「競争の先に見つめるもの」 競争とはコンクールとはーⅡ
イーヴォ・ポゴレリチは、良いか悪いかは別として、コンクールでのスキャンダルによって世界の楽壇にデビューしたピアニストだと思います。
有無を言わさぬ実力、研ぎ澄まされた感性と、曲への型破りな解釈。一見ロック・スターのような容姿も相まって、彼は人気者となっていきます。
その刺激的な演奏は、今までクラッシックは退屈と思っていたような人々まで虜にしていきました。
アカデミズムをあざ笑うかのように、不敵なばかりの表情を浮かべながらステージに登場し、末は20世紀の大巨匠達と同じ道を歩むのかと思われました。
しかし、1996年に、師であり妻であるケゼラーゼを亡くしてから、ポゴレリチは精神的に不安定な状態になったといいます。そして、しばらくはステージから姿を消していました。
数年後、再び聴衆の前に現れた彼の演奏は、硬く心を閉ざしたようなスタイルに変貌していたのです。
体型も変わってしまい、スキンヘッド。真っ暗なステージに、譜めくりを伴って登場。常識を逸脱したかのようなゆっくりなテンポ。感情を極限までにおさえた音色。時間が止まってしまったかのようで、聴いていて息苦しささえ覚えます。
あの鋼鉄のテクニックとビロードのような音、スリリングなテンポ、軽快なタッチ、自己陶酔ギリギリの深い情感あふれる表現はどこへ行ってしまったのか。
幼い頃から才能あふれるために、ロシアに留学し、親元から離れたポゴレリチ。
20歳年上の師ケゼラーゼは、師であり、妻であり、母であったのかもしれません。
どんなエキセントリックで我儘な演奏をし、周囲から批判されようとも、自分の音楽を認め、理解してくれる人がいる。
だからこそ、コンクールという競争に打ち勝ち、その後、演奏の孤独にも耐えられたのでしょう。
音楽の源泉を失ったいま、一体何を表現すればいい?
ポゴレリチは、そう問うているように思えました。
競争の末、全てを手に入れ、そしてその先、彼の目は何を見つめているのか。
虚構なのでしょうか。
それとも悟りなのでしょうか。
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