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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

ネットでは断片的な思考が好まれる

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インターネットというネットワークの上で社会ネットワークを構成するノードは、何も人とは限らない。誰かの1本の投稿が社会ネットワークの結節点になりうる。言い換えれば、誰かの思考を書き留めた1まとまりが社会ネットワークの構成要素になる。そこに対して誰かがコメントを書いたりトラックバックを送ったりというのは、そこから社会ネットワークが形成されていくということを意味する。

t大きなノードになるべく運命づけられたような投稿がある。はてブで言うと、徐々に徐々にブックマーク件数が増えてゆき、数百台から1千に達して、圧倒的な共感を呼ぶような投稿がそれにあたる。また、そこから派生するリンクは少ないものの、ある価値観の世界では無視することのできない存在感を放つような投稿がある。

そのように考えると、投稿は、ノードとしてリンクを張りやすい形態が好ましいということになる。これはたぶん、人ひとりの考えが、ネット上で書き付けられる場合は、なるべく短くまとまっている方がよいということになっていくだろう。

なぜなら、長い思考、長大な構造を持っている思考、最初から最後までたどるのにある程度の時間がかかるような思考は、”どこにリンクを張ってよいのかわからない”ものとして存在しているからだ(筆者が小分けして、小見出しも考えてつけて、リンクを張りやすいようにしている場合は別である)。リンクが張りにくいということは、社会ネットワークの構成要素にはならないということである。すなわち、インターネットの上では、価値が見出されにくい。いやこれは正確ではない。きちんと読まれ、解釈されているにしても、その価値を、読者が第三者に伝える術がない思考として存在しているということになる。これは、少なくともネット上で表出される思考としては、不幸なことである。

ここに思考のモジュール化への志向をうっすらと認めることができる。思考がモジュール化されるとは、思考が人ひとりでなされるものではなくなりつつあるということと同意である。ひょっとしたら、デカルト以来の哲学革命だったりして。

ここで衆愚を持ち出すのは当たらない。衆愚は、強いDNAが残る適者生存のメカニズムをまったく無視した考え方だ。モジュール化された思考が何十億人によってなされようとも、よい思考は残り、よくない思考は忘れ去られる。ここではもちろん、数多くの人によって受け入れられる思考がよいもので、少ない人にしか受け入れられない思考はそうではない、ということを言っているのではない。思考のDNAが強い弱いというのは、数の問題ではない。

思考がモジュールにより多数の主体によって推進されるものになったのだとすれば、従来型の”思考を基盤に置く個人”の定義を、少し書き換える必要があるだろう。こうした現在の状況をデカルトが正しく把握したら、すごく驚くだろう。卒倒するだろう。でもたぶんネットをやっていないから把握できないだろう。よって卒倒せずに歩き去るだけである。

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