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20年以上断続的にこのブログを書き継いできたインフラコモンズ代表の今泉大輔です。NVIDIAのフィジカルAIの世界が日本の上場企業多数に時価総額増大の事業機会を1つだけではなく複数与えることを確信してこの名前にしました。ネタは無限にあります。何卒よろしくお願い申し上げます。

【大解説】ABBを買収したことでソフトバンクのフィジカルAI戦略はどう変化したか?(前)産業ロボット世界市場を制覇する個々のピース

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このブログでは、NVIDIAの技術スタックを軸にしたフィジカルAIの動向について色々とお伝えして来ています。以下の投稿カテゴリーが特にそれについて述べています。

「NVIDIA-Jetson活用大全集」カテゴリーの投稿

一方でフィジカルAI全体の動向を見渡すと、ABBを買収したソフトバンクが巨人のようなプレイヤーとして存在しています。これはNVIDIAスタックを軸に見る視点では"見切れない"巨大な塊です。そこでこの投稿では、前半と後半に分けて、この"巨大な塊"の全体像を俯瞰する試みをします。

このソフトバンクのフィジカルAI戦略においても、NVIDIAは重要な役割をしています。

サマリー

2025年10月、ソフトバンクグループ(SBG)が発表したABBのロボティクス事業買収(約53.75億ドル/約8,187億円)は、単なる産業機器メーカーのM&Aではない。これは、孫正義会長兼社長が長年構想してきた「情報革命」から、物理世界を書き換える「フィジカルAI革命」への完全な移行を告げる号砲である1。本レポートは、日本のビジネスパーソンに向けて、この買収が持つ多層的な意味合いを、技術、経営戦略、そして産業構造の観点から徹底的に解説するものである。

ABB Roboticsの概要紹介動画

これまで、AI(人工知能)とロボティクス(機械工学)は、異なる軌道で進化してきた。AIは言語や画像認識といったデジタル空間での処理に特化し、ロボットは工場内での反復作業における正確性を追求してきた。しかし、ソフトバンクが描く「ASI(人工超知能)」のロードマップにおいて、これらは融合しなければならない。計算能力(Arm/Izanagi)、認知能力(Skild AI/OpenAI)、そして物理的な身体(ABB)が垂直統合されることで、従来の自動化とは次元の異なる「自律化」が実現する。

Skild AIの概要紹介動画。彼らの"脳"を装着したUnitreeの改造可能なロボットに色々な運動をさせている。普通のヒューマノイドをかなり超えた動きが実現している。

本稿では、ソフトバンクが構築しつつある「フィジカルAI」の技術スタックを、シリコンチップの設計からエンドエフェクタ(ロボットの手先)の制御に至るまで詳細に分析する。また、このパラダイムシフトが、ハードウェアの優位性に立脚してきた日本の「モノづくり」産業に突きつける脅威と、労働人口減少という国家的課題に対する解決策としての可能性についても深く考察する。

第1章:ASI(人工超知能)への転換と「フィジカルAI」の定義

1.1 「守り」から「攻め」へ:孫正義のASI構想

ソフトバンクグループの戦略は、明確に「守り」から「攻め」へと転じた。過去数年間の財務的な守勢を経て、孫正義氏は「ASI(Artificial Superintelligence:人工超知能)」の実現こそが自らの使命であると公言している2。AGI(汎用人工知能)が人間の全能力をカバーするレベルであるのに対し、ASIは全人類の知能の総和の10倍、あるいはそれ以上の規模を持つ知能と定義される4

しかし、ASIが単にサーバーの中で計算を行うだけでは、その経済的価値は限定的である。知能が現実世界に物理的に介入し、物質を移動させ、組み立て、加工することができて初めて、ASIは全産業の生産性を爆発的に向上させる。これが「フィジカルAI」の本質である。ソフトバンクにとって、ABBの買収は、ASIという巨大な「脳」に、世界最高峰の「身体」を与えるための不可欠なピースであった1

1.2 「群戦略」の再定義:フィジカルAIの4本柱

ソフトバンクの投資哲学である「群戦略(Cluster of Number Ones)」は、フィジカルAIの文脈において新たに再構築された。SBGの開示資料によれば、ASI実現のためのエコシステムは以下の4つの柱で構成される1

