スタッフの自発性を育てるために、経営者(管理職)は何をすればいいのか?
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
2010年に書いた自発的な職場にならない7つの理由という記事に、わたなべさんよりコメントをいただきました。コメントを一言で言えば、「自発的でない人に、どうしたら自発的になってもらえるか、そのために経営者は何をすればいいのか。何を共有すればいいのか」。詳しくは前出のリンクご覧ください。
経営者に限らず、リーダー的な立場の方なら、スタッフに「自発的に動いて欲しい」と思ったことがあるでしょう。責任ある方ほどそうかもしれません。
前出の記事がずいぶん前の記事なので、いただいた質問を元に、今一度自発性についてボクなりの考えをまとめてみたいと思いました。「これが答え」というつもりは毛頭ありませんが、何かしらのヒントになれば。
自発性とは?
まず、「自発性」という言葉の意味について考えてみます。辞書で調べてみました。
他からの影響・強制などではなく、自己の内部の原因によって行われること。「―を損なう」
引用:goo辞書
この意味から、人が行動を起こす理由に「他からの影響・強制」(外的動機付け)と、「自己の内部の原因」(内的動機付け)の2種類があり、自発性は内的動機付けであることが分かります。
外的動機付けと内的動機付け
外的動機付けと内的動機付けについて、拙著『「じぶん設計図」で人生を思いのままにデザインする。』では、次のように触れました。
「動機付け」は「行動」を引き出す
「動機付け」は「行動」を引き出します。
「動機付け」とは、一般的にやる気やモチベーションと言われますが、「動機付け」には、「外的な動機付け」と、「内的な動機付け」があります。
外的動機付け
外的動機付けとは、「自分の外側で起こっていることがきっかけで、動機付けられること」です。たとえば、お金、地位、名誉、権力などで動機付けられるのがそうです。
内的動機付け
内的動機付けとは、「自分の内側で起こったことがきっかけで、動機付けられること」です。知的好奇心や成長感、自己実現欲などで動機付けられるのがそうです。
「資格を取る」という例で考えてみましょう。
「資格を取れば給料が上がる」「資格を取れば就職に有利」などの理由で動機付けられるのが、外的動機付けです。
一方、「勉強するのが楽しい」「知識を身につけることがうれしい」など、自分の内面から沸き起こってくる理由で動機付けられるのが、内的動機付けです。
自発性と組織の矛盾
さて、ここで課題となるのが、「内的動機付けをどのように起こすか」です。
しかし、よ~く考えてみると、ここに矛盾があることに気づきます。なぜなら、そもそも内的動機付けは、自分の内側から「起きる」ものであるのに対し、組織ではスタッフの自発性を、他からの影響を与えて「起こそう(外的動機付け)」とするからです。
だからといって、内的動機付けが「起きる」まで、ただじっと待っていればいいのか?というとそうではないですよね。「自発的になってほしい」とスタッフに願い、何かしらの方策を試みるのは不思議なことではありません。
どのようなとき、内的動機付けが起きるか?
「スタッフにどう影響を与えるか?」を考える前に、まずは、私たち自身の内的動機付けがどのようなときに起きるのかを考えてみると、何をしたらいいのかが見えてくるかもしれません。
過去に、誰に何を言われるでもなしに「○○をしてみようかな」と思った経験を思い出してみます。たとえば、「新しい服を買いたい」「コンパに行きたい」など。もっと原始的なところでは「ご飯が食べたい」みたいなことでもいいかもしれません。
こう思う背景を考えると、「新しい服を買いたい」なら「服が古くなったから新しい服が欲しい」「おしゃれに見られたい」、「コンパに行きたい」なら「彼女(彼氏)が欲しい」「楽しい時間を過ごしたい」、「ご飯が食べたい」なら「おなかを食べ物で満たしたい」などの気持ちがあったはずです。それを意識できていても、いなくても。
ここにあるのは、何かしらの「○○したい」という欲求です。人は何かしらの欲求があるときに、内的な動機付けが起こって、自分から「行動しよう」と思う......のではないでしょうか。
どんな欲求を起こせばいいのか?
では、スタッフにどんな欲求を起こせばいいのでしょうか?一言で「欲求」と言っても、いろんな欲求がありそうです。
たとえば、マズローの欲求段階説では......
