オルタナティブ・ブログ > イメージ AndAlso ロジック >

ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

親から聞いた、戦前の排せつ介助方法。常識にとらわれない、排せつ介助機器開発を望む。(後) ~続・ライル島の彼方(n)~

»

TkogaiIlust3_600.png

前回、排便介助機器開発に、予算の1点集中投下を、と書いた。

介護福祉機器の現状はどうかといえば、確実に、進化している。
便意を予測するセンサーがある。排尿・排便を検知する機器がある。トイレといえば、TOTO、水洗式ポータブルトイレがある。ヒトをトイレまで移動させるのではなく、トイレをベッドサイドまで移動させるという発想のシステムだ。車いすに移乗させて運び、ふたたびトイレに移乗させるという二重の作業が不要になる。
筋力が衰えているだけならば、ロボットスーツを装着する方法も考えられる。自身で装着できるなら、QOLは爆上がりするだろう。ところが、たとえば、HALの下肢タイプは、適用身長が150cm以上である。長寿女性の大半は、身長120~130cm代、大きすぎる。

こうした機器を使ったとしても、介護者による移乗介助、排せつ後の清拭や、排泄物のなど、なにかしら必要な作業が生じる。完全自動化システムは、まだ、ない。急速な高齢化に、技術革新が追いついていない。

それでも、令和の今は、こうした機器があるだけ良いのかもしれない。戦前、介護福祉機器が全くなかった時代は、どうだったのか。
当時は短命だったから、要介護となる前に寿命だったのでは、と、おもうかもしれない。
それは違う。排せつ介助が必要となる原因は、高齢化だけではないからだ。天災、火事、事故。重量物の運搬や高所作業を人手で行っていた時代の方が、若年労働者の怪我は多かった可能性すらある。

われわれが知りようのない、戦前介護事情。96歳の親に尋ねてみた。

当時も、要介護者はいたという。和室の布団の上に、ひとりぽつんと寝かされていたのだという。
部屋の中央の畳には、排せつのための孔が開いていたそうである。その位置に尻が来るように、引っ張って移動させる。
平屋の木造住宅。孔の下は土だ。これは筆者の推測にすぎないが、その土にも孔が開いており、排泄物は、土中の微生物が処理するというしくみになっていたのではないか。孔に排せつするだけでは、部屋に悪臭が立ち込めるのでは?と考えるかもしれない。これについては、問題ないと強調しておこう。当時は、地域差はあるにせよ、五葷をほとんど摂らず、雑穀と大量の野菜に海藻、まれに魚介という食生活が一般的だった。現代人とは、腸内環境が異なるのだ。昔の禅寺のトイレは汲み取り式でも臭わなかったというくらいだ。実際、筆者が開業した当時、事務所として借りた築100年の古民家は汲み取り式だったが、筆者がペスクタリアンであり、通気口の角度も絶妙であって、風通しもよく、無臭といってよい状態であった。

そうした、排せつのための孔の明いたベッドが、実際に販売されている。マットの中央に孔があり、バケツで受け止める構造だ。ただし、戦前の4畳半~6畳はある和室と異なり、1畳ほどの狭いベッドの上。防水シーツやキルトパッドなどの敷物を外すには、要介護者の身体を浮かせる必要があるのではないか。介護者の負担が劇的に軽減するわけではないだろう。そのうえ。この製品は海外製で、国内の代理店は限定的だ。いわゆる自治体が指定する業者は、取り扱っていない。そのため、万が一、製品に香害の移香があった場合には、返品対応が難しいかもしれない。

では、どのような排せつ介助機器があれば、劇的な負担軽減が実現するのだろうか?

トイレや排せつについての常識をひとつずつ潰していくことで、輪郭があらわになってくる。たとえば次のように、だ。

トイレの便座の高さは一定である。 体格に応じて数種類を展開する。オーダーメイドのサイズで3Dプリントする。便座がジャッキアップする、バケツは折り畳めるようにする。(折り畳みバケツ形のトイレは、介護用ではなく、防災用として、海外製品がある)
トイレの手擦りは固定されている。 手すりは取り外すのではなく、弱い力で押し下げることができる。
ヒトがトイレまで行く。ヒトのいる場所へ、トイレが寄ってくる、自走式。排せつ時にトイレの吸入口を人体に取り付ける方式(排尿処理については、パラマウントベッドから、「スカットクリーン」という製品が発売されており、介護福祉機器業者が取り扱っている)
排せつは、便座に座るか、仰臥した状態で差し込み便器を使う。 座る、立つ、歩く、仰向け、横向き、どんな状態でも、どのような姿勢でも、排せつでき、漏れることがない。

こうして常識を取り払っていくと、残るのは、人体と一体化したトイレになる。というよりも、ヒトの外部装置としてのトイレだ。排せつの度にトイレへの移乗を不要にするには、 排せつしなくてもヒトの臀部に常時トイレが付属している必要がある。要介護高齢者に特化した、外部装着型の、非侵襲進化系ストーマといってもいい。

