大企業を叩いても、チャレンジャーは喜ばない
※内容が内容だけに「お前が言うな」と言われそうな気もするので、久々に印籠を出しておきます。
今でこそ、私は大企業と呼ばれる会社に勤務しているわけですが、19年前に初めて就職したのはベンチャーに類する会社でした。何しろ社員番号が25番(←ちょっと正確ではないのですが)。先日、テレビで放送された『バブルへGO!』という映画を見ましたが、まさに当時はバブル絶頂期の超売り手市場。その会社にとって新卒の社員は初めてというくらいです。もっとも、チャレンジ精神が旺盛だったということはなくて、成り行きで決めたようなものでしたが、(たぶん)傍からは相当な冒険者のように見えたでしょう。おかげで(?)、バブルとはあまり関係のない日々でした:-)
詳細を省きますが、当時、そこでは安価なソフトを売り込んでいました。そのとき、こう言って“応援”してくれる人がいました、「これこそ安くてよいソフト。高いソフトなんてユーザーをバカにしている。コピーされて当然……」。デファクトと呼ばれている高いソフトに対抗して使ってもらうために安い値段をつけているわけですが、商売ですから売れてもらわねば困ります。それなのに「高いソフトをコピーすることが当然」という風潮が広まったら、それでもなお安いソフトが売れるチャンスはあるのでしょうか。それこそ、ソフトウェアは、音楽とかテレビ番組と違って組織ぐるみで業務目的で不正使用されていたケースというのがしばしば報告されたりしていたのですが(司法試験予備校が不正使用していたという話があったくらい)、大企業が提供するソフトが不正に使用され続けられるのであれば、よりよい環境を安く提供しようとするチャレンジャー企業の成功は遠くなります。
楽曲や動画のような著作物についても同じでしょう。たしかにお金をかけたってよい作品になるとは限らないわけですが、制作や宣伝にコストと手間をかけた作品を勝手に共有する風潮が広まることは、そういうコストのかかっていないチャレンジャーの作品が認知されるチャンスを損なうことになります。楽曲の不正共有を正当化しようとしている人は、そういう可能性のことを考えているのでしょうか。あるいは、大手に属さずに活動しているアーティストを探してそうとしている人はどれだけいるのでしょうか。先日紹介した田中辰雄氏のレポートで「CDの売上げ」と「ダウンロード数」に相関関係があるというのは、そんなことをしている人がほとんどいない(たんに売れている曲をダウンロードしているだけ)ということなのではないでしょうか。
先に書いたとおり、レコード会社に所属するアーティストは搾り取られているという批判については、ほんとうにそう思うならレコード会社に所属しても搾り取られるだけだとアーティストに言うべきでしょう(彼らが信じるかどうかはともかく)。そもそも、彼らの作品を勝手に共有して「広めてあげる」ことを、彼らは望んでいるのでしょうか。以前取り上げたカウントダウンチューブのように、プロモーション(宣伝)ビデオが素材であり音楽業界からギリギリ認められているらしいものがあるとしても、それがすべてに言えるわけではないでしょう。それこそ、テレビ番組や映画や音楽を不正共有することは、結局、まじめに著作権者と契約している配信サービスをつぶすことになるかもしれません。あるいは、JASRAC を批判するときに、その他の著作権管理組織のことを思い浮かべている人は、どれくらいいるのでしょうか。イノベーションを否定する大企業が気に入らないといって勝手にルールを無視することは、イノベーションを促進しようとするチャレンジャーにとっての障害になるとは考えられないでしょうか。
イノベーションを否定する大企業は衰退する、ということを現実のものにしたいのであれば、そうした企業の活動は積極的に無視すべきでしょう。少なくとも自分自身でイノベーションを起こそうとするのでなければ、チャレンジャーを自ら見つけ出して応援することが何より重要ではないでしょうか。少し前に「[音楽] 「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年」というエントリが話題になったようです。前エントリに書いたとおり、音楽産業に関する数字を見る限り「衰退」しているという印象は持てないのですが、無断共有が大きな会社より小さな会社にこそ影響を与えている可能性は十分に考えられます。ここに書かれている「インディー系こそが厳しい状況に置かれている」ということが事実であれば、それこそが楽曲の不正共有で「自由」を訴えている人の望むことなのか、大いに疑問を感じます。(楽曲の不正共有とインディー系の状況に因果関係があるという根拠はありませんが)