友人はいますか?友人を大切にしていますか?
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砂金さんのエントリーを読んで感じたことです。
事業閉鎖はどこにもあり得る話だし、ある意味で明日は我が身という方も多いのだと思います。
そんな時に、こういうメッセージを出してくれる友人って、いるでしょうか。親友という言葉は人によって定義が違うので、あまり使いたくないのですが、困った時にこそこういうメッセージを出してくれる友人は大切だと思うんですよね。
僕も昨年友人をなくして、こういうことはずっと考えていました。
また、忌野清志郎さんが亡くなったことも、いろいろと考えさせられるきっかけになっています。くりらじのBJさんが、「死に方を考えると、生き方が見えてくる」といった意味のことを話されていたのを思い出します。
こういうメッセージを出す人がいるかどうかは、逆から見れば出してもらえるかどうかだと思うし、それって普段から後悔しないような付き合いをしているかどうかだと思うんですよね。
自分の知り合い一人ひとりに対して、同じ付き合いはできないと思います。やはり誰かにフォーカスしないと無理だと思うんですよ。でも、逆にいうと、誰にフォーカスするか、ということになるのかな。
僕が仕事をする、プライベートでNPO活動をする、地元でお祭りの世話人をする、といった人間関係があるわけですが、それら全てに「誰とやる」というものが付きまとうわけです。
お酒を飲むとか、食事を共にするというのもありますが、そちらが主語になるというよりは、ある一定期間だったとしても、「何をする」と「誰とやる」がセットだったのかな、なんて。
相変わらず落ちがないんですが(大阪人としてはあり得ない?汗)、まぁそういうことを考えた今日この頃です。
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