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芸術家、大量発生の時代 ~メルマガ連載記事の転載 (2012年2月13日配信分)

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。

連載「データ・デザインの地平」
第15回 「芸術家、大量発生の時代

(2012年2月13日配信分)

前回の記事(第14回「技術進化が促す、人類総デザイナー化」では、技術進化により、エンド・ユーザー自らがモノを作る「人類総デザイナー化」時代が到来すると述べました。
今回は、その変化が芸術に波及する問題を取り上げます。

デザインは、芸術へと向かう

人類総デザイナー化時代には、次のように、デザイン業界の常識や制約が解き放たれます。

1) ターゲットが変わる ~特定グループから個人へ~

通常、デザインでは、年齢や職業や関心の範囲など類似の属性を持つグループに対して、表現を計画します。
ところが今後は、このターゲット(訴求対象)が、グループではなく個人になっていきます。前回記事のカーテンのデザインの例のように、自分自身になるのです。
これは実に理にかなった話です。なぜなら色や形の認識には個体差があるからです。感覚器官から入力された情報が処理される工程の一部に(脳内に)、小さなバグが忍び込んでいるだけで、処理結果は異なってきます。バグ、というと良い印象の言葉ではありませんが、ヒトにはそれが必要です。バグは多様性の母体です。
バグはさまざまな表現を生み出します。色や形の情報の一部が省略され、抽象化されているヒトの脳内処理の状況は、現時点では、他者であるデザイナーからはうかがい知ることができません。自分をターゲットに自分で作る方が的確です。

2) 表現対象が変わる ~対象よりも自己を表現~

デザイナーの仕事は、企画書で規定される「ヒトやモノや概念」といった対象の情報が、ターゲットに伝わるよう、的確に表現することです。その対象を「自分自身」とし、自分を表現してしまったなら、それはデザインではなく芸術になってしまいます。ですから、デザイナーは自身を無にして対象に対峙します。
ところが、個人が自身のためにデザインする場合、対象は自分自身となります。自身の内面や嗜好や考えを反映することになります。

3) クオリティが変わる ~下限も上限も基準もない評価~

クオリティをどこまで高めるかについては、100人いれば100通りの基準があるでしょう。
「1ピクセル」のズレを「100ピクセル」にも相当する大きな違いと捉える人もいれば、全く気付かずスルーする人もいます。
たとえば、白いテーブルに置かれた、白い陶器のクリーマーの中の白いミルク、白い砂糖は、どれも同じ白ではありませんが、そのような違いを「全く異なる白」と感じる人もいれば「どのみち同じ白」と感じる人もいます。
同程度の痛みでもより強く受信する病気があるように、もとのデータが同じであっても、その受け取り方には個体差があります
プロのデザイナーは色や形の微妙な差にこだわりますが、個人が自分のためにデザインする時代には、当人が良しとするなら、それが基準となります。

4) 完成度が変わる

個人が自発的に創るものには、納期がなく、費用対効果や結果責任をシビアに考える必要がありません。
クオリティを高める努力をしなければならない社会的要請はありません。プレゼンテーションを勝ち抜く精度はもとめられません。
そうなると、必ずしも練り上げられてはいない結果が散見されるようになります。

5) 評価基準が変わる

「人類総デザイナー化」時代には、デザイナーと顧客とエンド・ユーザーという三者の区別はなくなります。表現する側も、それを評価する側も、同じ個人という立場です。
「ヘタうま」ではなく「ヘタへた」が、むしろユニークという点で評価を得られることもあるでしょう。長く傍にとどめておきたい落ち着いたデザインよりも、見た瞬間にインパクトを感じる派手な色で動きの多い、にぎやかなデザインが溢れるでしょう。

以上のように、デザインはきわめて個人的な体験となり、その結果、デザインと芸術の境界は失せ、芸術色が強まっていくと考えられます。

「デザイン≒芸術」の役割は、驚きの提供

では、デザインの芸術化傾向は、デザインと芸術をどのように変えていくのでしょうか。

筆者は、芸術の役割には3つあると考えています。

A) 生き辛さの軽減
B) 社会のバランス維持
C) 驚きの提供

A) は、癒し、慰め、共感を誘い、人々の精神をマイナスからゼロへと近付けるというものです。
英詩人Housemanは、詩の職能を「"to harmonize the sadness of the world"(この世の悲哀を受容可能な形に和らげること」(*1)と述べています。芸術には、この世界に生きる苦痛をやわらげる効能があります。

