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「知られざるコンクールの裏側 不屈のヴァイオリン、チョン・キョンファ」 競争とはコンクールとはーⅦ

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韓国に生まれた、現代最高のヴァイオリニスト、チョン・キョンファ(1948年~)。
 
魂を震撼させるような演奏。
来日公演では、ステージに「神が降りてきた」と思いました。
真の天才とは彼女のような芸術家のことを言うのではないでしょうか。
 
チョン・キョンファは、1967年アメリカで行われたエドガー・レヴェントリット国際コンクールで、名教師、ジュリアード音楽院ガラミアン教授の同門でもある、今や世界的なユダヤ人ヴァイオリニスト、ピンカス・ズーカーマンと一位を分け合っています。
 
その時のことを、チョン・キョンファのお母さんであるイ・ウォンスクが、著書「世界がおまえたちの舞台だ」(産経新聞社)で書き記しています。

主催者側から急な課題曲の変更。
ニューヨークの有名な音楽マネージメントから「『二位にならなければ』今後の演奏料を落とす」という圧力。
そして先生であるガラミアンからも、弟子2人を一緒に出せば一人は落ちることがはっきりしていることから、「コンクールをやめるように」という指示。
そして本番当日は、くじも引かずにいきなりトップでの演奏を申し渡されます。

     ・・・・・(以下抜粋)・・・・・
 
何かがある。誰かがコンクールに参加することを妨害している。背後にはユダヤ人の匂いがするようだった。私の心証であるが。アメリカのハイソサエティーのほとんどの分野でそうであるように音楽界でもユダヤ人の影響力が大きく働いているのは現実だった。
 
     ・・・・・(以上抜粋)・・・・・

演奏後、審査は難航。24人の審査員のうち、審査委員長だったアイザック・スターンが最後までピンカス・ズーカーマンに一位をやりたいと主張していたためです。
 
そしてコンクール歴史上前例のない、再演奏となりました。
このとき最高の演奏をしたチョン・キョンファ。失敗をくりかえしたピンカス・ズーカーマン。結果は誰の目にも明らかでした。
しかし、結果は二人とも一位。

     ・・・・・(以下抜粋)・・・・・
 
純粋な音楽の世界でこのような差別待遇があってもいいのか。あのときほど弱小民族の悲哀を感じたことはない。アイザック・スターンの不公平なやり方、あのときの無念さは言葉では言い表せないが、自分の民族の子供を一等にするために悪口を言われるのも覚悟で、あのような行動をとったアイザック・スターンも普通の人ではなかったと思う。
故郷を離れると皆愛国者になるとはいうけれど、ユダヤ人にたちに対する畏れを私は今でも捨てきれない。
 
     ・・・・・(以上抜粋)・・・・・

その後、チャコフスキーコンクールを受けようとしていたチョン・キョンファですが、「向こうは(当時の)政策上、ソ連人以外には一等をくれないだろう」という師、シゲティのアドバイスで受けることを断念しています。
しかしチョン・キョンファは、コンクールに頼らなくても、その実力どおり、世界の聴衆に認められていくのです。
 
音楽とは関係ないところで動く、政治力とお金の力。
 
そして、人が人を審査する、というコンクールの姿を今一度深く考させられるのです。
 
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