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アウトソーシング・センサー ~メルマガ連載記事の転載 (2012年4月9日配信分)

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。

連載「データ・デザインの地平」
第17回「 アウトソーシング・センサー」(2012年4月9日配信分)

小さく見積もられ過ぎている、ヒトの多様性

msnのニュースを見ていると、毎日のように痛ましい事件(とくに、児童に対する)の情報が目に飛び込んできます。そして、それらの記事の中では、必ずといっていいほど、次の3つの問いかけがなされています。しかし、これらの問いは、問いに終始しており、了解可能な答えを見い出すことはほとんどありません。

(1)なぜ、そのようなことをしたのですか?

ベンジャミン・リベットの実験が物語るように、自発的な行為が脳内で無意識に起動するのだとしたら、この問いに対する答えは見い出せるのでしょうか。「制御できる状態にあった」にもかかわらず「制御できなかった」と言えば、ツジツマがあっているように聞こえます。なぜなら、前者の後に後者が発生しているからです。しかしながら、この問いには、後者が時間的に先である可能性が含まれていません。

(2)傷つけた相手を愛していないのですか?

問われている人は、ある時点では他者を愛していても、別のある時間には、メモリが自分の感情で占有されていたのかもしれません。また、問いを発している人の「愛」と、答えをもとめられている人の「愛」の概念が、同じでなければ、この問いは無効です。

(3)相手が怪我するとは思わなかったのですか?

問いを発している側は、特定の行為が相手を傷つけることを推察するスキルがあるから問いを発しています。が、「『相手が傷つくという計算結果が返されない脳がありうる』ことを推察する」スキルを持ち合わせていないのかもしれません。

我々は、ヒトの多様性をずいぶん小さく見積もりすぎてはいないでしょうか。
かくいう筆者も(地球の人口からすれば)微々たる交流をもとに、自分の脳内にヒトの標準型を生み出し、ステレオタイプを疑うことをおろそかにしがちにはなりますが。

これらのニュースを見ていて筆者がしばしば感じるのは、問題の原因の何割かは、これら3つの問いが言及する「ヒトの(傷つけるような行動をとるかどうかという)判断」よりも手前にあるのではないか、ということです。それは、判断の元となる情報の受信に由来しているように思われます。

正確な処理には、正確な情報の受信が必要

我が国の厳しかった時代に人生を送り、多くのものを学びとっているであろう人々の中に、次世代の未来など何も考えていない姿勢をかいま見ると、正確な情報の受信(脳への入力)の重要性を思わずにはいられません。
ヒトを深めるのは「経験」そのものではなく、「経験から感じとった情報に基づいて考える行為」であると気付かされます。10の経験を1にしか感じなければ、どのような凄絶な経験をしても深い自省は生じず、気付きには至らないのではないでしょうか

経験から気付きを得るには、まずは、経験を構成する情報が損なわれずに入力され、検討のもとになる情報として蓄積される必要があります。それには、情報を取得する人体のセンサーが正しく機能しなければなりません。

たとえば、ある人が知人から「近くの借地で栽培したトマトを食べたけれど、ちょっと酸っぱかったのよ」という言葉を聞き、トマトの「赤」と「近く」という情報のみを取得して蓄積し、欠落した情報を想像で埋めて、「『近く』のスーパーで売ってる『赤い』りんごはとてもまずいので、あのスーパーでは買わない方がいいみたいよ」とツィートする、という状況を想像してみてください。この人は、親切心からツィートしているので悪い人ではありませんが、社会的に見れば困った人ではありませんか。

これは軽微な例をあげたにすぎません。言葉という、書けば反芻することも可能な情報の例でしかありません。入力される情報が、言葉ではなく、他者の感情という形にできないものであれば、問題は一気にややこしくなります。

もし、この例のように、情報の取得時にエラーが発生しているにもかかわらず、当人はそれに気付いておらず、とはいえ結果的にその言動が他者の権利を害した場合、刑罰の対象となるかもしれません。そして、誤動作の可能性を孕む脳は、内省を促す環境に置かれたり、多数の親切な人々とふれあうことによって、その機能を変化させるよう期待されるでしょう。

