「言ったもの勝ち」で喜ぶというのがいいな
会議で何か提案すると、「おお、いいね。だったら、それ、あなたがやって!」と言われる。
『え゛ーーーー!? 提案しただけなのに、自分に降りかかってきちゃった』とアセる。そういう経験を何度かすると、『言うと損する。自分の仕事が増えるから』と思い、だんだん提案も意見も何も言わなくなり、会議ではひたすら石のようになってしまう。
要するに、「言ったもん損」「言ったもん負け」の状況です。
こういう話をすると、『そうそう、そうだよね。言ったら自分に来ちゃうから損だよね』と反応する人が多いのだけれど、果たして、本当にそうなんだろうか?
”言った”ら”じゃ、やってみて”と、その担当者に任命されることは、「損」なのかしら?「負け」なんだろうか?
”言った”けれど、”却下される”、”歯牙にもかけられなかった”という場合だってあるわけですね。そういう時、『何を言っても無駄だ。全然状況は変わらない』と無力感にさいなまれる。
「学習性無力感」という状況。これは理解できる。
だとしたら、”言った”ら”やってごらん”って言われるのは、別に貧乏くじなのではなく、”チャンス”到来というとらえ方もあるように思います。
「言ったもの損」ではなく、「言ったもの得」「言ったもの勝ち」。
「じゃあ、あなたがやってみて」という時、上司がめんどくさいと思ったから、部下の自分に指示した、ということもあるかも知れないけれど、それだって、「絶対に任せられない」と判断されたら、「じゃ、あなたやってみて」とは言われない気がするのです。だから「じゃ、やって」と言われたら、『うぉぉーーー、やったー。できる!』と喜ぶという姿勢があってもよいような。
「言ったもん勝ち」「言ったもん得」。
そういう風に思えるような人でありたいし、そういう組織だったら、仕事がより楽しくなるだろうなあ。