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グローバル化する中で日本人はどのようにサバイバルすればよいのか。子ども×ICT教育×発達心理をキーワードに考えます。

速水真澄という名の「仮面」 あるいはバットマン的倒錯・後編 (画像追加あり)

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前回のあらすじ

漫画ガラスの仮面には、未刊行原稿と呼ばれる幻の原稿があります。ガラスの仮面の作者・美内すずえ先生は、1980-90年代に雑誌「花とゆめ」で連載した原稿を、改稿して単行本化したためです。

単行本化された原稿と未刊行原稿を比較した結果、今までの考察で「物語の構想の変更や速水真澄の物語が最終回に向けて重要な意味を持っている可能性がある」ことがうかび上がりました。

そこで、前回の「速水真澄という仮面とバットマン的倒錯・前編」に引き続き、 速水真澄の物語を心の葛藤、心に仮面をかぶって本来の自分とは違うキャラクター、役割を演じるという二面性の観点から考察したいと思います。

『ガラスの仮面』のあらすじはWikipediaのものが一番わかりやすいのでオススメです。

参考:ガラスの仮面 (Wikipedia)
※以下のページの「あらすじ」の項目をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%81%AE%E4%BB%AE%E9%9D%A2

※以下、物語の重要な箇所や結末に言及しています。(ネタバレを含みます。)

速水真澄という名の「仮面」 あるいはバットマン的倒錯

2012年8月に小林啓倫さんがITmediaオルタナティブ・ブログ シロクマ日報で興味深い記事を公開されました。

参考:【書評】仮面はバットマンか、それともブルース・ウェインか
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2012/08/batman-and-psyc-84b3.html#

参考:バットマン ビギンズ [Blu-ray]
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バットマンとの類似がわかりやすい以下の文章を引用します。

本書の中心となるのは、「コウモリのスーツを着て自ら犯罪撲滅に尽力する、しかも法の枠にとらわれない一方で悪人を死に至らしめようとはしない」という複雑なメンタリティの分析です。

マスクを被ることにどんな意味があるのか。子供の頃の辛い経験がどのような影響を及 ぼしているのか。なぜコウモリなのか――こういった点について、トラウマやPTSDなどに関する専門的な記述をまじえながら解説が進められます。

大学のテキストほどではありませんが、いたって真面目な心理学本と言えるでしょう。

http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2012/08/batman-and-psyc-84b3.html# より引用
※見やすくするために、筆者が改行を追加しました

速水真澄は本来は心優しい人物です。しかし子供時代の辛い体験、境遇から冷血漢の社長として振舞う事を余儀なくされています。彼の二面性と内面の倒錯はバットマンのようでもあります。

彼の秘書 水城冴子は速水真澄が北島マヤと出会った事で本来の彼の優しさが目覚めつつある事に気がつきます。そこで秘書としての立場をわきまえつつ、彼を精神的にフォローしていきます。

速水真澄もバットマンと同じく子供の時、養子であったがゆえのさまざまな辛い体験をしています。

  • 実の父親が事故死
  • 養子にもらわれた時に小学校の仲の良い友達とも引き離された事
  • 義父からの暴力
  • 親族からの言葉の暴言
  • 誘拐されたのに義父に見捨てられた事
  • 母親も中学生の時に亡くなった事
  • 信頼できない取り巻きばかり
  • 会社を倒産させられて彼を恨んでいる鬼千匹が速水真澄の隙を狙っている事

あげればまだまだ出てきそうです。

子供の時から彼が安心できる居場所がありません。辛い子供の時代の体験は心のトラウマになり、大人になってからの彼に大きな影響を及ぼします。※水城冴子は北島マヤとの出逢い以降に速水真澄の秘書になったようです。

小林さんは前掲の記事に以下のような続きを書かれています。

個人的に最も印象に残ったのは、「(バットマンが被っている)マスクとはバットマンではなく、ブルース・ウェインの方ではないか?」「ブルース・ウェインもバットマンも、『バットマン』という作品の主人公が被っているマスクではないのか?」という指摘です。

先日'The Self Illusion'という本をご紹介しましたが、同書のテーマはまさに「自我とは幻想であり、私たちの行動を実際に規定しているのは無意識や周囲の環境である」という主張でした。

その主張と同様、本書では「両親の死」という衝撃的な事件の時点でブルース本来の自己は消滅したのであり、ブルース・ウェインもバットマンも、両親の死が生み出した「悪と戦う」という信念をつらぬくためのマスクに過ぎない(そして各々のマスクを被っている時にはその役割を演じている)という分析まで が紹介されます。http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2012/08/batman-and-psyc-84b3.html# より引用
※見やすくするために片岡が改行を追加しました。

『ガラスの仮面』を読み返してみますと、速水真澄が幼少時を回想している時(単行本34巻)、「母親の死」をきっかけに冷血漢の仮面をかぶり紅天女の上演権を奪おうと決心しています。実の母をないがしろに扱い、誘拐された自分を見捨てた義父・速水英介への復讐のためです。