しかし、エラーが、情報の入力、情報の取得、変換、判断の元となる価値観、その価値観を作り上げた環境要因、記憶、制御の判断、判断の実行など、いくつもの段階のうち、あきらかに情報の入力の段階で生じているのであれば、近未来の技術はこれを支援することができるでしょう。

ヒトの受信機能を代行するセンサー

情報がヒトの内部にあるとき、つまり情報受信後の処理においてバグが生じているなら、エンハンスメントに伴う問題は科学と医学と哲学の範疇です。エンハンスメントの対象は脳内の、記憶、判断、サーボ(制御機構)などに関わる部位であり、その方法として考えられるのは、ハードウェアの調整(投薬)、ハードウェアの置き換え(移植)、外科手術による装置の埋め込み、心身に影響を及ぼす外部からの信号など、侵襲的なものだからです。

しかし、情報がまだヒトの外部にある時点で、つまり情報が脳に届く前の段階でエラーが生じているのならば、これは技術の範疇です。次のように、ヒトの感覚器官の持つ機能を、センサーに代行あるいは補完させ、取得した情報を外部で一度処理してから取り込む、という方法が考えられます。

(1)情報を増幅する
他者の悲しみ、苦しみ、怒り、怯え、やるせなさなど、特にネガティブな信号を増幅します。それらの感情が軽く見積もられてないがしろにされることを避けられるかもしれません。

(2)情報を整流化する
相手の感情が強烈であればあるほど報酬系が働いたり、情報に尾ヒレを付けたり、深読みしすぎる恐れがある場合、情報を整流化します。

(3)情報を補正する
欠落の予測される情報を、あらかじめ補正します。

(4)行動予測をフィードバックする
情報に対して起こすであろう行動を、鏡のように映し出してフィードバックします。自分の行為を客観的に見られるかもしれません。

(5)行動の社会的な結果を告知する
行動の結果をシミュレーションします。不利な状況になることを事前に知らせることで、制御機構が働くかもしれません。

(6)感覚情報を具現化する
情報を身体の動きに変換して伝えます。技術的には、静的な脳波センサーと、動的なKinectの組み合わせを想像してください。
たとえば親が叩こうとした時の子供の悲しみをセンサーが取得して伝え、それでもなお親が行動を起こそうとすると、その行動を親が自分自身に対して行ってしまうような錯覚を与えるというものです。

我々の何割かは、運転時に「メガネ」をかけます。その義務は、基準となる視力に届かない場合に限られます。
同様に、ヒトの感覚器官を補うセンサーの搭載された端末を装着するのであれば、マイナスをゼロにするエンハンスメントに限定して検討すべきでしょう。つまり、他者の生命を危機に晒したり、QOLを損なわないようにするという目的以外での検討には慎重でなければなりません。

その際、問題となるのは、エンハンスメントによって消滅する恐れのある個性の扱いです。個性に疲弊する周りの者はエンハンスメントを希望し、個性の結果を享受する国家はエンハンスメントの部分的な解除をもとめ、両者が衝突することになりかねません。

「他者の感情を受信する作業をセンサーにアウトソーシングさせる」という行為を肯定する人々は言うでしょう。計算をソフトに、記憶を検索エンジンに、多言語の習得を翻訳ソフトにアウトソーシングしている状況と、どれほどの違いがあるのかと。一方、否定する人々は言うでしょう。ヒトの心と業務を同じ土俵の上で語るべきではないと。

もっとも、そのような議論以前に、なにを基準とするかという定義、それを定義する機関、基準を測定する装置の開発、測定する人材の数の確保、ゼロをプラスにするエンハンスメントが持ち上がった場合の規制方法など、多くの課題があり、技術的に可能性があったとしても実施の可能性があるというわけではありません。

もとめられる3つの標準化仕様の策定

他者の感情の受信と、自分の感情の発信では、4つの組み合わせができます。「他者の感情は受信するが、自分の感情は送信しない」ことはプライバシーの問題を引き起こしますから、送信と受信はセットとして考えられるでしょう。

