年寄りの老害を批判している30代の老害
成迫さんが面白いブログを書かれていました。
「老害」というものは、セクハラやパワハラと同様に、受け手がどう感じるかですから、僕たちが何を言っても「それ自体が老害です」なんて言われる可能性だってありますよね。まあ、老害ですから、そもそも言ってくれもしないのかもしれませんが。
一方で、「老害だ」と騒いでいる中間層、30代あるいは40代が、20代にとって老害になっているケースもあるようです。
「仕事がデキる管理職はいらない、仕事を振れる管理職が必要だ」(ダイヤモンドオンライン)
日本では、完全なマネージャーよりもプレイングマネージャーのほうが圧倒的に多いように感じています。でもって「プレイングマネージャー」というのも聞こえがいいのですが、実態はマネージャーではなくプレイヤーであることのほうが多いわけですね。だから、部下に指示できない。部下に仕事を任せることができない。なんでも自分でやらないと気がすまない。結果的に、その10名の部署は部署ではなく、プレイヤーが10人いるだけ、ということになってしまうんですね。だから、部下がミスをしても気付かないし、切羽詰まったところまで気付かない。気付いたときには、時すでに遅し。「問題」では済ませられないレベルにまでなっている。
部下からすれば、上司も忙しいし、ということになりますが、マネジメントが出来ていないということになり、マネージャーとしては失格。部下は、30代、40代の先輩や上司を「老害」とは感じないかもしれませんが、先ほどの「老害」と中身は同じ、ということになるんですよね。
また、具体的なことをせず、あるいは示さず、出てきたものを評論するだけの人もいますよね。これもまた、老害の極み。優秀な管理職は、ゴールをきちんと示します。それは、最終的なゴールではなく、中間地点かもしれませんが、決して闇の中を走らせるようなことはしない。そんなことを考えた12月です。