50代の管理職と年功序列の矛盾、あるいは優秀な若手の存在
先日、「管理職にならずに収入を上げる方法、あるいは50歳以上のスペシャリストの活用」というブログを書きましたが、今日、こんなブログを目にしました。
「「若手に劣るベテラン」問題と、「トッププロ」の凄まじさについて。」(Books & Apps)
40代、50代の会社員にとって、お腹の痛いことが書かれています。
けど現実問題、僕の周りにはビックリするぐらい使えないベテランがいたり、異なる専門分野からやってきた門外漢の方が、専門分野にいる人間よりも博学だったりする事例があまりにも多すぎるのである
会社の中で「使えない」と言われることほど、切ないことはない気がします。もちろん、年上でも転職したばかりとか、いろいろあるかもしれませんが、そういうことではなく「使えない」と言われてしまう人がいるのは、残念ながら事実ですよね。
日本の医者のほとんどは、医学部を卒業し国家試験を合格した後、病院勤めを開始する。
普通の方からすると、6年間も大学にいたのだからさぞかし医学知識があるとお思いかもしれないが、実のところ医学部卒業直後の医者は全くといっていいほど使い物にはならない。なぜか?それは仕事におけるマニュアルが全く頭に入ってないからだ。
(中略)医学部を卒業した直後の医者は確かに全くといっていいほど使い物にはならないけど、少なくともマニュアルの類に何が書かれているか、またそれが本当に正しいのかどうかについてぐらいの判別はできる。ここが本当に凄く大切なところで、つまるところ素人とプロの違いというのは、このマニュアルがキチンと読めるかどうかが重要なのだ。
本を読めない人というのも、この分類に入るのかもしれません。何かを学ぶときに、いきなり難しい本を買ってきて、数ページ読んで諦めてしまう、なんてのもその分類かもしれません。
僕が思うに本当のプロというのは稀な事象であれ、細部にあるヒントから問題解決となる糸口を探し出し、問題解決までのルートを開拓できる部分にある。
ここで大切なのは、あくまでプロはルーチンワークである八割の仕事に関しては完璧に、全く思考回路を煩わせる事なく遂行できる部分にある。
そうでないと稀な事象について使える時間なんてなくなってしまうし、稀な事象に関しても、基本的にはルーチンワークの八割とする事自体は対して変わりない。八割の業務と似たような仕事へと稀な事象を落とし込めるからこそのプロなのである。
僕が20代の頃から、プロフェッショナルの定義は散々議論されてきました。「給与をもらっているんだからプロだろ」という意見があれば、「プロ中のプロ」なんて比喩もある中で、プロフェッショナルは一段上の人である印象が強いと感じています。
目の前の仕事に真剣に向き合い、周辺業務を理解し、自分の幅を広げていくことができる。そして、結果として収入につながっていく可能性が高い。「可能性が高い」という言い方をしたのは、必ずしもそうとは言い切れないからです。た、だ、し、こういうことをやらないで、目の前のことだけぽーっとやるだけで、そして目の前のことすらミスっているようでは、収入が減ることはあっても、増えることはないのが現実社会。
プロフェッショナルにはゴールはないわけで、しかしゴールを目指してコツコツ進んでいく。そういう人間でありたいと思う今日この頃です。