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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「女性」であること

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あまりちゃんと追いかけてはいないのですが、「3年抱っこし放題」とか「女性手帳」とか、何かと喧しいですなぁ・・・・。 

こういう話題が出るたびに、「はて、私はどうか?」ということを内省せざるを得ない。

20年ちょい前、20代後半で結婚した頃というのは、職場の先輩たちがようやく「結婚退職」はしない、というくらいの端境期でした。私が入社する前(1986年より前)は、結婚して退職した先輩もいらしたようですが、1年上の先輩は、基本的に結婚してもそのまま仕事をつづけました。(ただ、その後出産となるとハードルが高かったのか、ちょっとずつ退職してしまい、いわゆる、ワーキングマザーが身近に存在するようになったのは、私より下の世代からだったように思います)

そんな1990年初頭のころ。

上司からは面談の度に「結婚しても続けますか?」という質問をされ、先輩や同僚は、「あの質問を男性にもしているのかしら? プンプン」とよく憤慨していましたし、私も「そんなこと聞かれてもわからん」といつも思っていました。

とはいえ、そういう質問が堂々と出るという時代というのは、やはり、有形はなくとも無形のプレッシャーはあって、中でも一番自分を苦しめたのは、上司の言葉でもなく、夫の言葉でもなく、自分自身の気持ちだったような気がします。

「結婚しても働いていていいのだろうか」から始まり、
「仕事しているから家事がおろそかになっている」という自責の念だったり、
「仕事しているとちゃんとご飯を作ることができない」と焦ったり、

そういうのが積み重なると、今度は、

「手伝ってくれてもいいじゃないか」
「そんなことを夫に期待したらいけないのではないか」

といった悶々まで展開して、とにかく、ずーっと苦しかったことをよく覚えています。

私の結婚生活は、楽しい思い出もきっとたくさんあったのだけれど、「仕事と家庭の両立」ということに、必要以上に苦しめられた(今思えば)日々でした。

誰かにすごく責められたわけでもない(もちろん、今と違って、多少は周囲からあれこれ言われましたが)。本当に私自身の心の声が一番自分を苦しめたような気がします。

そこから20年。

ずいぶん変わりましたね。

結婚で退職する人はいないし、子育ても2人目でも3人目でも頑張っている人もいるし、周囲の男性(おもに、男性)から何かことさらに言われることもないし(少なくとも、私の勤務先や取引先でそういう言葉を聞くことは皆無になりました)。

女性ものびのびと働いているし、もちろん、お迎え猛ダッシュなどは日常茶飯事ですけれど、それでも、臆することなく活躍している。「女性であること」で何か不利、不都合を味わうケースは激減しているように感じています(再度。少なくとも私の周囲では、です)

そういう時代になってよかったと思いつつ、やはり、今でも自分で自分を苦しめている女性はいるかもしれないなあと・・・想像してもいます。

「食卓が貧相でごめんなさい」
「仕事しているから掃除が手抜きでごめんなさい」

男性パートナーと完全に手分けできてる場合はそうでもないでしょうが、女性側の負担(というかすること)が多い場合、こういう気持ちで悩む人、いると思うんですね。

「人間、埃で死ぬこたあないよ」などとうそぶいてみても、心のどこかでごめんなさいと思ってしまうような・・・。

だから、もし、「女性手帳」みたいなものを作るのであれば、女性の心を解放するようなことを載せて欲しい。

「女性の身体の仕組みはこうなのよ」とか「妊娠出産はこうなのよ」といったことだけでなく、「女性も仕事していいんだよ」「家事を一人で背負わなくていいんだよ」とか「バリキャリだけが”働く”ってことじゃないんだよ。”ふつう”に働いていいんだよ」とか。そういうメッセージを載せたものであれば、「女性手帳」にも意義があるかもしれない。

・・・と、そんなことをつらつら考えています。

自分で自分を責めなくていいような環境(物理的なだけじゃなくて、精神的にも。場合によっては精神的のほうが大きいかも)に女性が恵まれますように。

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