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永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界 ~メルマガ連載記事の転載 (2011年5月16日配信分) ~

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この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「データ・デザインの地平」からの転載です。今月で10回目になりますので、まとめて載せています。

連載「データ・デザインの地平」
第6回 「
永代使用ポータル、クラウドがつなぐ生者と死者の世界」 (2011年5月16日配信分)

ヒトの生きた証は、千のデータになる

東日本大震災では、膨大な思い出の品が、その持ち主とともに海底へと沈みました。
抗いようのない力でもって、そこにいたはずの人が失われる辛さ、失われた苦しみは、それが自然災害によるものでなくとも、同様の経験をした人には、了解できるものです。

長い歳月を経て、見送った側が死を目前にするとき、ようやく、胸かきむしられる想いは懐かしい感情に変わるのだと思います。
それまでは、失われた生命を想起するトリガとなるものが必要です。もし、思い出の品が失われるなら、せめて、逝った人を表現するデータにアクセスしたいと願うでしょう。

そして、思い出す側も、いずれは、思い出される側の者となります。逆の立場となるまでに、我々は何を遺したいと思うでしょうか。子孫のある人は、形見の品のみ託すかもしれません。が、そのまた次の世代に渡っていくかどうかを確かめる術はありません。子孫のない人には、次世代に託すという選択肢すらありません。

筆者は、昨年秋から、ラフなままの作品群―――楽譜や歌詞譜のままの音楽、点在する詩句、プロットのままの自伝的小説、習作のままの絵、アイデア段階の小論など―――のデータ化に着手しました。過去の書物の中に同種の人々を見い出すことで生き延びてきたように、私の馬鹿げた悪戦苦闘の記録が、いつか同種の後進の目に触れ、役立つことを願いつつ。

存在した証を必要とする人々は、データを作り、それをクラウドに置くようになります。ヒトは死して千のデータになるのです。

技術進化が可能にする、全人データの記録と再現

いまや我々は、テキストや写真や動画だけでなく、日々のつぶやきや、執筆した電子書籍までも、デジタルデータとして遺すことができます。加えてインタフェース技術の進化は、「ヒトそのものを表すデータ」の記録を可能にします。それは、従来の自分史とは比べものにならない、はるかに巨大でリアリティを持つ全人データです。

まず、視覚と聴覚の情報については、外見、所作、声のデータから、生前の姿が立体像として再現されます。3Dの歌い踊る初音ミクさんを思い起こし、それが故人だったらと想像してみてください。また、Microsoft Kinectを思い起こしてみてください。言葉づかいや訛り、動作のクセを記録して再現することも、不可能ではないと確信できるでしょう。

味覚や嗅覚の情報については、特定の味、特定の臭いを感じた時の脳の働きを再現するトリガとなるデータを送り、端末側では、それをキーとして、脳に働きかけて再現するようになります。身近な例をあげれば、故人の手料理の記憶を伝えることができます。

触覚のデータも蓄積されるなら、たとえば、幼子は、先に逝ったお母さんの再現された感触の中で眠ることができるようになります。

さらには、ブレーン・マシン・インターフェースの進化が、感情の再現、感情に基づく言動の再現を可能にします。パターン化され記録された脳波とテキストのコンテキストから、思い出す側が質問をすると、3Dの故人が目前に現れ、計算機の処理に基づいて答えるでしょう。これはSFではなく、今では現実味のある話です。

永続性あるシステム構築における課題

これらの全人データを記録・再現するためには、永代使用の墓地のデータ版のようなシステムが必要です。それは、「永代使用ポータル」といっていいでしょう。永代と銘打つからにはデータの存続が最重要であり、それにはいくつかの課題があります。

まず、データを保管する設備の維持です。データセンターの防災対策とバックアップ、維持のための電力が保証されなければなりません。ハードディスクは消耗品であり、データ爆発も必至ですから、長寿命大容量のメディアが登場する都度、データを引き継いでいくことになります。厳密なセキュリティも要求されます。データが消去されたり書き換えられても故人には確認できないのですから、なおさらです。メンテナンスには、何代にもわたる人材が必要です。

データを記録するためのアプリケーション開発も必要です。ヒトの外見の3D化、五感を表すデータの登録まで、ITエンジニアではない素人でも簡単に実行できなければなりません。思い出を再現する側の端末開発も必要です。歳月を経る間には、使われる言葉も変わりますから、多言語対応だけでなく、言語の変化への対応も必要になります。

