「その次の社会」
僭越ながら池田信夫氏が書くものには、時々、予言的な確信が込められていることがあって「はっ」とすることがあります。
先日、「マイクロソフトの高い買い物」という投稿を読んでいた時に次の一文を発見し、おぉそうなのかと思ってしまいました。
-Quote-
いま始まっているのは、資本主義とその次の社会の闘いだ。
-Unquote-
経済学をまったく勉強していないので、その最先端から見える世界がどのようなものであるか想像してみることすらできませんが、「その次の社会」が個人の側の変化によってできあがってくるであろうぐらいは推測できます。
この場合の「個人」は、消費者としての性格も持つし、企業人としての性格も持ちます。行政の枠組みを形作る人、あるいは運用する人もこの「個人」に含まれます。
消費者としての個人が変化するから、企業も変化する。
企業人としての個人が変化するから、事業モデルも変貌する。
行政に携わっている個人も変化するから、行政の枠組みも変わる。
そういうことは言えそうです。
その先に「その次の社会」があるのではないでしょうか。
こういう「個人の変化」を考える際に有用なのは、いわゆるWeb2.0の環境によって少しずつ変化している、このインターネットの上で情報の発信や受信を活発に行っている人たちのことです。私も含まれるしあなたも含まれる、といったところです。
しばし思考を飛ばす…。
たくさんの個人が関わってできるWeb2.0環境の特性のうち、この文脈に関係しそうなものを1つだけ挙げるとしたら、「ほとんどリアルタイムで現実にフィードバックをかけるメカニズムがある」ということでしょうか。
ある現象が起こる。
↓
それについてたくさんの人が書く。
↓
そのネタが何かのランキングで上位に来る。
↓
よりたくさんの人がそのネタについて知る。
↓
その現象に有形無形の働きかけが起こる。
↓
その現象がそれらのフィードバックを受けて変化する。
こうしたメカニズムを持ったWeb2.0環境に個人が関わっているのが現在です。
1人ひとりの個人はこの環境に含まれていると言うこともできるし、時には客観的に距離を置いて見ることもできるという立場にいます。また、言及される現象そのものになることもあります。非常に現代的な構図(というよりまさにポストモダン?)だと言えます。
こうした環境を持ってしまったことで、個人は多いに変化せざるを得ない。
日本の場合、Web2.0のリテラシーを持った人たちは、おおよそ100万人~200万人(アクティブブロガーの数)。
通例、その社会におけるイノベーターの比率は5%以下ですから、これらの人たちは日本における、こうした動向におけるイノベーターだと言うことができます。(ただし分野が変われば、ぜんぜんイノベーターではない可能性もあるので注意)
こうした個人の人たちが、趨勢としてどこに行くのか?
現在の色々な課題をうまく解決できる枠組みがそこから生まれてくるのか?
わかりませんね。
けれども、明治維新と戦後の復興という成功体験がある国なわけですから、そう悲観することもないと思います。
おそらくは、この100万~200万の人たちが識字層に占める密度は米国や西欧の国々よりも高く、情報の受発信のサイクルやフィードバックをかけるスピードはかなり速いのではないかと、考えています。ひょっとすると欧米よりも速く、そうした変化が自然と湧き上がる可能性がないではありません。日本語という特殊な環境を持っていることが、そこでは幸いすると思います。いったん変化し始めたら速い。そういう感じなのではないか。
とすれば、その先で、有意なビジネスモデルとはどんなものか?そのビジネスモデルは、そうした変化で追随する国々にも適用できるのか?なんてことを考えていくと、キリがなくなるので、とりあえずここまで。