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とあるコンビニで買い物をしたところ「レシートは御入り用ですか?」と聞かれました。よくある会話ですよね。
で、なんとなく受け取ったところ、レシートの下半分に写真のような割引クーポンが付いていました。某小売店のクーポンが付いています。
店員さんは、どうせ「要らない」とか言われたり、捨てられるくらいなら、と思っているのでしょうけど、そもそも客の手に渡らないクーポンにマーケティング費用をかけている小売店を考えると、どうなんだろう、と。店頭ではそういう扱いになっていることを知っているんだろうか、と考えてしまった次第です。
最近ではテレビCMの効果が薄いと言われたり、バナー広告の価値が下がっているなどと言われたりしているわけですが、どこなら効果があるのか、って難しいですよね。もちろん、だからと言って闇雲にソーシャルメディアに移行するのも違うと思いますし。
マーケティング施策を打っても、きちんと見届けないといけないなあ、と感じた週末です。
永井千佳さんが「叱る」極意ということを書かれていて、なるほどなあ、と。特に
1、叱る理由
・部下の行動を改善する
・「学生脳」から「ビジネス脳」に変える
は納得。行動、振る舞い、さらには取り組みを変えてほしいわけですよね。だから叱る。
さらに、叱る理由の、さらに背景というのがあると思うんです。極端に言うと、部下が直らなくても僕は何も困らない。あくまで個人的には、です。他人である部下、後輩が誰にどう思われようが知ったことではない・・・はず。もちろん、好きな部下には「こうなってほしい」という思いがあるわけですが、原則だけで言うと関係ない。
た・だ・し、部下の振るまいや行動が変わってくれないと、売上や業務内容に支障が出ると考えられる場合、叱るわけです。それは会社のためなんですよね。で、会社ってなんだというと、自分なんですよね。経営者だけではなく管理職でも、部下の振るまいが自分の守備範囲での業績や品質に影響が出る。だから叱る。
そう考えると、結局自分のために叱っているんだと思います。「お前のために叱っているんだ」なんて押し付けられても、「いやいや、部長!違うでしょう」と心の中で思っている部下。これって健全じゃないですよね。
ただ、部下の振るまい、行動が改善されるとどうなるのか、を可視化してあげる必要があると思うんですよね。数値であれば一番分かりやすいですが、具体的にどうなるのか、を説明できると、部下も改善しがいがあるというものですよね。
ごちゃごちゃ書いていて、叱っている上司は自分のためであることに正直になること、叱られている部下は、決して上司が感情だけで叱っているわけではないこと、そして改善すると結果が得られること、を理解し合えば、よい「叱り」になる気がしてきました。自分にウソをついて「部下のために鬼になって」なんて思わなくてもいい気がした今日この頃です。異論、反論、ぜひ教えてください。
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