サイボウズのWM動画「大丈夫」に私も物申す。
★このエントリーがかなり読まれているので、折角ですから、一番下に関連書籍を追記しました。全て読んだことがある本です。(2014年12月6日追記)★
サイボウズのワーキングマザーに関する「大丈夫」という動画が評判になっています。
最初見た時になんだか違和感があって、再度、丁寧に見返して、やはり違和感があったので、感想を述べます。
(サイボウズさんの取り組みを批判しようというのではなく、働く女性(子どもなし)としての感想です。)
この動画を見ると、後半の子どもが「ママ、大丈夫?」と尋ねるあたりから、涙出そうになります。
子どもがいようといまいと関係なく、自分もかつて抱いた思いがそこにあったからです。(以前、「女性であること」として書きました)
結婚していた時、家事の責任を全うしなければ、と気負っていました。
人間はなぜ三食食べるんだろう?と、なんでそんなにご飯ばかり食べるようになっているんだろう?と真剣に憤りを感じていました。
自分で背負わなくてもよかったのかもしれないけれど、25年前の私は、ただひたすら家事を担っていました。
20代後半で、まだまだ新しいことに次々チャレンジさせられる(つまり、勉強することも大量になる)時期に重なってもいたので、どうやって両立するんだ?と日々葛藤していました。 この状態で子育てなんて無理だなぁ・・・。というか、想像できない・・・。
同年代の同僚たちも「ここに子どもが増えることを考えると、私が私でなくなる」とか、まあ、いろんなことを言って、産まない選択をした人も少なからずいます。
そんな時に感じていた「私は大丈夫だろうか?」という気持ちがこの動画には凝縮されていて、ほろりとします。
この動画では、病児を保育園に迎えに行くママが、仕事をどうやりくりしよう? 明日も熱があったらどうなるだろう? 親に頼るのも・・。 お弁当作りは? ・・・とぐるぐる頭の中で考えて立ちすくみます。
全然話違いますが、たとえば、子育て中の女性が、飲み会に参加していると、「こんなに遅くまで大丈夫?お子さんは?」と善意も含めて尋ねられることがあります。旅行した、遊びに行ったといえば、「子どもがいるのに、よくやるねぇ」と賛否両論、いろんなことを言われたり、言われなくても内心思われたりもします。
(私の時代は、つまり、25年前だと、「結婚しているのに、二次会まで出て大丈夫?」「こんなに遅くまで仕事していて、旦那さん、怒らないの? 離婚されちゃうんじゃないの?」などと、今思えば、不思議なことをよく言われました。しかも、年下の後輩にまで。)
ところが、子どもがいる男性が飲み会に参加しようが、二次会に参加しようが、たぶん、「大丈夫?」なんて訊かれないでしょう。 現代のパパは、それでも、自分から飲み会を断る人も多いだろうけれど、男性が残業していても、「お子さんがいるのに大丈夫?」とはきっと言われること、ない。
なぜ、家事も育児も「女性」に偏るようになっているんだろう? 「そんなこと、夫婦の問題で、夫婦で話し合って分担すればいいじゃないか」という声も多々あると思うけれど、ほんとにそうなのか? 家事も育児も、家庭内の問題だけなのか?
先日、『家事ハラスメント』という本を読みました。 『家事ハラスメント』というのは、女性に家事負担が偏って、あちこちに不都合が生じている状況を指します。(決して、「夫が洗ったお皿を妻が再度洗い直すような行為」を指す言葉ではありません、もともとは) この本では、生きていくために必要な家事労働がいかに女性に頼った状態で日常が送られているか、それによって、どれほど女性が生きづらいか、といったことを書いています。サイボウズ動画もまた、「家事ハラスメント」の現状を描いているものだなぁ、と感じました。
・・・というわけで、「わかる、そうだ、そうだ」と共感する動画ではあるのですが、違和感は、最後です。
「働くママたちに、よりそうことを」
・・・・ ここです。 「よりそうこと」。うん、大事です。
誰かが気遣ってくれる。「あなたは十分頑張っているよ」「何か手伝うことない?」「お話しましょう」 ・・・ マリコさんが書いているように、「関心」を寄せることはとても大事だし、それだけで救われることだとは思います。
けれど、「WMは頑張っている、大変だ、だから、よりそうことだ」で締めくくっていいのか、と思ってしまったのです。
最後の最後に、「これって、おかしくありませんか?」と字幕が出たら、「そうだ、そうだ!」と私はさらに共感しまくったと思います。
「女性だけがこんなに悩んでいるのっておかしくありませんか?」
「女性だけがこんなに負担に感じているのっておかしくありませんか?」
「女性だけがこんなに罪悪感とか申し訳なさを感じてしまうのっておかしくありませんか?」
そういう風に世間に問うて欲しい。
動画が公開されてからずーっと喉に小骨が引っかかったような違和感があったのですが、これです。 今朝起きた瞬間に「そうだ、"おかしくないか?""変じゃないか?"と問題提起をしてほしかったのだ」と思いいたりました。
「寄り添う」だけでは、現状を肯定している感じがしたのです。
「女性の活躍を」とお国も一生懸命言っているけれど、「今のように"家事""育児"も頑張った上で、さらに"仕事"もガンバってね」と言われたら、もうこらえきれないと思うのです。
「大丈夫」じゃなくて「大丈夫じゃねぇーよ」と働く女性、働くママは思っているんじゃないだろうか。
「大丈夫じゃねーよ。なんとかしてくれよ。もう相当頑張っているんだよ。おかしいよ。こんなの変だって誰か言ってくれよ。この状況について、一緒に憤ってくれよ」。
私が働くママならきっとそう思う。
だから、私はそこに「物申す 」のであります。
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【私が読んだ「働く」「ジェンダー」「WLB」などに関連している本。思い出したものだけ列挙】
『育休世代のジレンマ』は、今年読んだ中で最も印象的な本だった。 いわゆる「高学歴」「正社員」でガンバっている女性群にフォーカスをあて、出産・育児でどれほどキャリアが変わって行ってしまうか、あるいは、悩みが深くなるか、ということを追跡調査している。著者自身もまた子育て中の研究者で説得力がある。
『経産省の山田課長・・・』を読むと、男性が育休ととり、子育てと主夫生活に入り、妻が仕事に邁進すると、男性でも当然育児ノイローゼ的になり、「私はこんなに子どもと向き合っているのに」と焦ったりするという、男女逆でもまったく同じ状況が生まれるのね、ってことがわかり、興味深い。
『リーンイン』を読めば、かのアメリカであっても女性には働きづらさというのが今だにあるのだなぁ、とわかる。
『働き方革命』には、「仕事ばかりのオレ、変だ」と気づいた男性が自ら「働き方革命」を実現していくお話。誰かが動かなきゃ変わらん、気づいた当事者が「隗より始めよ」と動き始めることだよね、ってことが伝わる。
『家事ハラスメント』は、いかに女性に偏ってしまうか、という構造的な問題にも触れている。さらに、議員の中には、今だに「女性は子育て」的な神話?を喧伝してはばからない人もいて、もうねぇー、ぷんぷん!という嘆きも垣間見える。
『主夫と生活』『パパはママを・・』あたりは、もう20年以上前に読んだので、覚えていないが、男女を逆転させてみると、という話だった気がする。
※ 念のため、タイトルは、野水さんのエントリーを真似しました。