「帰りたい」―――介護者を当惑させる、夕暮れ症候群は、なぜ起こるのか? ~続・ライル島の彼方(n)~
同じ時間帯に、同じ言動。「帰りたい」の原因は何か。
帰りたい―――介護者なら一度は聴いたことのある言葉にちがいない。
「帰りたい」「帰らなければ」「帰ります」。興奮、易怒、不安、混乱。
どこへ、帰ろうというのだろう?
高齢者施設にいるときであれば、単純に考えれば、「自宅へ帰りたい」だろう。
自宅にいるときであれば、「子どもの頃に住んでいた実家に帰りたい」だろう。
呼び寄せ介護であれば、「転出前の地域へ帰りたい」だろう。
此岸から彼岸へ向かう時期ともなれば、「生命の循環する輪の中に帰りたい」という意味も、ひょっとしたらあるかもしれない。
帰りたい先が、任意の場所、「空間」であるなら、それらのいずれかだろう。
この現象は、通常、夕暮れ時から夜に向かう頃に出現する。そのため、「夕暮れ症候群」と呼ばれている。
原因は、不明。個体によっても異なる。認知機能の低下による見当識障害、生活リズムの乱れ、薬の副作用などが、有力視されている。
介護者は、願望を否定せず、声かけなどの対応をするのがよいとされている。照明などの環境調整も望ましいとされる、
施設では、入居者が一斉に「帰りたい」となるらしい。同じ時間帯に、同様の言動をとるというのだ。生活リズムが同じだから、同時間に症状が出るものと考えられる。
では、生活リズムの中の、何が原因なのか。
筆者は、原因のひとつに、血糖値の乱効果があるのではないかとみている。一時的に低血糖状態になり、思考が定まらず、パニックに陥るのではないか。
施設では、入居者全員が、同じ時間帯に食事をとる。夕暮れ時といえば、夕食前。空腹をおぼえる時間帯だ。血糖値の変化はじゅうぶんに考えられる。
それなら、ひとくち何か食べれば、徐々に明瞭な意識を取り戻すのではないだろうか。その結果、「帰りたい」の連発も消えていくのではないだろうか。
データ化困難な、高齢者の血糖値。介護者の観察眼が重要。
健康な人でも、低血糖状態になることはある。血糖値の問題イコール糖尿病、というわけではない。基本健康診査の数値からは読み取れず、長時間の糖負荷検査が必要とされる。だが、そのような検査を、たとえば施設で入居者全員に実施するのは不可能である。それ以前に、どの医療機関でも実施しているわけではない。だから、低血糖が原因だというエビデンスが得られることは、永遠にないだろう。
親の家に通い介護をしていたころ、頻繁にオンコールがあった。突然不安感をおぼえて、電話してくるのだ。それが決まって、23時以降、多発する時間帯は夜中の2時3時だった。親が訴える症状は、パニック障害のそれである。当然、パニック障害を疑った医師もいた。だが、よくよく観察してみると、その症状は、低血糖のようなのだ。17時~18時の間に夕食をとり、21時に就寝。8時間ほど飲まず食わず。筆者はこれが原因ではないかと考えた。
低血糖は空腹で生じることもあれば、食事をとった数時間後に生じることもある。後者は反応性低血糖であって、九州の方言では「えびぎれ(餌切れ)」と呼ぶそうだ。わかりやすいウェブページがあった。参照されたし。> 鈴木内科クリニック院長ブログ『えぎれ(反応性低血糖)』
そういえば旅行好きだった祖母も、旅行かばんにお菓子を忍ばせていた。おやつではなく、気分が悪くなったときのためだと言っていた。晩年、菓子を持たずに近所を散歩して、道端で急に動けなくなって座り込み、近所の子どもたちに助けられたことがあったという。どうやらその症状、伝え聞くところによると、低血糖状態なのだった。
かくいう筆者も、何度か、血の気が引いたり震えが生じる症状に見舞われたことがあった。だからといって、パニックにはならない。まずは原因を突き止めねばと、状況を思い出してみると、いずれのケースも、塩むすびやたらいうどんといった、炭水化物のみの食事をとった4時間半後に発生していた。そこで、ごはんだけ、パンだけ、麺だけの食事はとらず、必ず野菜や海藻を一緒に摂るようにしたところ、症状は全く生じなくなった。
祖母と筆者、その間にいる親。血統調節機能は、(寿命には全く関係のない)遺伝であろう。だとしたら、親の夜中の症状も、血糖値によるものではないか。
素人判断は避けたいので、訪問看護師に事情を説明すると、その可能性も考えられるという。オンコールがあったときに、何か甘い飲み物を渡してみようとおもうがどうか?と確認したところ、問題なさそうである。
そこで、ひとくち飲んでみてと、みかんジュースを手渡してみたが、なにしろ他者からの提案を受け入れる親ではない。結局、その後も、夜中のオンコールは続いたのであった。
一日三食では足りない可能性。もし空腹が原因であるなら。
5年前から、通い介護では支援が厳しい状態になり、泊まり込むようになった。食事と症状の関係を観察して、気付いたことがある。後期高齢者ともなれば、一日3回の食事では、エネルギー不足に陥るのだ。乳児に与えるミルクのように、少量ずつ、一日何度も補う必要がある。年齢にもよるだろうが、すくなくとも、筆者の親はそうである。
ベッドサイドにお菓子とみかんジュースと柑橘を置いておくと、終日だらだら食べている。さらに、夜中に「おなかすいた」と言い、うどんを所望する。作ると、どんどん手繰る。認知症の症状に「ごはんをたべさせてもらえない」という訴えがあるが、その何割かは、空腹の訴えである。ほんとうにおなかが空いているのだ。机上のカロリー計算で一日分のエネルギーを賄える食事を完食しても、実際は足りていないことがある。高齢になって生じる変化のすべてが、あきらかになっているわけではない。
筆者の親が利用する施設では、さいわい、おやつの持ち込みが許可されている。そこで、ショートステイ時には、毎回、山ほどの和菓子と飲み物を持たせて送り出す。さらに途中で面会に行き、柑橘を差し入れる。介護士はプロの技でうまく勧め、食べさせてくれている。
このような、低血糖が原因と考えられる「帰りたい」であれば、対応は明白だ。
「帰りたい」を連呼し始めるやいなや、いや、予測できるならそれよりも前に、カルピスやPOM「塩と夏みかん」や、砂糖入りのミルクティーを渡してみればよいのである。嚥下困難なら、パウチタイプの柑橘の飲むゼリーがよいだろう。何か食べられる状態なら、お茶に、タルト1個(タルトレットではなく、「の」の方)でもよい。
ただし、基礎疾患があっては逆効果になるおそれもあるので、試す前に、必ず主治医に相談してください。
さて、高齢者の「帰りたい」問題。夕暮れ症候群とその対策が本題、というわけではない。次回に続く。