B) は、リアルとは真逆のイメージ―――社会が平穏な時には闇を、社会が苦痛に満ちている時は明かり―――を提供し、社会の精神性のバランスを維持するというものです。イメージトレーニングのように、実体験でなくとも、イメージはヒトの精神と言動に影響を及ぼ役割を果たします。
この芸術を提供する者は、リアル社会の逆を生きる者であり、社会ではマイノリティです普通を切望しながら普通になれないアウトサイダーたちが、社会の調整弁としての芸術を生み出します。

C) は、意表をつく表現を提供し、ドーパミンを放出させ、鑑賞者の脳を覚醒させるものです。
ヒトはすべからく驚きをもとめます。(たとえば感覚遮断実験のような)刺激のない状況では、脳は誤動作し、幻覚すら生み出すほどだと言われています。
ところが驚きには耐性があります。数十年前には茶の間で東京オリンピックに沸いていた人々も、いまやリビングでくつろぎながら、被害者への共感はそこそこに犯人を推理し、暴力や殺人のシーンを見つめます。そのうち子供も観賞する美術展に葬体芸術のインスタレーションが出展されても問題視すらされなくなるかもしれません。飽きやすく倦みやすいヒトには、驚きが提供され続けなければならないのでしょう。

A) の役割は、悲しみの受容や足踏みを停滞と捉えられる現在では、風前のともしびです。
B) の役割も、すでに終わっているのではないでしょうか。社会の中に暴力化傾向が強まっているときでも、より暴力的な映像が作られているのですから

いずれにせよ、生き辛さを抱えている人が、あまりに増えました。
いまや、昭和の文士が描く不幸はそこかしこにあり、自殺さえも文豪の範疇ではありません。過去のアウトサイダーたちの苦闘は、明るく開かれたメンタルクリニックの投薬対象となっています。
我々は、あたたかいホームドラマの中に「ごく普通の家庭、ごく普通の人々、貧困や病気であろうと、家族や隣人のために泣き笑い苦しみ、愛(=自身の人生の時間)を提供し合う人々、そういった人々こそがマジョリティである」という幻想を見ていただけなのでしょうか?
いや、そうではないでしょう。
毎日のように流れる、悲惨な事件や事故のニュース。人生の苦闘が無差別に降りかかり、ごく普通の人々のこころを破壊しているのではないでしょうか。
生き辛さを抱えるアウトサイダーの方が増えてしまうという、マジョリティとマイノリティの逆転現象が起こりつつあるのかもしれません。

A) と B) が衰退する一方で、C) の役割は大きくなっています。
データ爆発の中にあって注目されるには、新規性とタイミングが重要であり、意図して驚きを提供する表現が増えることは否めません。そして、評価されると露出が増え、類似の傾向の作品も増えるというサイクルができ上がります。誰もが自分自身の基準を持つため、表現の拡大を止める手段はありません

報酬系の変化が、短期サイクル化を招く

さらに、大量の芸術寄りのデザインが短期サイクルで現れる傾向に拍車をかけるものがあります。それは、「報酬系」の短期化です。
報酬系は、ヒトの言動に大きく影響します(※2)。短期報酬系の人が増えれば、サイクルはより短くなります
短期報酬系の人々にとって、「(作る側としては)カタチある作品を矢次早に生み出したい」「(鑑賞者としては)新しいものをもとめ続けたい」という意思を、行動に移さないように抑制することは困難だからです。

筆者は、脳に生じたバグが、ヒトの生来の「報酬系」をより短い方向へとシフトさせているような気がしてなりません。

なにしろ、バグを引き起こす原因が増えています。
まず、豊かな食生活は、脳血管障害による高次脳機能障害を引き起こす可能性を高めます。
また、事故や化学物質や虐待は、直接的な脳損傷やPTSDを引き起こす可能性を高めます。我々は、ニュースの「生命に別条はない」という決まり文句に、慣れてしまってはなりません。「あ、助かったのか、よかった」だけで済ませてはならないのです。「一命はとりとめても後遺症がのこる」可能性があるかもしれないこと、その快復のために被害者が苦闘するかもしれない時間に思いを馳せる必要があります。
それらのバグは、発生する箇所によっては、生来の報酬系を変えてしまうこともあるでしょう。

