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著作物の使用において、著作者とユーザーの間に介在する中間業者(製造~流通~小売)の取り分が多すぎるという意見があります。「そういう契約を結んでいるのだから」というのはもっともな理由だと思いますが、通常は支払う会社側(出版社とかレコード会社など)が力を持っているため、そのルール(取り分)は会社側が決めることがほとんどでしょう。そこで、「レコード会社とアーティストは対立しているのか」とは違う視点で考えてみます。
たとえば、一般の書籍の場合、著者の印税は10%というのが相場です(人気作家や出版社によって違いはあるかもしれませんが、詳しくはわかりません)。たとえば、2000円の書籍を3000部発行することを考えると、日本は再販制度があるので、そのままの価格で売り切った場合、総額600万円のうち著者の収入となるのは60万円で、残りの540万円が、紙代や印刷代などの製造費、流通コスト、書店のマージンなどに消えます。これらの段階のそれぞれにお金がかかりますから仕方がない面はあるのですが、もし印税を15%に引き上げたとしたら、著者には50%増の90万円が渡るのに対し、残りは510万円です。つまり、中間業者にわたる金額は540万→510万に5.6%程度減るだけです。
一方、日本の出版社は再販制度によって価格引き下げ圧力を受けないわけですが、通常は期間を過ぎても売れない本は返本されてきます。こちらの記事によれば、書店からの返本率は4割にも及ぶそうですが、著者の印税分をはるかに上回る金額が、不良在庫と化してしまっているわけです。もちろん、そう単純なことではないでしょうが、著者への印税を渋るより、返品率を下げる方が利益率を高めるにはよほど効果的だといえます(「できるなら、とっくにやっている!!」と言われそうですが)。
出版社にとって、慣習として決まっている印税率を上げるモチベーションはないかもしれません。しかし、ある出版社が“抜け駆け”をして高い印税率を提示するようにしたら、多くの作家はその出版社を選ぶようになるかもしれません。実際には販売力の方が重要でしょうから、机上の空論ですが、かつてアニメの声優の方々が徒党を組んで二次使用の対価を得るように交渉し成功したことはあります。最近でも、米国の脚本家組合がストライキによってネット使用における報酬の増額を認めさせたというニュースがありました。
このような制度(仕組み)の変更には、別に法律を変える必要はありません。むしろ、もともと著作者の権利である著作権が明確に定義されていなければ、闘う材料がなくなってしまいます。また、まわりでいくら「中間業者は消え去れ」といったところで、何の効果もないでしょう。たとえば、ニセモノの良心の孝好さんによれば「JASRAC は嫌われることすらブランド化している」そうです(そう見える、ということなんでしょうけれど)。たとえ、中間“搾取”などと揶揄されても、おいそれと既得権を手放すわけがありません。
ですから、むしろ著作者/クリエイターに対して、直接的な活動に出て体制を変更するように働きかけるべきではないでしょうか。個人レベルの活動では「代わりはいくらでもいる」といわれて干されるだけかもしれませんが、上記の声優の方々や脚本家組合のように組織化できれば可能性はあるような気がします。また、以前とりあげた「補償金は文化を守るために役立つか?」では、補償金の分配が実演家の方々にとって意味のあるものだというご指摘をいただいたのですが、これも先行き不安定な補償金に頼るよりも、レコード会社なり映像会社なり、直接的な契約者に対して報酬を求める方が筋であり、確実な糧になるように思います。
津田さんとのお話……というと対談のような誤解がありますが、実際には「ニセモノの良心」の方、「半可思惟」の方、「お気に入りのカレー屋さん500」の方が同席されていたという、ただの吞み会です……で想起されたことに、音楽や映像コンテンツで行われているさまざまな“実験”は、ソフトウェア業界で経験済みのものが多いということがあります。
クリエイティブコモンズは、必ずしも等価ではありませんが GPL(GNU General Public License)の影響を受けています。動画共有サイトは、ベクターのようなソフトウェアの共有サイトを思わせます。ベクター以前のパソコン通信時代にも「フォーラム」のようなものが運営されていて、そこで無料のソフトが配布されていたということもあります。たんにアマチュアが作成した自作ソフトを無料で公開するというだけでなく、実用に耐えるソフトがシェアウェア(自由に試用でき、気に入ったら対価を払う仕組み。方式は多様)という形で公開されるものもあります。秀まるお(斉藤秀夫)氏の「秀丸エディタ」などは、よく知られているシェアウェアだと思います。Radiohead の In Rainbows における“実験”は「気に入ったら支払う」というスタイルではありませんが、利用者に自由な値付けさせるというソフトはありました。
もちろん、すべてのスタイルを経験したわけではありません。たとえば、(不正投稿問題は脇に置いておきますが)ニコニコ動画に相当するものを考えても、しっくりくるものは思い浮かびません。しかし、以前書いたように「高価なソフトはコピーされて当然」と言ってのける“ユーザーの味方”がいたり、プロテクト外しを紹介してフリーライドを助長するようなメディアがあったりするところは、けっこう現在のコンテンツを取り巻く状況とダブって見えてしまいます。
そして、Linux が着実に浸透したのは、(まず gcc があったからだ、という理由もありますが)有償OS の違法コピーを蔓延させられたからではありません。現在も秀丸エディタを使っている人は多いようですが、別にオープンソースでもないし、完全無料というわけでもありません。あるいは、“ユーザーの味方”の掛け声が、イノベーションをもたらしたということもありません。結局、何かのソフトが使われ続けているのは、「ソフトそのものの力が(実用に耐えうる程度に)すぐれているから」に他なりません。もちろん、オープンソースなどでコミュニティからのフィードバックが、品質向上に寄与したということはあるでしょう。しかし、ソースネクストの1980円シリーズのように安い商用ソフトが登場した理由は、けっして不正コピーが増えたからではなく、薄利多売というビジネスが成立するようになったことや、オープンソースのような無料のソフトウェアとの“競争”が起きているためだといえます。不正コピーが招いた“効果”は、せいぜいプロテクトやユーザー認証の仕組みが強化されたことくらいでしょう。
インターネットが普及して、配布や共有が簡単になり、パソコン通信時代にはできなかったことができるようになってきているのは事実です。それこそ、ほんの10年ほど前は動画を公開したければ対価がかかって当然でした。現在、享受できるこうした“自由度”を各種のコンテンツで活用するためには、ソフトウェア業界の成功や失敗に学んでもよいと思います。
たとえば、学割が適用される携帯がありますが、そういう携帯に限定して楽曲購入にも思い切った学割価格を適用するというのはどうでしょう。ソフトウェアでも、アカデミックライセンスというものが登場して、単に不正利用を取り締まりだけでなく、正規利用を促進するという活動があり、今では定着しています。日本の音楽配信市場は、携帯中心に広がっていますし、違法着うたを取り締まるのとは別に、収入の乏しい(であろう)学生に魅力的なプランを提供するのは、正規利用を促進するという意味で効果的だと思います。きっと、携帯会社の評判もよくなるでしょう:-)
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