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技術進化が促す、人類総デザイナー化 ~メルマガ連載記事の転載 (2012年1月16日配信分)

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。

連載「データ・デザインの地平」
第14回 「
「技術進化が促す、人類総デザイナー化」
(2012年1月16日配信分)

この連載を書き始めて1年が過ぎました。タイトルは「データ・デザイン」のまま据え置き、今年はデータ設計からさらに枠を拡げて語っていきます。

ノンデザイナーのデザイナー化が進行中

前回の記事「プログラマ or デザイナから、"デベロッパー"へ」で述べたように、「プログラマ」や「デザイナー」という5文字のテキストには、職業上の利便性以上の意味はなく、デザインを理解できるかどうかは、職業名には関係ありません。
RIA開発の現場では、純プログラマなどのノンデザイナーが、自らデザインを手がけるケースが増えつつあります。

彼らノンデザイナーは、企画立案からラフを作成してプレゼンを行うまでの、いわゆる業界特有の作業の進め方や慣例からは自由です。そのような人たちのデザイナーに占める割合が増えるにつれ、常識も慣例も変わりつつあります。

アプリケーションのタイトルロゴのデザインひとつとっても、ノンデザイナーの多くは、C.I.マニュアル(※1)で規定されるような制約にはとらわれません。
なにしろPCからスマホまで、複数の異なるデバイスでの利用を想定しなければなりませんし、仮に一機種に限定したところで、複数の条件を想定しなければならないのですから、当然です。
たとえばWindows Phoneアプリでは、ひとつのタイトルロゴを、62pxのアイコンから200pxのタイルまで、4種類のサイズに展開する必要があり、同じデザインであっても、大きなタイルには広告の役割が、アイコンにはピクトグラムとしての役割がもとめられます。そのうえ背景色はユーザーの設定次第です。想定可能なすべての条件に利用規定を設けるなど現実的ではありません。

ノンデザイナーたちは、アイコンを自動生成するソフトを用いて、ひとつのタイトルロゴを指定サイズへと展開します。その際、サイズ別に、用途に応じたデザインの調整を行うことはありません。旧来のデザイナーから見れば、これは理解できないことでしょう。が、それでも、問題はないのです。プログラムが正常に動作し、審査を通過すれば、それはれっきとした商品なのですから。

そしてもし、アプリを気に入ったユーザーが、旧来のデザイナーなら立腹するようなデフォルメしたロゴを利用してブログなどで宣伝したとしても、ノンデザイナーの開発者が野暮な指摘をすることは、まずないでしょう。

デザインを手がける人が「プロでなければならない」理由は何もありません。そして、常識が永遠に固定でなければならない理由もありません。
誰もが「デザインをしたい」とは思わないかもしれませんが、誰もが「デザインをしてよい」土壌は、既に整っているのです。

技術進化が促す、エンド・ユーザーのデザイナー化

ノンデザイナーのデザイナー化は、RIA開発者にとどまらず、エンド・ユーザーにも及んでいます。

コンテンツ分野では、すでにプロの制作者ではないエンド・ユーザーが動画サイトに投稿していますし、カメラ女子も増えています。さいきんでは、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社による「KarenT」や作品投稿サイト「ピアプロ」に、ノンデザイナの熱気を見ることができます。これまで受け手だったエンド・ユーザーが、自らイラストを描き、CGを作り、撮影し、編集し、デザインしているのです。

このような状況に加え、以前の記事(第12回「センサーの進化がユーザー・インタフェースを変える」)で紹介したように、技術はすさまじい勢いで進化しています。

先に述べた、Windows Phone のタイトルロゴのデザインについても、すぐに3Dのデザインを要求される時代がくるでしょう(もっとも、2次元の方が珍しくなる時代を見越して、「あえて平面的」なデザインをするのも一手です)。

近い将来、画面サイズの制約が消え、カードを持ち運ぶだけでどこでもディスプレイとなり、動けばKinect(※2)が意図通りの処理を実現してくれるようになります。さらには、(これまでの連載で述べたように)「存在のデバイス化」時代には、カードすらなくなり、思考をセンサーが取得して処理を実行するようになります。
それらの技術は、エンド・ユーザーのデザインを強力に支援するでしょう。新しい技術は、人類総デザイナー時代を推し進めます。

こうした「プロでなくとも作り手になれる」状況は、著作権などの厄介な問題を引き起こすだけだと思われるでしょうか?否、過去記事で何度か触れているように、センサが進化すれば、著作権の範囲はあいまいになります。常識は変わります。それは、さほど遠い未来のできごとではありません。

日常生活の中の、エンド・ユーザーのデザイン

では、これからの技術が支援するエンド・ユーザーのデザインとは、どのようなものでしょうか。
一例をあげてみます。

たとえば、あるユーザーが新居に移転して、カーテンを買うとします。
近未来、もはやネットショップで、どのデザインをチョイスするか、ひどく迷う必要はありません。
機能性の充実した白いカーテンを1点購入すれば、エンド・ユーザー自身が図柄をデザインできるからです。考案したデザインを、生地に投影したり、クリアしたりというと試行錯誤のすえに決定したデザインを、指定した期間、生地に定着させることができるのです。

エンド・ユーザーは、吊られている白いカーテンにカメラを向け、部屋の壁に投影されている画面のうえに、1個のミカンをかざします。画面上にカーテンが撮り込まれ、その上にミカンの画像が浮かび上がります。ユーザーが、画面の中のカーテンの、ミカンの絵をいくつかレイアウトしたい部分にタッチしていくと、そこにはミカンの画像が表示され、タッチする度にミカンの画像が増えていきます。タッチの強度により、画像の大きさが決まり、標準的なペイントツールのように、透過したり、線を加えたり、パターン化して、デザインを仕上げていきます。