戦略の柱 構成要素(主要企業・プロジェクト) 役割と機能
1. AIチップ Arm, Project Izanagi ASIを駆動するための計算基盤。特にエッジ(ロボット内部)での推論処理と安全性を担う。
2. AIロボット ABB Robotics, Agile Robots, Skild AI 物理世界への介入を行うアクチュエータと、それを制御する身体性AI。
3. AIデータセンター Switch (検討中), OpenAI, Oracle 大規模な基盤モデルの学習と、推論のための計算インフラ。
4. 電力 (再生可能エネルギー投資) 膨大な計算リソースを維持するためのエネルギー供給。

ABBロボティクスの買収は、第2の柱における決定的な一手である。これまでソフトバンクは、物流(Berkshire Grey)や高密度保管(AutoStore)といった特定用途のロボット企業には投資していたが、汎用的な産業用アームロボットのプラットフォームを欠いていた。ABBの買収により、製造業から物流、建設に至るまであらゆる物理作業をカバーするハードウェア基盤を手に入れたことになる6

Introducing Berkshire Grey Robotic Shuttle Product Sortation (BG RSPS)(4年前の動画)

1.3 財務的背景と投資余力

約8,187億円という巨額の買収は、ソフトバンクグループの財務健全性が回復したタイミングで行われた。2025年度第2四半期時点で、SBGの純資産価値(NAV)は33.3兆円に達し、LTV(Loan to Value)は16.5%という低水準に抑えられている7

特筆すべきは、Armの上場による資産価値の増大と、OpenAIへの継続的な投資による評価益が、この攻勢を支えている点である。Armが生み出すキャッシュフローと技術的資産をテコに、次の成長領域であるロボティクスへ資本を再配分する動きは、かつてボーダフォン日本法人を買収し、モバイルインターネット市場を制覇した戦略の再現とも言える。しかし今回の戦場は「スマホの中」ではなく、「工場の床」や「物流倉庫」という物理空間全体である9

第2章:買収の解剖と産業界への衝撃

2.1 なぜABBだったのか:ファナックや安川電機との比較

産業用ロボット市場は、長らく「ビッグ4」と呼ばれる企業群(ファナック、安川電機、ABB、KUKA)によって支配されてきた10。なぜソフトバンクは、日本企業であるファナックや安川電機ではなく、スイスのABBを選んだのか。ここには明確な戦略的合理性が存在する。

第一に、企業文化とガバナンスの問題である。ファナックや安川電機は伝統的な日本企業であり、ソフトバンクのような投資会社による買収や、シリコンバレー流の急激なAI導入に対して文化的な摩擦が大きいと考えられる。一方、ABBはグローバルコングロマリットであり、事業ポートフォリオの入れ替え(カーブアウト)に慣れている。ABB側にとっても、ロボット事業はR&Dコストが肥大化する一方で利益率が圧迫されつつあり、AI投資を加速させたいソフトバンクへの売却は渡りに船であった6

第二に、グローバルプレゼンスである。ABBは欧州と中国市場に強固な基盤を持つ。特に中国は世界のロボット需要の半分以上を占める市場であり、ABBは上海に最新鋭のギガファクトリーを有している。米中対立のリスクはあるものの、世界の製造現場を押さえるにはABBのネットワークが不可欠であった。

第三に、評価額の妥当性である。ファナックの時価総額は約5兆円規模であり、買収には巨額のプレミアムが必要となる。対してABBのロボット事業単体の買収額は約54億ドル(約8000億円)であり、SBGの手元流動性で十分に賄える範囲内であった7

2.2 買収のスキームと新体制

本買収は、ABBがロボティクス事業を分社化(カーブアウト)し、その新設会社の全株式をソフトバンクグループが取得する形で行われる1

  • 買収完了予定: 2026年半ばから後半

  • 新会社: スイス・チューリッヒに本社を置き、現在のABBロボティクス部門社長であるMarc Segura氏が引き続きトップを務める。

  • ブランド: 「ABB」ブランドの継続使用権が含まれる可能性が高いが、将来的にはソフトバンクのエコシステム内でのブランド再編もあり得る。

このスキームにより、ソフトバンクは7,000名の従業員と、世界50カ国以上に展開する販売・サービス網、そして50万台以上の設置済みロボットベースを一挙に獲得することになる。これは、ゼロからロボットメーカーを立ち上げる時間を金で買ったことを意味する1

