ポジティブになれるのは、本当に楽しいから
先日のアップルストア銀座店でのセミナーに、友人が来てくれました。その友人がツイッターのDMで「(仕事に対して)楽しそうにしている姿が印象的」と送ってきてくれました。他にもあったのですが、実はこの言葉が意外だったんですね。ほう、そんなに楽しそうにしていましたか、と。自分では意識をしていなかったのですが、そう言われると楽しかったな、と思います。ま、喋るだけでは仕事にならないわけですが、いろいろな人に出会えるのは楽しいですし、前でお話していて同意を得られたことも楽しかったですし、さらに終わったあとにいろいろご相談を受けるのも楽しいわけです。
松井さんが「本当のポジティブ・シンキングとはポジティブか否かすら考えないことです」と書かれていますが、ある意味で本質かなと思います。
とは言うものの、ポジティブ・シンキングを Google先生に聞いてみると、「ポジティブになりましょう」「笑顔でいましょう」「自分から話しかけましょう」といったものがズラーっと並んでいます。中には「努力すればどんな人でも好きになれる」なんてのもありました。僕からすれば「えーーっ!マジですかー!」という感じ。どうしても合わない人はいると思うのですが、そんなに無理して好きになろうとする必要があるのかな、と。
ばんちょ〜がアンチ・ポジティブシンキングというメルマガを発信しています。その中で「私はとても「楽観的」なのですが、「ポジティブシンキング」の持ち主ではありませ ん。違いは何かというと、無理にものごとの良いところを探したり、「あえて」前向きに考えることはないというところでしょうか」と書いておられます。僕は、この考え方に近いな、と思うんですよね。僕も楽観的ですし、楽観的でいることに誇りを持っていますし、楽観的であるべきだと思うんです。
ただ、無理なものは無理で、竹内さんも「「ポジティブな意味」を考えることはあっても、「無理に」ポジティブには考えていない」と書かれていますが、刷り込みのように無理やりそのように考えることは、精神衛生上もよくないと思うんですよね。
そうではなく、悲観的にならない、「ま、いいや」という気持ちが、結果的にポジティブに見えるんだろうと思います。
僕だって悩みがないわけではありませんし(ほんとですってば)、順風満帆なはずもありません。しかし、「なんくるないさ」でいることが好きなんですよね。反省は必要ですし、改善も大切ですが、それとは別に楽観的でいることなんだと感じている今日この頃。
「楽観的でいることは幸せの条件 悲観的な幸せなんぞ聞いたことないぜよ」(坂本龍馬)