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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

2001年の「上海経済ツアー」:第一章 上海で誰に会うか

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ビジネスの視点を持って上海を回るには、ガイドのような役目を果たしてくれる人の存在が不可欠です。日本から行って長く滞在している人が教えてくれる情報は衣食住の確保などで不可欠ですが、上海で普通の生活を送っている上海人から等身大の消費生活を教えてもらうと、非常に多くのことに気づかされます。以下はすべて2001年~2002年当時の情報であることをお断りしておきます。

参考リンク:「上海経済ツアー」プロローグ

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■■第一章 上海で誰に会うか?

■日本人コミュニティで密度の高い情報を

 上海に進出する日本企業の担当者がまず挨拶に行くのは、邦銀の上海支店だと言う。邦銀の各支店では上海の経済概況を把握するための資料を用意しており、簡単なレクチャをしてもらえると聞く。もっと詳しい情報が欲しければ、JETROの上海事務所や日本の主だった地方自治体が開設している上海事務所に行って入手する。
 進出の際の法人格をどう整えるか、オフィスはどこに構えるか、人材はどう調達するかといった具体的な点については、日本企業を対象にしたコンサルティング会社、弁護士事務所、会計事務所、不動産会社、人材派遣会社などがいずれも複数存在しているので、適宜コンタクトを取って相談することになる。
 もっと細かな部分、例えば、長期赴任の際の住居の確保、現地における日常生活、子弟の教育などについては、取引関係のある企業の方などを紹介してもらい、夕食を一緒にしながら情報をもらうということになるだろう。
 上海ではしっかりとした日本企業のコミュニティがすでに確立しているので、ルートがわかりさえすれば、非常に効率的な情報収集ができる。日本語で、日本人のマインドがわかる同国人から聞く話だから非常に密度が濃い。
 ただ、こうした情報収集から見えてくるビジネスの姿は、日本本社の指示の下で行われる展開、あるいは現地に駐在する日本人を対象にした何かに限られるように思う。上海のコンシューマを直接相手にする事業の余地やアイディアは見えてこない。
 上海を拠点に中国経済と多面的な経済関係を結んでいくという視点に立てば、上海に暮らす普通の個人から話を聞く必要がある。

■偶然に出現したガイド

 2001年9月下旬から2002年2月上旬にかけて計3回上海を訪問し、合わせて約1ヶ月間滞在した。
 初回はまったくの手ぶら、何のあてもなく、8万円前後の4泊5日のパックツアーを買って行った。そもそもは友人が一緒のはずだった。私も友人も中国本土は初めてだし、中国語が皆目わからない。”下見”と称して二人で行くことにしたのだった。
 彼は小売のビジネスを始める余地があるかどうかを確かめ、私は取材に足るネタが豊富かどうかを見極めに行く。
 途中から彼の若い奥さんが猛烈に反対し始めた。臨月を控えて心細いのと、米国の航空会社なのでテロの余波が怖いという。旦那の身を気遣う思いはわかる。私は一人で行くことにした。
 ツアーは余計な観光のないシンプルなもの。到着日と出発日だけは空港・ホテル間の送迎が付く。
 9月27日夜遅くにノースウェストで浦東国際空港に着いた。APEC開催を控えて開業したばかりだと聞いたが、なるほど、どこも真新しくて空間が広い。出迎えてくれたのは、目がくりっとした、私の年代なら斎藤由貴タイプと言えばすぐにわかる容貌を持った女性。名を孫韵斐さんと言った。
 淡いピンクのカーディガンにギンガム地のパンツ。それが上海ではファッショナブルな格好に属するのかどうか、その時点では判断基準を持ち合わせない。いずれにしてもはっきりとした日本語を話し、やや男勝りな風がある。年は20代後半ではないかと思えた。
 1時間ほど車を走らせ、あてがわれた華東大飯店に着いた。くたびれた観のある現地資本の三ツ星のホテル。市の中心部からやや離れた上海駅前にある。チェックインを済ませると、孫さんが部屋に付いて来た。一瞬何事かと思ったが、お定まりの滞在中の注意事項を伝えるためである。
 細々した伝達が終わった後で、彼女はこんなことを申し出た。「どこか行きたいところはありますか?おっしゃっていただければ私がガイドします。半日300元ね」。つまり、一人でも催行するフリーハンドなオプションツアーはどうかと言うのである。
 一瞬迷った。何か裏があるのではないか。それに、まがりなりにも男と女が一対一である。余計な心配も頭をよぎる。だが、日本で申し込んだ旅行代理店と提携関係にある現地旅行会社の方だ。間違いはないだろう。それに彼女はさっぱりした風があり、信頼が置けそうだ。結局お願いすることにした。