さらに、昨今のように社会不安が高まり、標準報酬系の人々が将来不安から子孫を遺すことをためらうと、結果的に、短期報酬系の人の方の割合が増えるのではないでしょうか
この報酬系は脳内物質に左右されているという研究があり(科学技術振興機構報 第87号 「理性と衝動性のメカニズムの解明へ一歩」 )、遺伝の可能性がゼロであるとは言いきれないでしょうから、世代を追うごとに、その割合は増えるかもしれません。もし、短期報酬系の人から、他の報酬系の子が生まれたとしても、小鳥の雛が親鳥の歌を覚えてしまうように、生育環境によって、短期報酬系の言動を学習してしまう可能性もあります。今後、報酬系は加速的に短くなっていくと考えられます。

しかしながら、これは、必然的な現象なのです。
混迷の時代には、短期報酬系の人が必要です。未曽有の状況に、考えるよりも先に行動し、結果的に吉と出る(かもしれない)道を切り開くことは、長期報酬系や標準報酬系の者にはできないからです。宇宙に出て、人類の可能性を拡げる責務は、短期報酬系の次世代の双肩にかかっていると筆者は考えます(*3)。
社会危機を乗り切るための生命の戦略、人類が生き残っていくための当然の帰結かもしれません。

短期報酬系の増える社会に適応せよ

社会の維持には、短期・標準・長期、それぞれの報酬系の人が必要です。ただし、ある人口比のもとに構築された社会システムは、その人口比が変わると、維持が困難になります。その時には、システムの方を変更するか、それが無理なら、構成員のひとりひとりが生き方を変えて適応するしかありません。
複雑化きわまりない力関係のうえに成立している社会システムの変更は不可能です。ならば、デザイナーたちが、生き方を変える必要があります。

まず、すでに「その白は、"#FFFFFFFF"ではない」ことが、「1ピクセル"も"、ズレている」ことが、重要ではない時代が始まっていることに気付かなければなりません。デザイナーにとって重要なことは、たいして重要ではなくなるのです。そのクオリティはもとめられないのです。経験を積むなかで蓄積してきたことも、その職種を守るための方便でしかなくなります。スタイルの確立に邁進しても、固定化したスタイルはすぐに飽きられてしまいます。

経験を白紙に戻すことに抵抗感があるでしょうか?
どのみち、その先には、表現というワンクッションを必要としない世界が到来し、「私」のイメージは「あなた」のイメージになるというのに。
感情を物理的に変える安全な薬剤が認可された暁には、感動の喚起は、医療の役割になるかもしれないというのに。

これからは、自ら作り発表することによって糧を得るのではなく、自ら作りたい人々の行為を「手伝わせていただく(≠プロデュースしてあげる)」方向にシフトしするのが賢明でしょう。
コンテンツを作り発表するより、それを発表するためのツールやプラットフォームを開発して、使い方とノウハウを伝えるのです。ゲームを作って与えるより、ゲームを作る方法を教えるのです。ヒトが、電気や化石燃料を使う代わりに自分の身体を動かし、他者に考えてもらう代わりに自分の頭で考える、そのことを、面倒だ億劫だと思わず、楽しめるようになる方法を伝えるのです。

そして、自ら作る場合は、作り方を教えた人々と同じ土俵に立ち、プロではなく一個人として自分のためにデザインをすればよいのです。

*1 出典:石井正之助著「英詩の世界」大修館書店

*2 日経IT Pro連載「Webプランニングから始めよう!」(PROJECT KySS名義、筆者単独執筆)「第15回 異なる時間認識タイプの協力が,問題解決を速くする! 2007年2月掲載」

*3 筆者は超長期報酬系であって標準ではなく、逆方向のマイノリティです。このような混迷の時代を生き抜くには、もっとも適していないタイプでしょう。最期のときまで地球の一箇所におとなしく留まっていることにします。

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「データ・デザインの地平」バックナンバー

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≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
≪ 第5回 震災は予知できなかったのか(2011/04/18)
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