「資本主義社会で本物が成熟するためには アメリカの英雄、クライバーン」 競争とはコンクールとはーⅩ
1958年に旧ソ連で開催された第一回チャイコフスキーコンクール。
国の威信をかけて行ったこのコンクールに、アメリカ・テキサス州からやってきたピアニスト、ヴァン・クライバーンが優勝しました。
予選からその演奏はずば抜けていました。
政治の上では冷戦が続いていたにもかかわらず、クライバーンの演奏にモスクワの聴衆は夢中になってしまいます。
本選の曲を弾き終わったクライバーンに、全員がスタンディングオーベーション。ホールに聴きにきていた最高権力者、フルシチョフは審査委員長に言ったそうです。
「クライバーンがベストなら、彼に賞をあげなさい」
クライバーンは一夜にしてアメリカのスターとなりました。
帰国の際はアイゼンハワー大統領が空港までお出迎え。ホワイトハウスの祝賀パーティ。カーネギー・ホールでの優勝記念コンサート。ニューヨーク5番街でのパレード。
彼の弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲のレコードは2週間で100万枚の売り上げ。出演料はクラッシックでは破格で、1960年代初頭で8千ドル~1万ドルといわれています。
まさにサクセス・ストーリー。
しかし、アメリカ社会はスターに休む暇を与えませんでした。
新しいレパートリーを勉強する時間もなく、同じ曲ばかりを繰り返し演奏し続ける日々。批評家やマスコミはだんだんと彼をこきおろし始めます。
極度に疲労しきったクライバーンは、精神的にも肉体的にも消耗し、やがては表舞台から消えて行くことになります。
当時のクライバーンが弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音を聴くと、スケールが大きく、腕が鳴るようなテクニックと繊細な音楽性を持ち合わせた名演。
しかしどんなに才能があろうとも、一人の芸術家がさらに成熟するためには、演奏会を離れ、腰を落ち着けて勉強する長い時間が必要なのです。
しかし、休めばその間にライバルが現れて、すぐに忘れ去られてしまいます。
そのためには常に舞台に立ち続けなくてはなりません。
コンクールの後も競争に終わりはないのです。
コンクールでは、クライバーンに終始一貫して満点を与え、他の演奏者には0点をつけていた巨匠スビャトスラフ・リヒテル。その後、コンクールの審査員は一切引き受けなくなったと言います。
彼は、クライバーンをいったいどのような思いで見つめていたのでしょうか。
現代、世界のあちこちで行われるコンクール。
年間何人の優勝者が出ることでしょう。
その中から一人でも多くの本物の芸術家が育ってくれることを願わずにはいられないのです。
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