 結論から言うとこの判断は大正解だった。
 後からわかったことだが、上海では英語がほとんど通じない。ホテル、外国人相手のレストランやショップ、外資系企業などを除けば、英語でコンタクトをとることはまずできないと考えた方がよい。
 だから買い物をする場合でも、タクシーに乗るのでも、さらには普通の個人の方に話を聞くのでも、中国語ができなければ身振り手振りで行くしかない。つらいのはレストランのオーダー時で、よさそうな店を見つけたとしても、中国語のメニューがわかりづらいのと、言葉が通じないのとで、料理を三~四品組み合わせるのにえらく苦労する。
 ちなみに上海には2~3割のいわゆる外地人が住んでいるが、残りの上海で生まれ育った上海人の間では上海語が話されている。上海語は他地域の言葉とは音がまったく違うので、上海以外の地域から来た人にはまったく理解できない。そこで共通語として機能しているのが北京語である。中国ではどの省の学校教育でも「普通話」として北京語を学習することになっており、教育を終えたほとんどの人は北京語が理解できる。
 補足すれば、少数民族の言語を例外として、上海語、北京語、広東語、福建語といった漢語系の方言は、音こそまったく違うものの、文字ベースでは単一の言語として存在している。だから、どの地域の出身者の間でも最低限、筆談は機能する(ただ、教育によって北京語が普及しているので、筆談が必要なケースはまれ)。様々な地域の方言で制作されているテレビ番組にも、共通理解の手がかりとして漢字のテロップが流れる。
 ということで、他地域では意味を持たない上海語をマスターしないまでも、北京語がわかっていなければ何のコミュニケーションもできない。同じ漢字文化圏だから筆談はどうかと考えるかも知れないが、これもダメである。1つには、ほとんどの漢字が例の簡体字に改められているため、彼らの書く文字をわれわれが判読できない。加えて、日本語世界で頭に入れた漢語は、現在の彼らの口語とは大きく異なっている。こちらの書いた文字を彼らは容易に判読するが、その意味が伝わっていないというケースがほとんどなのだ。
 従って、バックパッカー的に市内をうろつき回って、ハプニングに富んだ1日を終えて満足というのなら別だが、情報を入手するという目的があって上海を見て回る場合は、まず、日本語がわかる中国人か、北京語ないし上海語が話せる現地の日本人をガイド役として確保する必要がある。
 それが到着早々偶然にできたのはラッキーだった。

 翌日から孫さんと一緒に上海市内を回った。彼女は職業的な旅行ガイドなので、連れて行きたがる場所はどうしても名所・旧跡系、推薦するレストランもパックツアーに組み込まれがちの、あまりおいしそうには思えない店だったりする。だから、行き先はすべて私の側がリクエストした。客一人なのでそのへんは気楽である。
 「今日はこことここを回って地鶏の小紹興大酒店」「明日は人間窮六(懐石風中華を出すシックな店)を試してから新天地のバー」などとやっていたら、結果的に上海のさわりとも言うべき部分をとりあえずは見た形になった。
 2日目の夜、上海大戯院の前に降り立った瞬間のことは忘れない。あの界隈には上海市政府、上海規劃展示館といった非常に現代的な公共建築がいくつかあり、それらは定時にライトアップが始まって、あたり一面が光の洪水のようになる。上海大戯院自体もライトアップされた状態で真下から見れば、神々しいぐらいの威容である。そしてそれらを取り囲むように建つ浦西中心部の高層ビル群からも光が降ってくる。その光の中にいると、少しばかり近未来にワープしたのではないかという錯覚に襲われるほどなのだ。
 その時、率直に思ったのは「あぁ東京がもう負けちゃってる」ということだった。そして、そうした上海経済の凄みが、なぜ日本ではほとんど知られていないのかを不思議に思った。

