職場の先輩の訃報にふれて。
「○○さん、亡くなったって話、あるんだけど、妹尾さん知ってる?」
それは業務上のつながりのある、別の部署の方から言われた唐突なセリフであった。
「いや・・・って、そうなんですか?」
「詳細はまだよくわからないんだけど、どうやらそうらしい」
○○さんの所属している部署の方に尋ねに行った。その日の朝、奥さんからご連絡があった、とのこと。
先日、通夜が営まれ、それに行ってきた。
これまたいつものように、このブログを私物化しているが、今月の出来事としては一つの大きなことだったので、故人を偲んで書いてみる。
初めてお会いしたのは十数年前。とあるプロジェクトで一緒になった。
普段は優しい口調。でも突如べらんめぇ調になったり。普通に会話してた、と思ったのに突然怒られたこともあった。そのきっかけがなんだったか今もよくわからない。
でも何故か、その後、業務を遂行していく中、気に入ってもらえたらしく、何度となく飲みに誘ってもらい、その都度奢ってもらえた。
「いつもいつもすみません」と言うと、
「俺にはいいから、いつか自分に後輩ができたり部下ができた時には、そいつに奢ってやるんだよ(笑)」
と払わせてもらえなかった。
「あ、妹尾さんがエラくなったらその際は奢ってくれよ」とも言っていた。
飲みに行くと、たいてい同じ話になる。自分はいつも初めて聞くような感じでうなずいてみたりそうなんですか、と驚いてみたり。
ただ、自分としては、奢ってもらえるから、という訳ではなく、楽しそうに話すその姿が好きだった。
「今度飲みに行こう!」「いつ行くんだ?」「妹尾さんは口ばっかりだからなぁ」と飲みに行くのがさも好きそうに言う割に、二次会、三次会、と言ってもお開きになる時間、それはすなわち○○さんが「じゃあ、そろそろ帰ろうか」と言い出すタイミングなのだけど、それは決まって22時過ぎ、遅くとも23時手前。それ程お酒が強い訳ではなく、自分と二人で飲みに来ていて、寝てしまっている時もあったけど、その間、起きるまで一人で飲んでいたこともあった。
そう、○○さんの話す話題は家族のことも多かった。一人娘の自慢、飲みに行くのも、家族や奥さんと二人で行っている店だ、という所が多かったり。家族のことが大好きだったのだと思う。だから、ある程度飲むと、家に帰りたくなっちゃうのかな、とも思っていた。
仕事については、まさに「専門家」という感じ。丁寧かつ妥協を許さない感じ。だからか、「知ったかぶり」するような者を許せなかったのだろうし、「上位下達」だからやるんだ、といった"本質"から外れた議論をする者(だったのではないか、と推察しているが)を許せなかったのだろう。口汚く罵ったこともあった(らしい・・・自分はその場所に居合わせていない)。
敵の多い人でもあった、と思う。
しかしそれは、その人の「真面目さ」故の真摯な対応でもあるし、かつ「不器用さ」故の応対でもあったのだろう、と思う。
前述の話に戻るが、自分が何故気に入ってもらえたのか、飲みに誘ってもらえるようになったのか、は未だにわからない。ただ、中途採用で入ってきた中で、過去の経緯も全くわからない中で、それを理解しようとしたし、自分自身、至らない所は素直に教えを乞う姿勢を忘れなかったことは自分は意識していたので、それを「愛い奴」と思ってくれていたのではないか、と今更聞けないけど思っている。
はっきりしたタイミングは覚えて無いが、十年弱程前か、お母様が亡くなられた時に、「一応、連絡しておくね」と言われて通夜と葬式の案内をもらった。「気をつかわなくていいから」とメールに書いてあったが、そういう連絡をもらって行かない訳にはいかない。行ってみると、会社の人は自分ともう一人、その方も○○さんとウマが合うような人の二人だけだった。もう少し早いタイミングに行けば他の人も居たのかもしれない。事実はわからない。が、お母様が亡くなられた○○さんの姿は憔悴しきっているように見えた。そういう姿を他の人には見られたくなかったのではないか。そういう場にお声掛けいただいたのは、ご本人に心底認められているように思った。
数年前に癌の手術をして、胃の大半を摘出した、という話を聞いた。当面は大人しくされていたが、一年程経過してくると、「また飲みに行こうよ」とか言うので、「大丈夫なんですか?」と聞いたら、「手術後の経過は順調だから、定期的に見てもらっていてももう大丈夫、と言われるのでいいんだよ」と言っていた。本当にしんどかったらそうは言わないだろう。2~3回、行った。行動パターンは前述のとおりのいつものパターンだ。
こだわりの強い人でもあった。飲みに行くのはいつもその人の家からそれ程遠くない吉祥寺。お家そのものは西荻窪の方が近かったはず。なので、「次、飲みに行くの、西荻窪にしましょうか」と言ったこともあった。そんな時、言われたのは「西荻窪なんてゴミゴミしててダメだよ!」「妹尾もさ、赤提灯とか行ってないで、ちゃんとした所行かないと!」と言われた。
※個人的には西荻窪の雰囲気大好きです。あった会話の事実を書いているのでそこに引っ掛からないように。
自分は今年6月、いくつかの選考の過程を経て役職者となった。若干揶揄するように、○○さんが、
「妹尾も管理職になっちゃったねぇ」と言うので、
「なんでなれたのかよくわからないんですけどね」と答えると、急に真面目な顔で、
「なれる時にならないとダメなんだよ」と言われた。
その時の顔はよく覚えている。
それからはネタのように、「今までの投資があるんだから、奢れよ」と言われた。
6月、7月と個人的な事情により動けなかったこともあったので、8月初旬ぐらいに「そろそろ行きますか?」と答えたら、
「まだ暑いよねぇ、もう少し涼しくなったら行きますか?」
と言われた。
休憩所で○○さんの姿を見なくなったのはそれから程なくしてだった。
夏休み明けぐらいから急に体調を崩して入院をしていたらしい。入院中にお見舞いに行った会社の人も居たらしい。前述のお母様の話から言えば、連絡をくれても良かったじゃないか、と思う気持ちもあるけど、それ程、余裕も無かったのだろう、と思いたい。
今、こうやってその方との思い出を思い返すと他にも色々出てくる。
話に同調する意味で、こういうことですよね、と言うと、(たぶん口癖なんだろうけど)「違うんですよ・・・」と否定から返答が返ってくるとか・・・。でも、強烈な個性を持つ人ではあった。
そして、自分よりも16歳も年上の人をつかまえて言うのもなんだけど、「超真面目」で「不器用」な人だったことは確かだと思う。
結果として奢られっぱなしでお返しできずに終わった、ということが、今の自分における「後悔先に立たず」の一番強い出来事ではある。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。