デザインが決まり、設定を保存すると、カーテンという「モノ」は白いままであるにもかかわらず、即座に柄が反映され、オレンジの模様に彩られた、華やかな部屋が出現します。その柄はいつでも変更することができるので、ユーザーは、明日は朝庭に咲くはずの花の柄に変えよう、などと考えるかもしれません(※3)。

それがカーテンではなく衣料品なら、デザイナーのデザインした服を買うのではなく、自らテキスタイルデザインを実践して、その結果をまとう、デジタル衣装が実現するでしょう。

デザインにとどめて、モノを作らないという選択

エンド・ユーザー自らがデザインをするようになると、デザイナー人口が増え、それに比例して蓄積されるデータも増えます。データを格納するハードウェアとそれを維持する電気も必要になります。作り手の食指を動かすハードウェアが次々と発売され、その製造には、いっそう資源が使われることになります。
そのうえ、デザインしたものを次々製造してしまうと、いくら資源があっても足りません。

人類総デザイナー化が直面する最初の問題は、省資源と真っ向から対立するということです。

我が国では、高度経済成長期以前は、誰もが生活の中で、デザインに関わってきました。食事にせよ被服にせよ、生活必需品は、1点ずつ、手作りしていた時代がありました。
今でも、生活の中で、何がしかのデザインをしている人は多くいます。
キャラ弁を作ったり、日曜大工に汗を流したり、家庭菜園やガーデニングに取り組んだり、さらには時間をかけて布を織ったり、1点ものの服作りやパッチワークや刺繍やアクセサリー制作に凝ってみたり、膨大な人手をかけて田畑に絵画を描いてみたり。それらのすべてにデザインという工程があります。

これほど賢明な行為があるでしょうか!生活に必要なものをデザインの対象とし、ヒトが自らの頭で考え、考えることにできるだけ多くの時間を費やし、人力でモノの形にし、作られたものを自然に返す行為こそが、最も省資源です。

しかし、かつて我々は、大量生産大量消費の道を選びました。
結果、"製造や廃棄の工程で資源を消費し、人体に悪影響を及ぼす物質を排出する"モノがあふれています。季節がめぐる度、作られ、捨てられるモノの往来を、我々は受け入れています。そのうえに、どんどんデザインし、データを蓄積し、それを次々形にするのでは、我々は過去から何も学ばないことになってしまいます。

デザインの結果はデータの状態にとどめ、むやみに形にしないという選択をしなければなりません。
50点のデザインを考えたなら、50点のデータを作って終わりとすればいいのです。50個のモノを作ってはならないのです。それがどうしても生活に必要ならば、モノの形にするのは1個だけにとどめるべきです。

人類総デザイナー化が良い結果に帰結するために必要なこと、それはエンド・ユーザーが、形ある結果を得て満足するのではなく、デザインの過程を楽しむ能力を獲得することに尽きるでしょう。

人類総デザイナー化の行く末

さいごに、人類総デザイナー化の先に待っているものを、すこし覗いておきましょう。

インテリアが精神が影響し、デザインされたテーブルウェアに盛り付けられた食事が脳を育くみ、それが人となりに影響するように、モノのデザインは、ライフスタイルの一部を形作ります。モノのデザインに慣れたヒトは、次のデザインの対象を、ライフスタイルに定めます。

さらに、デザインの対象は、自分自身のライフスタイルから、他者のそれへと移ります。ヒトは、生き方をデザインすることを望み、人生を完全に制御しようと試みます(※4)。
そして「私は、どのようにデザインされた社会の中で、どのようなデザインとして存在したいか」と考え始め、社会にコミットし、その限界を知ると、今度は自分自身を「物理的に」再構築しようとするでしょう。

しかしながら、社会が変わっても、自分が変わっても、世界が変わるわけではなく、ヒトは、私という「存在のデザイン」について問いを発するしかなくなるのです。

※1 カラーの場合/モノクロの場合/白地の場合/黒地の場合を想定して色を決定し、各種サイズについて、ロゴのバリエーションや用途を規定した資料。

※2 Kinect for Windows

※3 脳内イメージをそのまま出力して図柄とする技術も登場するでしょうが、ノンデザイナーのエンド・ユーザーが鮮明なイメージを出力することには、技術以外のハードルがあるでしょう。

※4 「自分の人生は自分の意思通りにデザインされるべきだ」という考えは、生命倫理や脳神経倫理の問題につながります。

「データ・デザインの地平」バックナンバー

≪ 第1回 UXデザインは、どこへ向かうのか? (2010/12/20)
≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
≪ 第5回 震災は予知できなかったのか(2011/04/18)
≪ 第6回 永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界(2011/05/16)
≪ 第7回 脳活動センシングの進化が、作曲を変える(2011/06/13)
≪ 第8回 死にゆく者の意思は守られるか (2011/07/11)
≪ 第9回 Windows Phone 7.5 に見る"ヒトとコミュニケーションの形"(2011/08/29)
≪ 第10回 データ設計者は、ヒトを知れ、脳を知れ(2011/09/26)
≪ 第11回 設計者であるための、日々の心得(2011/10/24)
≪ 第12回 センサーの進化がユーザー・インタフェースを変える
≪ 第13回 プログラマ or デザイナから、"デベロッパー"へ(2011/12/05)

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