たとえな、このような形状が考えられる。
要介護者のいる居室は、床面全面をユニット畳で底上げする。
畳には、チューブの径の孔が開いている。孔を通してチューブはユニット畳内部へ伸びる。

チューブの先は、肛門に貼り付いており、人体と一体化している。便の蓄積を検知する非侵襲センサーが搭載されており、排便が必要と判断すると、チューブが動き、、排便を促す。これにより、便秘薬の服用や浣腸の頻度を減らすことができる。つまり、ヒトが便意をおぼえた後に排せつするのではなく、その逆で、便の蓄積をセンシングして、チューブが振動することで便意を促すのだ。

排泄物はチューブを通って、畳下に設置されたタンクに貯まる。タンク内には微生物がおり、排泄物はすみやかに分解される。

もちろん、所要栄養量の見直しは必要だ。現在の指針では、戦前と比べれば、あきらかに食物繊維不足だ。また、、触覚センサーを搭載した、排便を促進するための腹部マッサージ機があってもよいかもしれない。

チューブについては、日本発のミミズ型ロボットがすでにあるので、ゼロからの開発ではない可能性に期待したい。問題は。接合部だ。人体一体型の機器では、その素材が最大の課題となる。この人体一体型チューブの開発に、予算の集中投下を希望するものである。

介護機器開発で難しいのは、動きの制御よりも、ヒトに馴染む素材なのだ。

1996年に、創設直後の介護工学研究会の会議を取材したことがある。発起人は、新居浜高専 板谷良平 第五代校長。自身の介護体験からその困難を軽減すべく、同会を立ち上げた。その会議で最も印象に残ったのは、板谷校長が力説した、素材開発の難しさだった。
ロボットアームなどの動作の制御は、時間と予算があれば、不可能ではない。だが、ヒトの身体に触れるアームが、ヒトと同じ感触、やわらかく、あたたかい、素材にすることは、非常に難しい。今では触覚センサーがあるので、そうした感触であると誤認させることは可能かもしれない。そうであっても、データでは表現できない「愛情」「心配」「希望」を醸し出すような素材を生み出すことは、難しいだろう

谷川俊太郎の詩を引用するなら、「あなたの手のぬくみ いのちということ」なのだ。
介護者の手の大きさ、指の長さ、爪め形、温度、皮膚の厚さには、個体差がある。季節や室温によっても変わる。力の入れ方も、変わる。体調でも変わる。そのときどきの感情でも変わる。介護者は生きているから
要介護者は、例え認知機能が衰えていたとしても、支えた手で、触れた手で、誰なのか、気付いているかもしれない。言葉を発せられなくても、この手は我が子の手だ、これはいつも親切にしてくれる介護士の手だ、と感じているかもしれない。
このような膨大なパラメータ―をもつ介護者の手を、再現することは不可能に近い
だからこそ、その不可能を可能とする技術を開発できれば、それはブレイクスルーとなりうる

環境中の化学物質が世界を巡るいま、日本以外の国でも、内分泌かく乱物質による少子化は進む。栄養状態が改善し、冷暖房で寒暖差が緩和され、医療技術が向上すると、寿命は伸びる。少子高齢化する国が増えていく。
わが国の後を追うように少子高齢化が進むであろう他の国へ、わが国が開発した排せつ介助機器と確立したノウハウを輸出すれば、歓迎されるにちがいない。開発費も回収できるだろう。
もっとも、排せつに関する文化や歴史の違いはあるので、カスタマイズは必要ではある。
それでも、排便は、ヒトに共通の行為だ。多くの国と、Win Winの関係になれるのではないだろうか。

この国の、技術開発のテーマが、なにかしら偏っているようにおもうのは筆者だけか。24時間体制の必要な作業をこそ、省力化すべきではないか。意外性と宣伝効果ばかりが目立つ介護テックは、後回しでいい。優先すべきは、介護者の睡眠時間を確保できる技術だ。

限られた予算を、奪い合わず、困難を減らしていくには、絞り込んだテーマへの予算集中投下による、技術革新しかないと考える。

介護行政、現行のシステムを批判する声は大きい。たしかに、問題は山積している。
技術革新での解決についても、環境保全の観点から批判の声を目にすることはある。
だが、批判するだけでは、現実は変わらない。それどころか、社会が、攻撃的な言葉や鬱屈した感情に満たされていくだけではないか。そして、ディストピアへ一直線だ。すでに、SNS上では、高齢者 VS 若年層、という構図ができあがり、要介護4以上、さらには後期高齢者への安楽死をもとめる声まで上がり始めている。

われわれがすべきことは、まず、問題点を洗い出すこと。そして、実現可能性を問わず、アイデアを出してみることだ。そして、興味深いアイデアを見つけたら、さらに発展させてみる。文殊の知恵を寄せ合うことから、見えてくるものがある。

ブレイクスルーは、常に、諦めない生き方、アグレッシブな姿勢から生まれるのだ。


タイトルイラストは、Adobe Fireflyで描いています。掲載済みのイラストは、こちら

Comment(0)