好きな日本語、美しい日本語を考え、使うということ
今朝は、朝カフェ次世代研究会で、坂本さんのお父さんにご講演いただきました。外交官時代のお話をいろいろと聞かせていただき、あっという間に時間が過ぎてしまった感じです。もっと聞いていたかった。
坂本さんのお父さんは79歳とのことなのですが、この年代の方々は、日本語の使い方が両極に分かれていく気がしています。坂本さんのお父さんは、とても上品な日本語を使われるため、耳に心地よくすんなり入ってきます。お話の内容ももちろんおもしろいのですが、なぜこんなにすんなり入ってくるのかを考えていたのですが、日本語が美しいなあ、と感じた次第。
今朝の皆さんの自己紹介では、ご自身の好きな日本語を教えていただきました。みなさん、それぞれに大事な言葉をお持ちであるようです。「いただきます」「ごちそうさま」といった、あまり外国語にはない言葉が好きだ、という方もいらっしゃいました。日本語って、自分自身を指す言葉でも「僕」「私」「自分」「俺」など、多様にありますね。文語になると、まだまだたくさんあります。
僕自身、決して美しい日本語を使えきれていないのですが、美しい日本語を口にされる方のお話は大好きです。相手を叱るときにも、キレイな言葉を使われる方っていいですね。僕が住んでいる下町のおじさん達の言葉も、それはそれで楽しいのですが、ことビジネスの場において、美しい日本語を使うことって実にいいな、と思うのです。議論をするにおいても、交渉をする場合にも、決して日本語が乱れない方っていらっしゃいます。僕のプロジェクトマネジメントの師匠も、そういう方です。
美しい日本語を使うということと、相手と同調することは全然違うことです。美しい日本語を使っても、交渉はできるはずですし、議論も可能なのですよね。まだまだ下手くそな僕も、そういう方々を見習いたいと感じた今日この頃です。