■孫韵斐さんの不動産購入事情

 孫さんとは話し込んでいくうちに、ガイドという枠を越えてかなり個人的な話を聞くことができた。
 彼女は国営系旅行会社の日本担当部門に属している。大学で日本語を専攻し、現在の旅行会社に配属された。年齢を確かめると30代半ばというので驚いた。化粧やつれが見られない上に童顔だから5つぐらい若く見える。キャリア十数年のベテランである。
 結婚はしていない。自ら「独身主義者です」と言う。異性の友達は何人もいるが「日本で言う”付き合い”とは違う」と注釈した。同年代の同性の友達にも非婚者が多いと言う。日本と同様に、都市部では高学歴・晩婚化の傾向が定着しつつあるのかも知れない。
 家では母親べったりの娘々したふるまいをしているのだと言う。帰りが少しでも遅くなれば、母親が心配して駅まで出迎えに来る。
 父は軍需系の国営企業に長く勤務し、すでに年金生活に入っている。母親は医学を修めたが、文革の混乱のなかでその学業があまり生かせず、結婚した。母親の実家は元々、上海地区で電話通信事業を経営していたと言い、かなりの資産家だったらしい。
 父母の家から会社に通っているが、孫さん自身の名義ですでにマンションを買っている。彼女自身の空間としてセカンドハウス的に使っており、その気になれば賃貸収入を得ることもできる。
 収入は確かめなかったが、一般的な企業勤めの女性と比較すれば、かなり多い部類に属するはずだ。語学力を生かした専門職であり、折々はチップももらえる。
 その後、様々な人に聞いて回ったところでは、標準的な大学を卒業した場合の初任給が男女とも2,500~3,000元程度。英語や日本語ができて、それが使える職に就ければ4,000元~5,000元といった水準になる。一般的な勤労者には所得税的な税の負担はなく、若干の年金の支出があるのみである。
 父親がもらっている年金の水準は、退職前の給与とまったく変わらない水準だと言い、これで一家三人の生活はすべてまかなえる。人様の財布の中身を検分するのは悪趣味だが、彼女がもらっている高給はすべて彼女の可処分所得ということになる。
 孫さんは数年前から株式投資を始めており、98年頃から2001年前半にかけての上げ相場のなかでそこそこのパフォーマンスを残した。今は相場が低迷しているから塩漬けである。友達もみんなやっていると言う。何で投資情報を得ているのかと聞いたら、「インターネット」と当たり前のような顔をして答えた。中国でも日本や米国とほとんど変わらないほど、株式情報サイトが充実している。
 彼女は「別荘が欲しい」と言う。同年代の友達同士でも、よくその話が出る。上海市内から数十km程度離れた地域で別荘の開発・販売が行われているらしく、戸建て物件が数万元からある。彼女の月収入が仮に5,000元として、すべて貯金に回せると仮定すると、わずか1年強で別荘が買えるということになる。市内にセカンドハウス的なマンションを持ち、その上、別荘購入を考えるというこの恵まれた不動産環境。言葉もなかった。
 現地の報道メディアなどで確認したところ、上海では30代の独身女性が都心のマンションを購入する傾向が出始めている。購入者に共通するプロフィールは、外資系などに勤める専門職、5,000~6,000元程度の高所得。友達を呼んでくつろいだり、ボーイフレンドと過ごす、あるいは一人きりの時間を過ごす目的で使われている。結婚してからも旦那にはその部屋の存在を教えず、一種のシェルターとして使うケースがあると聞いた。すでに成熟した都市文化の一側面だ。

