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加藤恭子さんのプレスリリースと職務経歴書の共通点!というエントリーに触発されて。
ワタシの場合、仕事の多くの部分が担当しているサービスとその規格に関するプレゼンテーション&デモンストレーション、およびそれに関するモノ書きというちょっと特殊な環境に居ます。何が特殊かって?いや、同じネタなんですが、見方を変え、切り口を変え、手を変え品を変えという形でこねくり回してるんですね。
ネタは同じ。でも相手が違う。ここが大事。
同じ話を相手が受け取りやすいように変えるという、当たり前の作業
これはワタシにとっては仕事の一つなのでテクニック以前の単なる「作業レベル」の話です。ただ、一般的には「プレゼンテーションのテクニック」として言われる事だとは思います。
ま、そこはどうであれ、例えばプレゼンテーションという行為は自分の話を相手に理解してもらう必要がありますが、相手がどこまで自分の話を理解してくれるかは未知数であることが多いのも事実。事前に話す相手のプロファイルや話を聞く目的意識、そして求める結論までわかっていれば後は喋る側の力量になるわけですが、そこまで判るケースなんて滅多にありません。
ただ、営業さんがお客さまを案内してくるときには可能な限り事前にそれらの情報をよこせとは言いますが・・・
相手に何を伝えればよいのかを冷静に考える、ということ
ちょっと冷静になれば判って来たりします。相手は自分の話だけを聞いてるのではないわけで、色んなところで他の何かと比較していたりします。そんな中で自分の話を、そして自分を伝えたいとなると、逆に相手が求めているところが何かという部分を考えないと何も伝わらないという至極基本的な事にたどり着きます。
少なくともワタシの場合はそうでしたし、今でもこれは変わりません。
ただ、相手に合わせるというのはストーリーと取り上げるネタだけであって、基本線は何も変わらないはず。とすると、そもそも伝えたい話の根幹って何?と自分の話をもう一度掘り下げて分析する必要にも気づきます。
そのメッセージは誰に対してのメッセージなんだ? 言いたいことはそれだけか? 言わなくてはいけないのはそれだけか?
ワタシのこのブログのプロフィールのところに書いているこの文句って、実は座右の銘みたいなモンなんです。別にマーケティングコミュニケーション云々とかではなく、普段の人との話も全部同じだと思ってるんです。
消去法でメッセージを絞るのではなく、まず話の根っこを考えてそれを補完するネタをくっつけてゆくという追加法(そんな言葉あるのか?)的な組み立てっていうのが、自分の知人ではない人とのコミュニケーションに必要だよね?という考え方。
ま、もちろんこれはワタシの持論なんで、誰に押し付ける種類のモノではないんですけどね。
単なる比喩で、それも心理学とかマトモに勉強したことがないワタシの単なる思い込みです。ただ、人が情報に接するときに幾つかのパターンがあるよなと時々思ってます。とりあえず自分の事は棚に上げて、ということで。
でも最初に言っとくと、どれが良い悪いの話ではありませんので念のため。
ウォッチャーはネタに事欠かない
常に新しい情報を探しまくる系。
特定のネタだったり、特定の業種だったり、あるいは節操無く広く浅くだったり。こういう人にこそInternetのWebの世界はあるわけで、ありとあらゆる媒体から集まる情報を頭の中のフィルターに通して仕分けできるスキルの持ち主。
ただし、自分で何かするというよりは情報のディスパッチャーになる傾向がある気が若干するかと。
アナリストは的外れ
モノゴトを分析的に掘り下げる系。
担当範囲はそれほど広くないが、その範囲での情報から分析作業を行い、最終的に何かしら発言を行う。ただし自分の知識レベルと周囲とのギャップを理解できないと何を言ってるかわかってもらえないし、伝えるべき相手が何も知らない事を大前提にしすぎると結局モノゴトをよく判ってないのね?と変な評価を貰ってしまう傾向がある。
この場合、発言することが目的になるので、ディスパッチャーというよりは自分の意見が入る方向の動き。
リサーチャーは好き放題
なんか勝手にやっちゃう系。
担当範囲はそれほど広くないが、その分深さを持つ。幾つか飛び地的に興味範囲が分散する事もあるが、何れにせよ個々の範囲での知識が深すぎて周囲がよく理解できない事がある。
興味有る分野に話が及ぶといきなり元気になるが、あとは死んだフリをしてるかと思うほど静か。あるいは強引に自分のフィールドに話を持ち込むかの両極端。
全部比喩ですよ~
いろんな所でいろんな人がいろんな事を発言するという状況に触れる事が多くなったなぁというのが昨今の素直な気持ち。いわゆるプロのジャーナリストや物書きから、普通の人まで自分が誰かに何かを伝える場っていうのはとてもたやすく得る事ができます。
もちろんそこに読んでくれる、あるいはその情報に触れてくれる人がいるかどうかは別の問題ですし、個人的なメモみたいなのから誰かに読んでもらうのを前提としたものまで幅が広いですから、一概にどうだという話ではありません。
それで言うと、一般的に広く何かしら発言している人が、それこそ一種のはけ口的に類推すら不可能な全く別の名前で何かを書き散らしてるなんてのはよくある話。一方、同一人物であっても発言する場において言い方やネタの取り上げ方、文体まで含めて変えて居るケースもあります。
何が良くて何が悪いとか、何が正しくて何が間違ってるとかそういう話ではありません。
ただ、「この人ってどんな行動原理なんだろうな?」と分析的に考える事が有るワタシは・・・何系なんだろう?
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