お金を払ってでもお願いしたい相手が「プロ」
田中淳子さんの「プロというのは。」を拝読して納得し、マリコさんの「プロ論:あなたの上司は、こんなことを期待している。」にも触発され、昨日せっせとブログを書いたらSafariの再読込の刑に遭い、へこんで一度止めたら、また坂本さんの「能力があるのに上が認めてくれないのはなぜ?」に触発され、今日はFirefoxで書いている単純な大木です。
当社は若手しかいないため、マリコさんの「お金をもらって感謝されること」の逆の立場で説明をすることにしています。「自分自身が、お金を払ってでもお願いしたい。お金を払ってでも実現したい(ことを実現してくれる)相手がプロ」だということです。
立派な提案書を見て、そこに書いてある金額を支払いたくなるか、と聞いても難しいでしょうから、もっと身近なところで。
美容院に行って、ぜひ指名したくなる美容師さん。その逆に、その美容師さんが当たるとイヤだから行きたくない美容院。ぜひその先生に診てほしいから行く歯科医。他の病気も同じですね。その先生にだけは診てほしくないとか。その逆に、ぜひお願いしたい先生。
スポーツクラブに行って、ド素人の僕に分かりやすくトレーニング方法を説明してくれ、また僕に合ったプログラムを考えてくれるインストラクターさんには、ぜひ次回も相談したい。
僕は釣りはしないのですが、釣りの好きな知り合いから、ある釣り船発着地で、その船頭さんのいる舟はいつも一番先に満席になるという話を聴いたことがあります。一方で、人気の無い船頭さんもいるとか。
ストリートライブで、立ち止まって聞きたくなる。お金をお支払いしたくなる。一方で、「こんなところでうるさいなあ」と思ってしまうストリートライブもありますよね。
お給料をもらっているのだからプロ。そういう考えもあるとは思います。しかし、これだけプロフェッショナルについて語られ、書かれた本も多いと言うことは、プロが求められているということでもありますよね。
僕は、経験豊かだからプロだとは思いませんが、ある程度の経験は必要だとは思います。何事も、初体験でうまくいく、ということはあまりないでしょうし。ただ、その経験の質だとは思います。なんとなく経験するのと、真剣に取り組んで経験するのとでは全然違いますよね。どちらも失敗したとしても、「あ〜あ、やっちゃった」と言える程度の失敗と、「しまった!痛い!」と感じる失敗の違いとでもいうか。
プロ、プロフェッショナルは、我々ビジネスパーソンの永遠の課題でもあると思います。自分でプロと名乗るには、研鑽し続けるしかないわけですし。ということで、なんとかFirefoxのおかげで書き終えることができました。(汗)