■日本語が堪能なコーディネーターを探す

 ぶらりと行っただけの上海訪問から帰ってきて、すぐにきちんとした取材をしようと思った。とにもかくにも沸騰する上海の経済パワーをお伝えしなければならない。
 以前、ある銀行系シンクタンクの下で米国の電子商取引状況を調査するための視察のセットアップを何度かやったことがある。訪問企業を選定し、現地のコーディネーターと連絡を取り合ってアポを取り、複数の都市の順路を決め、飛行機と宿は旅行会社に手配を任せる。視察にも実際に同行し、訪問先では熱心に話を聞き、帰ってきてからは報告書を取りまとめる。準備から報告書作成までの一部始終を一種のアウトソーシングとして受ける仕事だ。
 規模は小さいが、今回の取材でもそれとほぼ同じことをやった。準備段階でもっとも重要なのは、現地で動いてくれる人材の手当てである。今回の場合は、取材先のアポ取り、個々の取材への同行と通訳をしっかりとやってくれる人を確保しなければならない。また、若年層の消費カルチャーを把握するという意味では、現地でインフォーマントになってくれる20代の若者も何人か欲しい。
 準備を進めている頃、よく「上海に知り合いかコネはあるの?」と聞かれたが、そんなものまったくない(あればもっと前から上海に着目している)。で、私が使ったのはインターネットである。経緯を書くと長くなるので、ざっくりと端折る。
 一ヶ月ぐらいかかったが、コーディネーター兼通訳をやってくれそうな候補として、劉柏林さん、日本企業向けコンサルティング会社の正詢諮詢公司、カルチャー系のインフォーマントとして原鳴魅(ハンドルネーム)さん、李栄歓さんとつながった。彼らに会って、現実的なお願いができるかどうかを確かめるために、2001年12月中旬、一週間の予定で二度目の上海へ旅立った。

 劉柏林さんは私よりもやや上の年代に属する、哈爾濱<はるぴん>の高校で日本語を教えていた経験がある方だった。日本語は哈爾濱大学で学び、首席級で卒業した。高校教師の生活は楽しかったが、ある時、根本的な疑問を感じ、30代前半で離職。それから日本にやってきて、2~3年前まで東京大田区に住んでいた。伝手が何もなかったため、様々な職業を転々としたが、努力して土地家屋検査士の資格を取り、後半の数年間は自営の法人を構えてそれを業とした。妻も子供も呼び寄せて、一家で幸せ暮らしたと言う。日本時代を懐かしむ愛日家である。現在は、日本の小さな商社の上海駐在員として、家具などのバイヤーとして働いている。自由になる時間があるので、私の取材の手伝いをしてもいいと言った。
 日本に根を下ろして生活していた経験が十数年もあるため、日本人のマインドはよくわかる。言葉の綾もよく理解してくれる。通訳としては申し分のない方である。後に企業取材のアポ取りを進めていく中で、彼のタフネゴーシエーターぶりが明らかになっていく。6~7割の確率で中国企業取材のアポが取れるのである。また、彼を通じて上海に在住している複数の日本人スペシャリストに会うこともできた。彼の存在なくしては、本書は成立しなかったと言っていい。
 