子供の時の体験の影響で速水真澄は「大都芸能社長 速水真澄」という社会的な立場と「本来の自分(藤村真澄)」、「紫のバラのひと」という架空の人物を使い分ける事になったのでしょう。バットマンのブルース・ウェインと同じく、「本来の自分は両親の死で消滅してしまった」と感じていたのです。

惹かれ合う二人

しかし、北島マヤに出逢い、惹かれていくことで彼の内面は消滅していなかった事に気がついていきます。理性では歯止めをかけても、彼は感情・本心を抑えられなくなっていきます。彼が北島マヤに惹かれるのは彼女の演劇へのひたむきな情熱と回想している箇所がありました。

参考:美内 すずえ『ガラスの仮面 1 (花とゆめCOMICS)

それに加えて彼女が本来の自分とは全く別人になりきってしまう変身の魅力を感じているのかもしれません。さらに普段の彼女はとても素直で正直な人物。舞台の上で堂々と別な人間になりきるように見えない事も魅力なのでしょう。

マヤは役柄に憑依してしまう。速水真澄は意識的に演じるという差はあります。ですが、2人とも本来の自分とは違う人物を演じているように見えます。

北島マヤは女優としてですが

  • 「他人になりきってしまう」という二面性を持っている事、
  • まだ物心がない頃に速水真澄も北島マヤの父親も亡くなっていたという境遇、母親を少年少女に亡くしている事。
  • お金持ちか貧乏かという差はありますが、天涯孤独になってしまった

共通点があります。

速水真澄は「大都芸能社長 速水真澄」という社会的な役割・立場を演じています。それゆえ冷血漢として振舞いますが、元々は優しくて明るい元気な子供でした。二人が社会や舞台で本来の自分とは別な人格を演じている共通点に惹かれ合う要因があるのかもしれません。

速水真澄は紅天女の上演権を手に入れるために月影千草や北島マヤと表面上は敵対関係になります。ですが北島マヤにだけは「紫のバラのひと」としてだけでなく、ヘレンケラーの舞台以降、「大都芸能社長 速水真澄」という仮面を外して、時折、本来の気持ちを表情に表しています。

参考:美内 すずえ『ガラスの仮面 (第30巻) (花とゆめCOMICS)

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姫川亜弓版ヘレンケラーの舞台の時に、ロビーでたい焼きを食べながら二人だけで会話する場面がありました。初めて速水真澄が自覚的に正直な自分の気持ち、感情を北島マヤに見せているように見えました。

それ以前にも北島マヤとのやり取りの中で漫才のようになり思わず素で吹き出したり、一瞬優しい顔をして「紫のバラのひと」の気持ちを速水真澄がマヤへ代弁していた事はありました。

北島マヤが通う高校の校長室のシーンやI公園でのボートのシーン、北島マヤが紅天女のふるさと旅立つ時などです。

とは言え、速水真澄は「大都芸能社長 速水真澄」 という立場があるので自分の感情のまま正直に振る舞うことはできないと自覚しています。そのため本音と建前の矛盾が生まれ、第三者から「真の自分を理解されない悲しみ」が生まれていました。

その感情が「速水真澄=紫のバラのひと」だと知らない北島マヤの心に伝わり、無意識のうちに北島マヤは速水真澄に惹かれていく要因の一つとなったようです。

大切な人の存在が心を悪にも善に変えうる

速水真澄は

  • 北島マヤ
  • 水城冴子(速水真澄の秘書)
  • 聖唐人(速水真澄の部下)

の3人には本音を時折のぞかせていました。

水城冴子に遠回しな本音の伝え方をしているのは、

  • 「第三者に自分の気持ち/本音を気どられたくない」という恥ずかしさ、
  • 「大都芸能社長 速水真澄」は冷血漢として会社の利益のために振舞う役割を
    義父・速水英介から与えられているから、
  • 水城冴子ならば自分の気持ちを察することができる洞察力があるから

という理由などが考えられます。

なぜ速水真澄は特定の人には本音、素を見せるようになったのか。その理由の参考になりそうな記事を見つけました。夢幻∞大さんの「シャーロックとダークナイト・ライジングの奇妙な共通点(ネタバレあり)」です。

バットマンがなぜマスクをするのかを尋ねられた時、「大切な人を守るため」と言っている。面白いことに、「アメイジング・スパイターマン」で子どもを救うとき、スパイダーマンはマスクを取っている。それは「(驚かさずに)安心させるため」と言っている。大切な人の前では、素顔になり、悪と戦うときはマスクをする。この両面がマスクの2面性である。
シャーロックとダークナイト・ライジングの奇妙な共通点(ネタバレあり) より引用

スパイダーマンの理屈と速水真澄の心の葛藤は共通点があるのかもしれません。信頼している大切な人には素顔・本音を見せる。利害関係のために近寄ってくる人には「大都芸能社長 速水真澄」という仮面をかぶる、という理屈なのかもしれません。

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大切な人を亡くした時、人間を悪にも善にも変える

シャーロックとダークナイト・ライジングの奇妙な共通点(ネタバレあり) で、僕は、最後にこう書いた。

この破壊の思想は、大切な人を亡くした時に発想しやすい。バットマンは、ゴッサムシティの住民もまた大切な人だと考え、自らの命を懸けて中性子爆弾を海に運んだ。そして、自分の家屋敷は、孤児院にしている。これは、バットマンが思い描いていた再建の心を子供たちに伝えたいと考えたからである。