そして何より、データ形式が標準化されなければなりません。データは、歳月を経ても読み出し可能な、長期保存に耐えうる形式で記録されなければなりません。仕様のバージョンアップによって再現不可能となったり、度重なる構造変換が必要となる形式は好ましくありません。「永代使用ポータル」が開始される前に、世界標準の策定が望まれます。データ・デザインは、未来を見据えて行われるべきです。

当然のことながら、これらのシステムの開発と維持には、莫大な費用がかかります。
一方、ユーザー側には、どれほどの支払い能力があるでしょうか。日本の貨幣価値と墓地の料金から考えるなら、高くとも1年につき1万円、100年以上は一律100万円といった、上限のある従量制が限界でしょう。

このような永続性が必須のシステムは、巨大で安定したグループ企業により、実現されるべきです。データを遺す側、利用する側、どちらのユーザーにとっても、それが最も重要なことです。統廃合や倒産、社名や経営陣や方針の変更が懸念されるようでは、未来を託すことなどできないからです。

ビジネスの側面から見ると、最大のメリットはユーザー数だと思われます。地球全体では人口は増え続けています。地球人すべてがユーザー候補です。
なお、本稿ではヒトについてのみ書いていますが、ペットでも同様です。亡くなったペットの思い出をクラウドに置きたい人も少なくないでしょう。

構築後に表面化する、5つの問題

では、永代使用ポータルが開設されたなら、誰もが、より幸せになれるのでしょうか。否、そんなことはありません。次の5つの問題が生じます。

ひとつは、ユーザーの精神に及ぼす影響という問題です。
データ損失恐怖が、OCDの一症状に追加されます(データセンターを宇宙からの落下物が直撃する可能性まで考えるなら、それを杞憂とはいえないにしても)。また、データ依存症が生じます。それが、家族との関係であるうちはいいのですが、カリスマ・ロックスターとファンの関係ともなれば、深刻な社会現象を引き起こします。

2つ目は、ユーザーの認知と行動の問題です。
データとして記録されるのは、死の直前までの情報に過ぎません。AIが発展しても、計算機は、それらの「死んだ」情報にもとづく処理しか返すことができません。そのヒトが存命し、他者と出会い、五感で感じ、脳を成長させた結果、見送った側のコールに対して返すであろう戻り値、つまり行動、言葉、表情などは、計算できません。計算機の限界を認めたくないユーザーは、意識の計算可能性を全面肯定するシステムへと流れ、不正確な結果に基づいて行動するようになります

3つ目は、ユーザー側の収入と費用負担の問題です。
貧困のなかで生を終えた詩人や画家たちは、いかに素晴らしい作品を記録したくても、使用料を払うことができません。それだけでなく、世界には、その日の食糧にこと欠く人々も多数います。標準以上の経済力を持つ者の生のみ記録されるのなら、アウトサイダーたちの深い精神性と抒情性に満ちた存在の慟哭、民衆の逞しい土着性は、徐々に失われていきます。もっとも、未来永劫、現在の貨幣経済が存続するわけではないでしょうが。

4つ目は、データの改ざんと悪用の問題です。
記録されたデータが国家の指導者のものであれば、後継者による意図的な美化が考えられます。逆に、それが人民の精神的支柱となることは、利害を異にする者にとって、歓迎できないことでしょう。データはハッカーの攻撃対象となり、消去ともなれば、国家間の争いに発展しかねません。

そして5つ目は、生命ビジネスへの移行という問題です。
永代使用ポータルのデータがクローン技術や故人の人体パーツと結びつくことを想像してください。いや、そんなことは法的に許されるはずがない、技術的にも不可能だと思うでしょうか?人類は、「してはならないはずのこと」その一線を常に超え続けてきているのです。
初期の永代使用ポータルで扱われるのは、思い出というやさしい感情を引き起こす「データ」です。扱うのはあくまで信号であって細胞そのものではないため、人々は抵抗感はなくシステムを受け入れ、慣れ親しみ、許し、気付かぬうちに、故人の再生に必要なデータが記録されるようになり、心の垣根は取りはらわれていくのです。多数の問題のある永代使用ポータルですが、いずれ我々は、リアル世界を終えた後は情報として生き続けることを受け入れるようになります。

そうなると、本連載の過去記事で触れてきた問題が浮かび上がります。永代使用ポータルに蓄積されたデータ、そのデータは一意性を持ちうるでしょうか?
そのデータは、誰のものでしょうか?

≪ 第1回 UXデザインは、どこへ向かうのか? (2010/12/20)
≪ 第2回 そのデータは誰のもの? (2011/01/24)
≪ 第3回 子ノード化する脳 (2011/02/20)
≪ 第4回 多重CRUDの脅威(2011/03/14)
≪ 第5回 震災は予知できなかったのか(2011/04/18)

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