「一位以外は全て0点」 競争とはコンクールとはーⅨ
1958年にロシア(当時ソ連)のモスクワにて第一回チャイコフスキーコンクールが開催されました。
アメリカのピアニスト、ヴァン・クライバーン(1934年~)が圧倒的な演奏で第一位。
「政策上、ソ連人以外は一位を出さない」と言われ、しかも冷戦下という情況の中、予想外の出来事にアメリカ中がクライバーンの勝利に沸きました。
そのとき審査員に加わっていたのが、ロシアのピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテル(1915年~1997年)です。
ピアノ界の巨人。
どんなピアニストもリヒテルの影響を受けていない者はない、と言われるほどです。
リヒテルは、第一次予選から本選まで、クライバーン全ての演奏に満点の25点を与え続け、他の演奏者には全員0点をつけました。
当然、自国の演奏者もいただろうと思われます。しかし、リヒテルは他には一切点をいれませんでした。
そして、1955年ポーランドで開催された、第5回ショパンコンクール。
イタリアのピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920年~1995年)が審査員として迎えられました。完璧主義者でキャンセル魔でもある天才ピアニスト。
他錚々たるクラッシック界の重鎮が審査員席に顔を揃える中、彼の採点はすさまじいものでした。
ロシアのピアニスト、アシュケナージ(1937年~)以外は、25点満点で3点などというような点をつけてしまうのです。
しかし、結果はポーランドのハラシェヴィッチが第一位。アシュケナージは第二位。
ミケランジェリはアシュケナージが一位でないことに対して激怒し、証書にサインをせず退席しました。
この結果において実はソ連とポーランド間の政治的背景などが関係していたとも言われています。
しかし、ピアニストとして、その後は指揮者として、アシュケナージの世界的な活躍。そしてほとんど聞かないハラシェヴィッチの現在。
リヒテルもミケランジェリも、天才と言われ、巨匠として歴史に残るような芸術家である一方、若い頃は、政治的な理由からデビューが遅れたり、コンクールにおいては認められなかったり、といった様々な苦労や試練を背負いながらも、努力によって地位を築いてきた人たち。
「一位以外は意味がないのだよ」と言わんばかりの採点方法に、彼らの芸術家としての強いメッセージを感じないではいられません。
そして圧倒的な領域に達した者でなければ見えない世界があることに気がつかされるのです。
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