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「苦難を乗り越えて 指揮者、チョン・ミョンフン」 競争とはコンクールとはーⅧ

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韓国の指揮者、チョン・ミョンフン(1953年~)。今世界で最も素晴らしい指揮者の一人だと思います。

彼は指揮者であるとともに、ピアニストでもあり、1974年、第5回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門において第2位に入賞しています。
そのときの第1位は、ロシアのアンドレイ・ガブリーロフ。
そして第4位には、大変豊かな音楽性を備えたピアニストとして活躍中のハンガリーのピアニスト、アンドラーシュ・シフが入選していることから、この第5回がいかにハイレベルであったかがうかがえます。
 
ピアニストとしても十分活躍が期待されていたミョンフン。
しかし、コンクール後、かつての夢であった指揮者となることを決意します。
 
ミョンフンが指揮者としてまだあまり有名でなかった頃の1989年。
まだ30代でパリのバスティーユ歌劇場の初代音楽監督に異例の大抜擢をされたのです。
 
しかしこの舞台裏で、専任指揮者は、これまたピアニスト出身のユダヤ人指揮者、ダニエル・バレンボイムに決まっていました。正式契約まですませて公演計画もすすんでいたのにもかかわらず、歌劇場側のパリ市はバレンボイムを解雇してしまいます。
 
バレンボイムの後ろには、ユダヤ人大富豪たち、それから世界の錚々たる音楽家たちを抱えるマネージメント、コロンビア・アーティスト社がついていました。
 
解雇に対して徹底的な抗議が始まります。
有名なオペラ歌手を出演させないように工作し、ショルティ、カラヤン、マゼール、ムーティ、ロストロポーヴィッチなどの指揮者たちも、今後はバスティーユでの公演を拒否するという、連名の「声明文」が送られてきたのです。
 
このようなスタートにもかかわらず、オペラは大成功。
ミョンフンは、これをきっかけに世界的な指揮者となっていきます。
 
しかし、皮肉にも1994年に政治的な理由でミョンフンも解雇されてしまうのです。
 
現在、世界中のオーケストラやオペラを指揮するミョンフンですが、指揮者としてやっていくには今も苦難の連続であるに違いありません。
 
自ら、著書「幸せの食卓」の中にあるエッセイで、3人の息子さんに対してこのように語っています。

     ・・・・・(以下抜粋)・・・・・
 
音楽家として生きながら、音楽で成功するのが非常に難しいということが痛いほどわかったので、特別に音楽の勉強をさせたりしなかった。善と敏(次男と三男)はそれぞれジャズとバイオリンの勉強をしている。ジャズというのはどれほど実力があっても食べていくのは難しい分野なので次男のことは少し心配になる。
親としていろいろ現実的な問題が心配になるのは事実だが何も言わずに彼等を信じてただ見守っている。自分の望む道を発見し、その道を行こうとするのならば、ある程度の犠牲は覚悟しなければならないと考えているからだ。
 
     ・・・・・(以上抜粋)・・・・・

この世界の厳しさ、音楽の素晴らしさを心から分かっている人だからこその、愛情に満ちた深い言葉。
 
実力の競争に勝ったとしても、その後に控えている実力だけではどうにもならない壁。
しかし、その壁を乗り越えていく姿こそ、多くの人々に勇気を与えてくれるのだと思います。

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