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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「ジャンケンで勝った人から」で

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昨日のエントリ」の続き、のようなお話です。

研修やワークショップなどで、プレゼンタだの何かのワークのファシリテーターだのを決めていただく際、できれば、「私がやります」と手を挙げていただく方法をとるのですが、なかなか手が挙がらないこともあります。

そうなった場合、皆さんの好きな決め方で、とお任せすることもあります。

しばらくすると、「それなら・・・私やります!と決まるチームもあれば、凝りに凝った「あみだくじ」を作って時間かけて決定するチームもありますが、最も多いのが「じゃあ、ジャンケンしよう。負けた人がリーダーに」というパタン。

『え?負けた人が?』と私はいつも違和感を覚えます。

何かを学ぶ場で、チームの代表になるという場面で、「ジャンケンに負けた人が担当しよう」というのは、あまりにネガティブ。

介入しない、と思っていても、ここではつい口を挟んでしまうのです。

「あのですね、それって、ちと後ろ向きなので、ジャンケンで決めるなら、せめて”勝った人から”にしませんか?」と。

すると、参加者は、苦笑いしつつ、「確かにそうですね」と反応し、それ以降、ジャンケンで決めるにしても、「勝った人」を優先することになっていきます。

学びの場であれば、参加者同士、さしたる利害関係もないわけですし、そこで多少うまくいかなかったからといって、大きな被害を誰かに与えることも、何かの損失を自分が受けるわけでもないのだから、チャレンジしたらいいと思うのですよね。せっかく、貴重は8時間とか16時間を割いてその場に集まったのだから。


なので、「ジャンケンで勝った人から」。

言葉には魂が宿ると私は信じているので、こういう時、「負けた人から」と言い続けるのと「勝った人が担当しようぜ!」と言い続けるのでは、その後の心理に異なる影響を及ぼすと思っています。

勝った人から、であっても、負けた人から、であっても、誰かひとりに絞り込まれることには変わりないし、たかがジャンケン。それでも、やはり、「勝った人」が担当するほうが前向きな感じがします。


ジャンケンは「勝った人」から。 

何かを担当する、ことは、負けたために引き受ける貧乏くじではなく、その権利を勝ち取るようなものであった方が、楽しいですから。

(ところで、試しにやってみていただきたいのですが、「ジャンケンで勝った人から」というルールにして、それでもわざと負けるって、ムズカシイのですよ。「勝つ」ためにジャンケンをするよう、長年刷り込まれているので、担当になりたくないから負けよう、と思っても、ついつい、勝ちに行ってしまうのがジャンケンです。笑)

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