意外と運命論者です
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田中淳子さんの「もしかすると「”今”だから」なのかも知れない」を拝読していて、とても納得。
僕自身、あんまりそうは思われないようなんですが、意外と運命論者で、いろいろなことが起きたり、人と出会いがあったり、あるいは別れがあっても、すべて運命だと割り切ってしまうところがあります。もちろん努力はするのですが、過去形は基本的に運命だと思っているのです。
たとえば、とても好きな女性がいたとして、でも5年前に出会っていたら好きにはならなかったかも知れない。今、転職したとして、7年前ならこの会社には転職しようと思わなかったかも知れない。その逆に、7年前に転職した会社は、今だったら違う選択をしていたかも知れない。
努力は努力で必要だと思います。結果にむかって努力をする。他人が何であろうと関係なくて、自分のことは自分でやる。でも、それとは別にタイミングってあるな、と思うのです。例えば、外資企業に勤めたいと思ってTOEICをがんばって900点を取得しても、なかなかいい外資企業に出会えない。一方で、それから数年経って忘れていた頃に、ヘッドハンティングされたり。
何でも運命のせいにしてしまうと、努力するのがイヤになります。ただ、過ぎてしまったことを、「〜だったら」とか「〜であれば」といったタラレバで悔やんでも何も変わらない。振り返りとか反省は必要ですけどね。
とか言っても、悔やんでしまうこともあるんですが、できるだけ運命と考えてスッキリ次を考えられる人間でいよう、なんて思っている今日この頃です。
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