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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

エイジズムは、内在化するから、いつか自身を苦しめるって本に書いてあって、確かにそうかもと思った話。

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しばらくエゴサしてなかったのですが、たまたまこのオルタナブログがひっかかりそうな方法でエゴサ(Xで)してみたら、数年前?のエントリーがけっこうばずっていました。

それは、「シニアが働かないのは、本人だけの問題じゃないかも」といった内容を書いたものでした。

引用RT(当時は、Twitterだったのでリツイートでいいでしょう)をみると、

「そんなこと言ってないで、年寄りは、早く転職しろよ」

的な、シニア層を揶揄するものが結構含まれていて、ああ、当時、見なくてよかったなと思った次第。


で最近、ある本を読んでいたら、エイジズムは、「自分より年長の人を責めているようであって、その実、それは対岸のものではなく、自分自身の中に、きっと内在化するから、最終的には自身をも苦しめる可能性がある」といったニュアンスのことが書いてあり、あらためて、ふむふむ(語彙力)とうなってしまったんですね。


その本には、「レイシズムとかセクシズムと違って、エイジズムだけは、いずれ自分もそちら側になるという点が大きく異なる」と述べられていて、ああ、確かに!と膝を打った次第。他人事として言えないのがエイジズムの、他の●ズムとの違いだと。

だからですね、
「働かないおじさん問題」「妖精さん」などと揶揄していく中で、自分がその年代になった時、「オレは違う」「私はそうならない」と思っていたとしても、「その年齢に達した」という事実は変えられないので、かつて責めていたことが今度は自分に降りかかってくるというんです。

なんかわかるなぁと思ったのです。

それは、実際、私にもそういう面があるからです。

55歳定年制度が花盛りの時代に社会人になったので、1990年代後半に60歳定年、2013年に65歳までの雇用義務などと法改正が進んでも、どこかで「60歳になると引退モード」という感覚が残っており、自分がいざ60歳を過ぎたら、「これって、やっていいんだろうか、邪魔なんだろうか。いや、年寄は口出さないほうがいいんだろうな、いや、老害って思われているかもしれないしな」という、これまでなかった悶々が常に頭の中と飛び交っている状態になっているのですね。

それ、かつて自分がシニアに対して感じていたエイジズム的なものが内在化して、今度は、自分事になった、ということじゃないかと思ったんです。

下手に頑張ると年寄の冷や水って思われるかな、とか
頑張らないと「やはり、もう終わった人だよね」と言われるかなと、どちらにしても冷静ではいられなくなる。

60代もまだまだ思春期のように悩みは深いのでした。

え、そんなことないですか?

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