2.3 産業界への波紋:ハードウェアのコモディティ化

この買収が日本の製造業に与える衝撃は計り知れない。これまでロボット産業の競争優位性は「メカの精度」や「モーターの耐久性」にあった。しかしソフトバンクの参入は、競争の軸を「知能(ソフトウェア)」へと強制的にシフトさせる。もしソフトバンクが、ABBのロボットに人間並みの知能(Skild AI)を搭載し、(今泉注:上のSkild AIの動画を参照)誰でも簡単に扱える製品として提供し始めれば、熟練のティーチング(教示作業)を必要とする従来の日本製ロボットは、単なる「動く鉄塊」としてコモディティ化する恐れがある。これは、ガラケーがiPhoneに駆逐された歴史の再来を予感させるものである。

第3章:「脳(Brain)」の革命:Embodied AIとSkild AI

フィジカルAI戦略の核となるのは、ロボットの「脳」である。従来の産業用ロボットは、厳密にプログラムされた座標通りに動くことしかできなかった。ソフトバンクが目指すのは、環境を認識し、自律的に判断して動くロボットである。その鍵を握るのが、Skild AIである。

【Skild AIとは:ロボット界の「基盤モデル」】 Skild AIは、カーネギーメロン大学の研究者らが設立したピッツバーグ発のスタートアップで、ロボット制御における「ChatGPT」のような存在を目指している。彼らが開発する「Skild Brain」は、インターネット上の膨大な動画データやシミュレーションデータから「物理法則」や「汎用的な操作スキル」を学習したロボット用基盤モデル

最大の特徴は、特定のハードウェアに依存しない「Omni-bodied(全身体性)」な知能である点。このAIは、4足歩行ロボットから産業用アーム、人型ロボットまで、異なる形状のロボットに移植しても、環境の変化や未知の物体に適応してタスクを遂行できる。ソフトバンクとNVIDIAからの巨額出資により、この「汎用脳」がABBなどの産業用ロボットに実装され、従来の「ティーチング(教示)」を不要にする未来が現実味を帯びてきている。

3.1 Skild AIとは何か:ロボットのための基盤モデル

2025年、ソフトバンクとNVIDIAは、ピッツバーグに拠点を置くスタートアップSkild AIに対し、評価額140億ドル(約2.1兆円)規模での投資を検討していると報じられた11。Skild AIは、ChatGPTが言語の基盤モデルであるように、「動き(Motion)」の基盤モデルを開発している企業である。

Skild AIが開発する「Skild Brain」は、特定のロボットハードウェアに依存しない「Omni-bodied Intelligence(全身体性知能)」を標榜している13

  • データ駆動型アプローチ: Skild Brainは、インターネット上の膨大な動画データや、シミュレーション内で生成されたデータから、「物理法則」や「物体の操作方法」を学習している。

  • 汎用性: この脳は、4足歩行ロボットにも、車輪型配送ロボットにも、そしてABBの双腕ロボットにも搭載可能である。ハードウェアの形状(身体性)が変わっても、モデルは適応することができる14

  • 耐障害性: 例えばロボットの脚が一本折れたり、モーターの出力が落ちたりしても、Skild Brainはその変化を認識し、動きを補正してタスクを継続する能力を持つ(In-context learning)14

3.2 従来の制御との決定的な違い

従来のABBロボットの制御(RAPID言語)と、Skild AIによる制御の違いを比較すると、その革新性が浮き彫りになる。

特徴 従来の制御 (RAPID) フィジカルAI制御 (Skild AI)
プログラミング 熟練エンジニアによる座標指定(ハードコーディング) 自然言語による指示、または模倣学習
環境適応 環境が変わると停止する(ワークの位置ズレ等) 環境の変化を認識し、軌道を修正して遂行する
対象物 定形物(決まった形のもの)に限られる 非定形物(布、食品、ケーブル等)も操作可能
導入期間 数週間〜数ヶ月 数時間〜数日
スキル移転 他のラインへの適用には再プログラムが必要 学習したスキルを他のロボットへ即座に転送可能

ソフトバンクがABBを買収した真の狙いは、ABBの堅牢なハードウェアに、このSkild AIの「脳」を移植することにある。これにより、ABBロボットは「プログラムされた通りに動く機械」から「目的を与えられれば自律的に動く知的エージェント」へと進化する。

