どんな「おうちラーメン」で育って来られましたか?
今週の月曜日、8月25日は「即席ラーメン記念日」でした。
1958年8月25日に、日清食品が世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売したことから「ラーメン記念日」と制定したものが、その後に「即席ラーメン記念日」として知られることになったようですね。
ただ、日本記念日協会の認定した記念日では無いようで。日本記念日協会のサイトで8月25日で検索しても「即席ラーメン記念日」とは出てきませんでした。色々調べていると、何なら「ベビースターラーメン」を販売しているおやつカンパニーの前身が1958年よりもずっと前に即席ラーメンを販売していた、という情報まで出てきたり。
それはともかく。何故か自分のiPhoneのカレンダーに、わざわざ「即席ラーメン記念日」がイベントとして登録してありました。登録した際、何を思って入れたのか、今や全く思い出せませんが。
いや、「即席ラーメン記念日」の話はいいんです。
タイトルにつけた、どんな「おうちラーメン」で育って来られましたか?、ということが最近自分の関心の中で出てきたので、人に聞く前にまず自分語りでもしてみよう、と思います。
育ったタイミングによって、出会い始めるものも大きく違うと思います。ですので、自分のプロフィールから先に言えば1969年生まれ、普通の公立の小中高を出ています。
うちの父親はとても真面目だけど、ある意味頑固な人だったと思います。
自分の好みはこう、と決めたら、あまり色んな物が出てきても反応しない人でした。
クルマはトヨタ
タバコはチェリー(後にタバコは辞めましたが)
ビールはキリンラガーの中瓶(これがまた小瓶でも大瓶でもダメらしい)
ウイスキーはサントリーのオールド
そして、ラーメンと言えばサンヨー食品の「サッポロ一番 しょうゆ味」一択でした。
ですので、家でラーメンを食べる、と言えば、基本的には「サッポロ一番 しょうゆ味」しかありませんでした。
一時、TVCMで流れていた、「大食漢のお父さんには"ちび3"、普通に食べたいお母さんは"ちび2"、ボクの夜食やおやつには"ちび1"」のセリフを聞いてか、子供の自分への提供を踏まえて明星食品の「ちびろくラーメン」が食卓に並ぶこともありましたが、ほどなくしてまた「サッポロ一番 しょうゆ味」のみになりました。
それでもたまに売り切れていた、とかで日清食品の「出前一丁」や明星食品の「チャルメラ」がストックされていたこともありましたが、父親は「サッポロ一番 しょうゆ味」しかほぼ食べてなかったような覚えがあります。
そんな家庭ではありましたが、自分の小学校高学年時期に、父親が別のラーメンを認め始めるのです。
それが、岡山の食品会社、株式会社飛竜の「生ラーメン醤油味」です。
株式会社飛竜のサイトで沿革を見ると、「1980年 阪神営業所を神戸に開設する」とありますからこのあたりから関西のスーパーで手に入れられるようになったのかもしれません。自分は子供だったので、スーパーでまじまじと食品を見るようなことはしていなかったので実際、他の商品がどう存在してどうだったのか知りませんでした。が、生麵をさっと茹でて、スープも付いているので丼に溶かして、美味しいしょうゆ味で、それがこの値段で買えるなんて!(←当時の値段は覚えてません)と絶賛し、しばらくは父親自らこれを調理して食べるのが大好きになっていた頃もあった記憶があります。
それでも、即席ラーメンに比べると多少は手間ですから、「サッポロ一番 しょうゆ味」8に対して飛竜の「生ラーメン醤油味」2ぐらいの割合で食べていたでしょうか。
そして、自分が中学に入ろうか、という頃に、これが登場してくるのです。
飛竜のラーメンでの体験からか、他のラーメンにも手を出す、ということを覚えた父親は、当時は「赤坂璃宮 広東風醤油」だったか覚えてませんが、これまた明星食品の「中華三昧」の しょうゆ味を食べ始めます。
ここで、「サッポロ一番 しょうゆ味」6、「中華三昧」3、飛竜の「生ラーメン醤油味」1ぐらいになっていたでしょうか。
しばらくこの比率が続きますが、その後、自分の大学生時代に日清食品の「ラ王」が登場したり、東洋水産の「マルちゃん正麺」が登場してくることで、父親の家庭でのラーメンも変化してきました。
自分が大学生ともなると、あまり両親と一緒に家でラーメンを食べる機会も少なくなっていきました。
こうしてあらためて記してみると、うちにはしょうゆ味以外の選択肢が存在していなかったように思います。
だからたまに親戚の家に行った際に「サッポロ一番 しお味」や「サッポロ一番 みそ味」が出てくると、それはそれで出会いに衝撃を感じていた子供の頃でした。
1970年代から1980年代前半までで言えば、少なくとも自分の住んでいた家において、外でラーメンを食べるとなると余程遠くへお出掛けしない限り食べられませんでした。だから、自分のラーメンのベースの味は、家で食べるこれらのラーメンが中心でした。
今や本当に様々なラーメンが簡単に食べられます。以前には間違いなく関西では販売されていなかった即席ラーメンも買えますし、何よりラーメン屋さんが非常に増えました。
それだけ選択肢も多い、イコール競争が激しい、という業界なのだと思います。
父親は3年前の6月に亡くなりました。81歳でした。最後の2か月ぐらいは病気で本当に気力も無かったです。
もっと父親が元気なうちに大阪に帰ってくることができていれば、色んなラーメン屋に行ったり、色んな即席ラーメンを「四の五の言わず、これ試して食べてみ」と言った会話もできていたかもしれません。
と、お盆を過ぎて、ふと思ったりしたのでした。
追伸:
しっかりとしたしょうゆ味ばっかりが父親の好み、ということもあり、我が家にはほんとチキンラーメンが登場することが無かったんです。「オバケのQ太郎」という藤子不二雄さんのアニメで「ラーメン大好き小池さん」(シャ乱Qの歌ではありません)がよくサブキャラで登場してくるのですが、丼に麺を入れて蓋をして待ったら食べられるラーメンというものが存在し、それがチキンラーメンだったと知るのは下手すると自分が高校生になってからかもしれません。