 中国で日本語を学ぶ層は分厚い。ある時、日本語でホームページを作成し、日本のポップカルチャーに関する情報を発信している女性を見つけた。日本人が興味を持ちそうな現地事情に関するコラムも書いている。さらには日本語で”詩”を書いたりなどもしている。これはスゴいと思った。ハンドルネームは原鳴魅<はらなるみ>と言う(実名を出しちゃダメとのこと)。
 早速、通訳・翻訳などの手伝いができるかメールで打診してみた。すぐにギャラを指定してきたのには面食らったが、「お金に関しては奥ゆかしきをよしとする」カルチャーではないと理解し、会うことにした。
 この二回目の訪問当時、上海の20代のファッション感度については何も理解していなかった。約束した場所に現れた彼女の服装が思わず「シャープ!」と叫びたくなるほど洗練されていたので、はっきり言ってかなりびっくりした。上は青っぽいレザーのハーフジャケット、カラフルなチェックのマフラーを東京の女の子とまったく同じやり方で結んでいる。下はスリムな黒のパンツ。髪型は日本の雑誌で言うと「mini」に登場しそうな女の子の系統そのままで、茶系のカラーリングもしている。手先をよく見たら爪にラメの細粒をあしらったネイルアートを施していた。決してどぎつくはなく、カワイイ系の爪のおしゃれである。21歳だった。
 彼女は専門学校を卒業してから、日本語をほとんど独学で勉強。先頃行われた日本語検定試験で1級に見事合格した。日本に留学して四年制大学の卒業資格を取りたいと考えている。
 中国の方が話す日本語は多くの場合、音がやや途切れがちになる傾向があり、本質的な語学力があっても、ちょっと聞き流暢に響かないことがある。鳴魅さんの場合、おそらくは耳がいいのだろう、日本語の音が非常にきれいに流れていく。
 いろいろと話を聞かせてもらった結果、子供の頃から日本の漫画、アニメに親しんで育ってきたということ、最近のJ-POPもかなり聴いているということがわかった。ファッションの感度のよさは見てすぐにわかるから、上海の若年層カルチャーに関する情報をもらうにはうってつけの存在である。彼女にはケータイ、マンション、ファッションなどの消費動向に関する簡単なレポート作成をお願いすることにした。
 
■漕渓路に部屋を借りられたわけ

 協力していただける人をネットで探していく中で、村上春樹を卒論テーマに選んだという男子学生を発見した。上海には村上春樹を読んでいる若者がいるのである。これはぜひコンタクトをとって話を聞く必要があると思った。李栄歓さん、華東師範大学日本語学部の四年生である。
 彼からは、彼自身が村上春樹をどう読んでいるのか、同年代の大学生の間ではどう読まれているのかといった文学系の話題だけでなく、彼が子供の頃からプレイしてきたというゲームに関するあれこれ、いま現在のインターネットやパソコンの使い方、ソフトの入手方法などを伺った。非常に興味深い話ばかりだった。これについては追って記す。また、彼の卒論を指導する教授を紹介してもらい、日本文学の受容状況について話を聞くこともできた。
 
 上海滞在中、諸事万般のお世話になったのが日本企業の現地進出をサポートする正詢諮詢公司総経理の孫正喜さんとスタッフのウ建英さんである。(”ウ”はからす偏につくりとして”こざと”=”陸”の偏の部分)
 孫正喜さんは、上海進出企業の親睦団体である上海日本商工クラブ勤務を経て、伊藤忠上海駐在事務所で人事部長を長く務めたという経歴を持っている。日本企業が現地で何が必要になるかを知悉しており、上海人であるだけに、現地の様々な筋とのコネクションも豊富だ。
 取材準備で二回目の訪問をした際、彼の正詢諮詢公司には何をどうお願いしたらいいか、かなり不安に思っていた。というのも、まともな予算がないからである。正式な業務案件として依頼すれば、通訳手配、取材先アポ取り、その他頻繁にやりとりする種々の連絡対応が、それなりのお値段になってしまう。
 そこで手の内をすべて明かし、一種のバーターで、お願いできる部分のみをやっていただくことにした。
 一度、ウさんを交えて昼食をごちそうしてもらっていた時、ウさんが持っているマンションの借主を探していることがわかった。ウさんも数年の日本滞在経験があり、日本語がかなり堪能な方だ。私は、1月からの比較的長期にわたる本取材だけでなく、その後も継続的に使える取材拠点として上海市内に部屋が借りられればと考えていたから、ここで話が合った。
 上海中心部に近い漕渓路<ちゃおしーるー>にある21階建てマンションの10階、夫婦と子供一人が暮らせる広さを持った3Kの部屋である。生活に必要な家具・家電は一式揃っている(これが上海では珍しくない)。家賃は1月5万円。下見をさせてもらった上で即決した。

 こうして2001年12月の上海訪問で、通訳と企業取材のアポ取りをやっていただける方、消費カルチャーに関する情報提供者、そして取材の拠点となる部屋が確保できた。コネゼロの状態から始めたにしては、ずいぶんな成果である。「上海経済ツアー」を敢行できる見通しが立った。

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