3.3 OpenAIと推論能力の統合

「脳」にはもう一つの層がある。それは高次の推論と計画を行う層であり、ここではOpenAIとの連携が重要になる16

  • Reasoning (推論): ユーザーが「iPhoneのバッテリーを交換して」と指示した際、OpenAIのモデル(GPT-4oやo1など)がタスクを分解する。「1. 裏蓋を開ける」「2. コネクタを外す」「3. バッテリーを取り出す」といった手順(Plan)を生成する。

  • Control (制御): 分解された各手順(例:「裏蓋を開ける」)を、Skild AIが具体的なモーターの動き(トルク、速度、軌道)に変換し、ABBロボットに実行させる。

このように、OpenAI(大脳皮質:思考)とSkild AI(小脳:運動制御)が連携し、ABBロボット(筋肉・骨格)を動かす、完全な生物学的アナロジーに基づいたシステムが構築されつつある。

第4章:「計算(Compute)」の覇権:シリコンレベルでの垂直統合

高度なAIモデルをロボット内部でリアルタイムに動かすには、従来の汎用CPUでは不可能である。ソフトバンクは、Armと自社開発チップProject Izanagiによって、この問題を解決しようとしている。

4.1 Arm NeoverseとCortex-AE:安全と性能の両立

産業用ロボットにおいて最も重要なのは「安全性」である。スマホのアプリがクラッシュしても再起動すれば済むが、数トンの重量を持つ産業用ロボットが暴走すれば、人間の命に関わる。そのため、産業用チップには「機能安全(Functional Safety: FuSa)」が求められる。

Armが提供するCortex-A78AECortex-A520AEといった「AE(Automotive Enhanced)」シリーズは、このために設計されている17

  • Split-Lock機能: これらチップは、「スプリットモード(性能重視)」と「ロックモード(安全重視)」を動的に切り替えられる。ロックモードでは、2つのコアが同じ処理を行い、結果を照合する。もし結果が異なれば(宇宙線によるビット反転や熱暴走など)、即座にエラーとして処理を停止させる。

  • エッジでの推論: 物理AIは、クラウドとの通信遅延(レイテンシ)を許容できない。ロボットが倒れそうになった時、クラウドにデータを送って判断を仰ぐ時間はないからだ。ArmのNeoverse V3AEは、サーバークラスの性能をエッジ(ロボット側)にもたらし、その場で高度なAI推論を行うことを可能にする19

4.2 Project Izanagi(イザナギ):NVIDIAへの対抗軸

ソフトバンクは、NVIDIAへの依存を減らすため、独自のAI半導体開発プロジェクト「Izanagi」を進行中である21。報道によれば、1000億ドル(約15兆円)規模の資金調達を目指しており、2025年夏にはプロトタイプが完成、2026年には量産開始が計画されている。

  • 推論専用チップ: NVIDIAのGPU(H100等)は学習には最強だが、ロボットに搭載するには電力消費が大きすぎる場合がある。Izanagiは、AIの「推論(実行)」に特化したチップになると予想される。

  • ABBへの搭載: 2026年のABB買収完了と、Izanagiチップの量産時期が重なるのは偶然ではない。次世代のABBロボットコントローラには、Izanagiチップが搭載され、圧倒的な電力効率と処理能力で他社を凌駕するシナリオが描かれている。

参考リンク:

Archetyp Staffing:孫正義氏によるプロジェクト「イザナギ」AI向け半導体市場への大規模投資!(2024/2/22)

4.3 NVIDIAとの「呉越同舟」:Jetson Thorの採用

自社チップを開発する一方で、ソフトバンクはNVIDIAとのパートナーシップも強化している。過渡期において、またはハイエンドな用途において、NVIDIAのロボティクス用コンピュータJetson Thorは不可欠である23

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  • Jetson Thor: 人型ロボットや高度な産業ロボット向けに設計されたSoC。2070 TFLOPSという驚異的なAI処理能力を持ち、生成AIモデル(GR00Tなど)をローカルで動かすことができる。

  • 戦略的使い分け: ソフトバンクは、超高性能が必要な研究開発やヒューマノイドにはNVIDIAのJetson Thorを、量産型の産業ロボットや物流ロボットにはコスト効率の良い自社製Izanagiチップを採用する、というポートフォリオを組む可能性が高い。

参考文献・リンク集

1. ソフトバンクグループ・ABB買収関連

2. フィジカルAI・技術戦略 (AI Chips & Brain)

3. ロボティクス・エコシステム (Skild AI, Symbotic, Agile Robots)

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