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「落選した天才 ポゴレリチ」 競争とはコンクールとはーⅠ

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エキセントリックな天才、そう呼ばれるピアニストがいます。
 
イーヴォ・ポゴレリチ。1958年ユーゴスラビア出身のピアニスト。
 
彼は1980年、ポーランドで開催された第10回ショパンコンクールにおいて、予選落ちしています。
 
しかし、その演奏は群を抜く素晴らしさで、世界一ショパンの演奏に厳しい聴衆と言われる地元ポーランド人の心をもわしづかみにしました。
 
演奏スタイルはショパンが書いた楽譜の指示を守らない、独自の解釈を加えた型破りなもの。
ステージマナーも破天荒でした。クラッシックの演奏ではタキシードが当たり前の中、ジーンズにシャツ姿。首からは鎖のようなアクセサリーをぶらさげて、さらにガムを噛みながらの演奏。
プライベートでは、20歳も年上の師、アリザ・ケゼラーゼとの結婚。
 
いかにファンタジーあふれる音楽で、聴衆が喜んだとしても、やはりコンクールでした。アカデミックな保守派に真っ向から否定され、落選してしまうのです。
 
審査員の一人、天才女流ピアニストのマルタ・アルゲリッチは、ポゴレリチを落選させた他の審査員に対して猛抗議を行い、「彼は天才よ!」という言葉を残し、途中棄権してしまいます。
 
しかし、その予選でのスキャンダルが、皮肉にも栄光への第一歩となりました。
その後すぐにニューヨーク、カーネギーホールでのデビュー。ドイツ・グラモフォンとの契約など、たちまち楽壇の寵児となっていくのです。
 
現在彼も52歳。
実力、人気ともに誰もが認める世界の巨匠。
 
彼の数々の録音やリサイタルを聴くと、アルゲリッチとポーランド聴衆の判断は正しかったのかもしれない、とふと思ってしまいます。
 
幸か不幸か、その華やかなシンデレラストーリーの影に、常に安定した演奏で、第一位を獲得したベトナムのピアニスト、ダン・タイ・ソンがいました。
この二人の運命を見ると、コンクールの危うさと、限界を感じずにはいられません。
 
競争の先に何を見るか。
 
そのことを深く考えさせられるのです。

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