働くことと寿命の天秤
無職になって8か月が過ぎました。
以前のブログに書いたように、もう金輪際、働くつもりはありません、という訳では無いのですが。
ただ、何して、どうやって、働くか、ということには未だ迷い続けています。
同じ学年の人の活躍を見ると、一日一日を今のような過ごし方をして良いものか、とは思います。
このオルタナティブ・ブログでも、上場会社の社長になった人や海外をまたにかけて働いている人がいます。
(あえて誰、とは書きません)
この4月には社外の知り合いも、割とお堅い企業の子会社の社長に就任していたことを先日知りました。
そうした皆さんのご活躍を、決して恨めしく思う訳ではなく、本当に素直に素晴らしいな、今まで頑張って来られてきた成果もしくは結果なんだな、と尊敬します。
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社会人になってから、新卒の際の入社同期、中途採用で入った会社の先輩や後輩、取引先の方が在職中に亡くなってしまったという報を目にしたことがあります。
先輩のうちの一人についてはこのブログでも書いたことがあります。
職場の先輩の訃報にふれて。:終活はじめました。:オルタナティブ・ブログ
この方はご病気で、63歳で亡くなられました。
同じ役職者アセスメントで一緒になり、同じタイミングで役職者になった人が翌々年の終わりには亡くなっていたり(それを知ったのは後の人事情報にて知りました)。確か一学年下だったと思うのでその時点で47歳ぐらいだったのではないか、と思います。
3年ぐらい前には、地域のママさんバレーボールで活躍する、超アクティブな先輩が59歳で急な進行性のご病気でお亡くなりになられました。
その他にも急に倒れられてそのまま帰らぬ人になられた方も居られました。
そういうことに遭遇する中で、「人生100年時代」って幻だよなぁ、と思うことが強くなりました。寿命は自分では決められないので。そして「死亡退職」だけは絶対嫌だ、とも。
なので、自分の時間の使い方を大事にしたい、自分の時間の使い方は自分で決めたい、ということを数年前から強く思うようになりました。
じゃあ、今の生活において、とても有意義な生活をしているか?と言えば、他人から見ると「何て無駄な!」となることは必至だと思います。
ただ、その時間の使い方は、人から強制された訳ではなく、自分で選んだ結果です。後でああしておけば良かった、と思ったとしても自分自身に責任があります。
じゃあ、今の生活において、物凄く健康に気を遣っているか?と言えば、肉体面においては全く健康的な生活ではありません。
ただ、過剰なストレスや自分の中のこだわりとのギャップや周辺環境という意味では、昨年までよりは精神面においてはかなり健康的な生活になったと言えます。
もちろん、将来の生活における金銭面についての不安は無くはないですけどね。それこそ寿命と引き換えにできるのではないでしょうか。
自分の精神面がおだやかのままで、自分で時間の使い方を決められる、そんな仕事を見つけられれば、と思っています。
そう簡単にあるとは思いませんが。