不幸に強くて不公平に弱い日本人
大震災での日本人の振る舞いは世界中で賞賛されている。
不幸を分かち合い助け合い、略奪は起こらず、規律正しく、毅然とした態度は、日本人として誇らしい。
さて、復興作業において、日本人らしい気配りだなぁと思った事件をふたつほど紹介する。
■全部で5千万円以上?避難所で現金配る2人組
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110423-OYT1T00651.htm?from=top
現金を避難所で配るというかなり大胆な善意の行為をした方がいたのだが、『話を聞きつけたほかの被災者からは「不公平だ」と訴える電話が市に寄せられており、市は「志はありがたいが、被災者に公平に配れる義援金として送ってほしい」と呼びかけている。』
■アメリカの慈善団体の職員のボヤキ(アメリカ人の友人から聞いた話)
100人いる避難所に支援物資の食糧を配ったときのこと。たまたま手持ちに80個しかなかったら、係員から「全員に配れず不公平になるので、結構です」と断られた。アメリカ人の友人は「食べない人もいるだろうし、なぜ断られたのか理解できない」と言っていた。
これらの話を聞いた当初は、そもそもボランティアの支援に平等を求めてもしかたないじゃない、と思ったが、すぐさま、この係員たちの気配りが、現場での混乱とストレスを最小限に抑えているのも事実だろうと思い直した。
苦難を分かち合い、等しく我慢することに日本人はとても強い。
自粛や節約が得意な国民性も「分かち合い等しく我慢する」特性から来ているように思われる。
しかしながら、特性というのは、表裏があり、強みになったり弱みになったりする。
つまり、日本人は不公平になった際に感じるストレスがとても大きいのかもしれない。
公平は難しい。
復興において優先順位をつけることは、公平性(正確には平等と言うべきであろうが)の観点からは外れることもあるだろう。平等でないストレスを抱えながらも、復興政策はメリハリをつけて、これから社会を担う世代が輝くインフラを作ってほしいし、その応援をしたいと思う。