大切な人を、その人個人に限定してしまうと、その個人が死ぬと、後を追ったり、自暴自棄になったりする。テロリストの発想は、いとおしい個人の死によって、世の中は全部だめだという発想だ。一方、誰にも大切な人がいるという発想を持つと希望が生まれる。思い出すのは、黒澤明の「生きる」である。

大切な人を亡くすということ より引用

夢幻∞大さんがご指摘された「大切な人を亡くした時に人間を悪にも善にも変える」というのはガラスの仮面の速水真澄の場合でも同じでした。彼は実の母親が死んだ時、死に追いやった義父に復讐するために、心に冷血漢の仮面をかぶって別人のようになっていきました。

実の父を二歳で亡くし、義父は子供へ愛情を示しません。子供時代の速水真澄にとって安心できる大切な人は母親でした。

しかし、速水英介は真澄の母が大怪我をしても火事で焼け焦げた紅天女の打掛の方に気を向けるような人でした。 子供時代の速水真澄の大切な人はおそらく母親しかいない状態で、その人が死んでしまった。

母親が死んでから速水真澄が笑っている写真がない事を婚約者の鷹宮紫織は訝しがっていました。母親の死によって義父への復讐を果たすために自分の心を冷血漢の仮面に閉じ込めてしまったのでしょう。

大切な人の死によって人は善にも悪にもなりうる、とご指摘がありました。大都芸能の利益のために策略を張り巡らせ、敵を叩き潰すようになったのは母の死による孤独なのかもしれません。

それが北島マヤとの出会いで変化していきます。心に希望が生まれたのではないでしょうか。黒澤明監督の「生きる」では死を意識した主人公が死後に何かを残すために市役所で慣習と戦いながら子供達に喜ばれる公園を残して亡くなります。

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速水真澄も北島マヤという大切な人と出逢い、人生に生きがい、希望を持った事でマヤが紅天女を演じる事ができるように心を尽くします。「大切な人の存在」が人間を悪にも善にも変えうるという事なのでしょう。夢幻∞大さんのご指摘はガラスの仮面の大事な部分と相通じるものではないかと考えています。

『ガラスの仮面』のハッピーエンドは水城冴子と黒沼龍三 次第かもしれない

水城冴子と演出家・黒沼龍三は未刊行原稿では重要な連携を組んでいました。演出家・黒沼龍三は北島マヤが速水真澄に片思いをしている事に気が付きます。黒沼は速水真澄も北島マヤが好きだとは気が付かなかったので、こんなセッティングをしました。ナイトクルーズの船に北島マヤを乗せ、速水真澄とふたりきりの時間を作ったのです。

雑誌連載時に読んだのが二十年前くらいなので記憶が怪しいのですが 北島マヤに速水真澄への想いを思い切る場を作ろうとしていたように記憶しています。

参考:別冊 花とゆめ 2011年 01月号 [雑誌]
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確か二人が船を降りてから速水真澄は暴漢に襲われた後、社長室に落ちていたハンカチのことを北島マヤに問い詰めました。彼は「気絶した俺に愛の告白をしたのはマヤだ」と気がついたものの、恋が実らないと思っている北島マヤに逃げられてしまっていた気がします。

そして船が見える位置で二人の様子を伺っていた黒沼龍三は驚きます。速水真澄の表情や発言の様子を見て、「あいつも北島に本気だったのか」と演出家ならではの洞察力で速水真澄の本当の気持ちを見ぬいてしまったと記憶しています。

現在進行中の『ガラスの仮面』でも黒沼龍三は北島マヤと速水真澄の秘められた関係性に気が付きつつあります。そして水城冴子も単行本49巻以降で黒沼龍三と連携して二人を守ろうとするかもしれません。

未刊行原稿で速水真澄がナイトクルーズの船に乗るように計らったのは水城冴子だからです。水城冴子の存在は速水真澄の仮面を剥がすと共に物語がハッピーエンドに向かうために重要な役目を果たしています。

ガラスの仮面がハッピーエンドな最終回を迎える場合は、継子物の話型に沿って、彼女と黒沼龍三が活躍する可能性があります。結末に向かうためにいかに重要な人物であるかは次回以降考察したいと私見では思います。

>>漫画『ガラスの仮面』で北島マヤと速水真澄が一夜を過ごした社務所とメディアの影響力に続く


編集履歴:この記事は2014年1月29日23:05に内容を非表示にしました。「考察を出版してはどうか」という話が出ているためです。出版が決まり次第、詳細をお知らせします。どうぞ、よろしくお願い致します。2015.3.31 15:25 記事の内容を再表示しました。6文目を壱文目に移動しました。同日15:32 冒頭に3文を新規追加しました。「前回のあらすじ」の段落にあった、「速水真澄は本来は心優しい人物です。(中略)彼を精神的にフォローしていきます。」までを、見出し「速水真澄という名の「仮面」 あるいはバットマン的倒錯」の段落に移動。「として」→「のため」に変更。

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