相手と自分の両方の感情を取得するセンサーを搭載し、前述の(1)~(6)までの機能を持つ端末が出現すれば、当然のことながら「運転免許の基準に満たないからメガネをかける」ヒトだけではなく、「伊達メガネをかけたい」ヒトも出現します。それらの人々が増えると、どうなるでしょうか。社会的な要請がないにも関わらず、感情の交換が始まってしまいます。これは、ゼロからプラスへのエンハンスメントにほかなりません。

ヒトは、労働を電化製品に任せるような気軽さで、自分の感覚をセンサーにアウトソーシングしてしまうかもしれません。互いの息や視線、端末を握る手の温度や湿度、端末同士の距離、そして会話の内容や声のトーン、脳内のイメージ(fMRIスキャナーの小型化という問題が横たわっていますが)を受信し、増幅し、変換し、円滑な人間関係を築くために、センサーを使うようになるでしょう。

そうなった暁には、次の3つの世界標準化仕様の策定が課題となります。

・個人識別用の言語の策定

感情のようなきわめて短時間で移り変わる情報のリアルタイム処理では、処理対象の情報が他者の情報なのか自分の情報なのかを区別するための、正確なメタデータが不可欠です。そうでなければ、自他の感情が混在してしまいます。センサー情報を定義する仕様が必要です。

・感情を表現する言語の策定

万人のゴールデンルールは異なります。言語の翻訳における辞書と同様の役割を果たす、感情のデータベースを記録するための共通言語が必要になります。たとえば相手の悪意が、友好的な感情として伝わってはなりませんし、その逆もしかりです。

既に感情表現の共通言語は、閉じられたコミュニティの中で自然発生しています。たとえば、相手が(^^)と返せば、我々は相手が喜んでいると捉え、相手が orz と書けば、気の毒な状態であると捉えます。これは、感情を交換するための、一種の言語だといえるでしょう。

・改ざんをモニタリングするための仕様

(そのようなことが可能なのかどうかは分かりませんが)感情を装ったり、急激に変化させることができるヒトがいる場合、端末間だけでなく、有機的なヒトの間でのセキュリティの問題が生じます。感情の偽装や変化をモニタリングするための仕様が必要になります。

もっとも、いくらセンサーが情報を正確に取得し、計算機がそれを正しく処理して伝えたとしても、それらの情報に基づいて判断をくだし、言動に移すのはヒトです。相手の苦痛を歓迎する脳への対応といった問題は残るでしょう。

センシングした他者感覚のネットワークによる共有

いずれセンサーを搭載した端末がウェアラブルになり、さらに小型化して携行がいっそう容易になった時、端末は、我々の行動規範のフレームワークとなるでしょう。端末に搭載された感情と行動規範のデータベースを参照して返された結果をもとに、他者との関わり方を判断していくようになるでしょう。

どのような技術進化にも、メリットとデメリットがあります。人間関係が味気なくなる可能性がある、ドラマが生まれなくなる、というデメリットが考えられる一方で、距離を縮めると良い結果をもたらさない相手を(あるいは逆に、自分が相手に合わないケースも含めて)検知できるというメリットも考えられるでしょう。

さらに、機器が進化して、侵襲と非侵襲という言葉すらなくなった暁には、センサー同士は自動通信し、我々の感情という情報はネットワーク上に展開されるようになるでしょう。我々は、ネットワークの中の感覚の一つになるのです。

我々が、機器やインターネットを「使っている」と自覚している間は、情報の流れる方向も、「その情報が誰のものなのか」も把握できます。しかし、ヒトが、ネットワークを構成する「ノード」から、ネットワークの「シナプス」になった時には、我々デバイス同士が自動的につながります。それはもはや、端末を介した情報のやりとりではありません。

センサーがとらえた無数の異なるデバイスの感覚がネットワークの中を往来し、他者の感覚は自分の感覚となり、自分の感覚は他者の感覚となり、まるで、他者の脳を構成する分子が、自分の脳を構成する分子と入れ換わったかのような感覚を持つことになるかもしれません。

センサー技術は、ヒトを有機的に結びつけ、文化的な差異や、ゴールデンルールの差異を埋める役割を果たす起爆剤となる、果てしない可能性を秘めているといえるでしょう。

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