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 所属と愛の欲求
- 承認(尊重)の欲求
- 自己実現の欲求
とあります。これをヒントの1つにしてもいいかもしれません。
また、個人的には,「○○できたらうれしいな」「○○できたら楽しそうだな」「○○になれたらいいな」のようなものも、「欲求」の1つかな?と思っています。
自発性とお金
少し話はずれますが、コメントには、
月給や時給で雇われているスタッフと、自分の会社を経営している経営者をまとめる(分けない)のは、かなり難しいと思います。
とありました。確かに、自発性を考える上で、「給与を支払っている側」と「受け取っている側」では、立場の違いゆえに、まとめて考えるのは難しいところもあるかもしれません。
一方、仕事をしていて「うれしい」「楽しい」「しあわせ」と感じることに、立場はあまり関係ないのかも?と、個人的には思います。というより、あえて立場で分けないほうが、「○○はこういうものだ」という思い込みから自由になれていいのかもしれません。
たとえば、ボクの知人にFさんという方がいます。会社員ですが、自分なりに仕事の意味や価値を見出していて、やるべき仕事を考えています。会社や仕事のことをとても愛しているようで、外から見ていても関心するほど自発的です。立場上はもちろん「雇われている」に間違いありません。しかし、意識的には「雇われている」とは思っていないのではないかなぁと感じます。自分がコミットした会社で、やりたい仕事をやっていて、「仕事って楽しい」と思っているだけで。
また、ボクがやっているしごとのみらいというNPO法人では、会員の方々から年間1万円の会費をいただいています。ここにあるのは「お金をもらっているから」ではなく、「お金を払ってでも」です。
人はあるものに意味や価値を見出したときに、お金を越える動機付けを起こすのかもしれません。寄付やクラウドファンディングなどはまさにそうですよね。
自発性を持ってもらうためには、何を共有したらいいか?
さて、このお話の結論です。
会社が成長したときに得られるものの共有ができるとよいのですが、経営者はどのようなものをどのようにして共有できるでしょうか?
というわたなべさんの問いに、ボクはこう答えたいと思います。
スタッフの自発性を育てるためには、「○○できたらうれしいな」「○○できたら楽しそうだな」のような、「共感できる未来」があるといいのではないかと思っています。また、加われるうれしさや楽しさがあると、よりよいかもしれません。
それは、"社会のために""地域のために""未来のために"のような、頭の中で「理解できる」大義的なことというよりも、何かこう、"ワクワクする"ような、"楽しそう"な、もしくは、"この問題は放ってはおけないよね"と「感じられる」ようなこと。
このような「感じられる何か」を,スタッフと共有できるといいのではないかと思います。
そのためには、まず、経営者や管理職自身が、"こうあったら絶対にいいよね"、もしくは、"こうあるべきだよね"と思えるような「未来」や「何のために働いているのか」にコミットしていることが大切なんじゃないかなぁと思います。そして、経営者や管理職自身が、仕事の中に楽しさや使命感を「感じて」いて、そのように行動していることが大切なんじゃないかなぁと。
で、その中で発せられる「言葉」や「姿」に、スタッフが何かしらを「感じ」て、"楽しそうだな"""おもしろそうだな""○○って大事だな"と思えたとき、内的動機付けが起きるのでは?と思います。
「それは分かったけど、それが見つからないから困っているんじゃないか」「見つけるためにはどうしたらいいの?」と思うかもしれません。「私は○○のために働いています!」と自信を持っていえる人は少ないかもしれないです。また、立場によっても、その内容は異なるでしょう。
でも、そこは自分で見つけるしかないんじゃないかなぁ。ボクもそうですもん。現時点ではこんな感じですが、「これでいいのかな?」と悩んだり、迷ったりの繰り返しで作ってきましたし、これからも変えていくと思います。
言葉にはチカラがあるので、耳障りのいい美しい言葉で、その思いを着飾ることはできます。けれども、それにコミットできていなければ意味がない。もちろん言葉も大切ですけど、言葉以上に「オレは○○ために働いてるんだぜ」「ワタシはこんな未来を描いているの」ということが言えるかどうか......なんじゃないですかね。それが共有できればいいんじゃないかなぁ。
そうそう、先般公開になった仕事とは? 働くとは?――「働く意味」を見いだすロジカルシンキング(@IT)という記事は参考になるかもしれません。
な~んて偉そうなことを言っていますが、経営者や管理職って「大変だなぁ」と思うこと、たくさんありますよね。ボクも悩んでばかりです。それでも、悩みながら見つけた「大切なのは間違いなくこういうことだよな」を、自分なりの言葉で表現できたときに、周りの人が何かを「感じて」くれるんじゃないかなぁ。他の方はわかりませんけど、少なくともボクはそう思っていますけどね。
これからも一緒に悩み続けましょう。ボクはそうします。
わたなべさん、自発性について改めて考える機会をいただきありがとうございました。ご参考になれば幸いです。