番下でゴールキーパーをやっている。メガホンのどこにプレーヤーに守ってもらうかを決め、プレーヤーに活躍してもらうというようなイメージです。

この中で、リーダーはプレーヤーで無いことを明確にする必要があります。リーダーは、プレーヤーが万が一エラーしても見捨てない、助ける存在であるだけです。普段は見えていないくらいの存在であるほうがいいのです。(※永井千佳さんの『「優秀なリーダーはいるかいないかわからない」岡田武史、田坂広志が語る日本型リーダーの真髄とは』にはとても納得できるリーダー論が簡潔にまとめられていますね。)

うまくいくことはフロントで頑張っている人たちの成果であり、リーダーは全力が出せる環境を用意する。万が一のエラーのときには、頭を下げるための存在くらいでいいのです。どの仕事も必要があってもらっている。不要な仕事はない。重要度が下がってきた仕事はこまめに整理する。そういったメンテナンスをする仕事なのです。

一人ひとりの仕事の意義と重要性を伝えることを怠ると「熱意」は簡単に消えてしまうのですから。

==

■関連記事

組織のイメージ論 (逆さメガホン組織)

「誰も見放さない」という職場から帰結的にいいビジネスが派生する

ベンチャーを起業して続けたご褒美ってこういうことなのかな

「残業という概念の無い会社にしたい」という起業前からの強い思い

Comment(4)