【第3話】「変化の兆し」―物語:インストール
物語を連載しています。
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■第3話 「変化の兆し」
「矢島」と書かれた付箋紙をもらって3日。「メールを送ろう、送ろう」と思ってはいるのだが、まだ送れていない。
(よし、今日こそは送るぞ)
意を決してパソコンの電源を入れる。見ず知らずの人に悩みごとをメールすることなんて初めてだ。
(何を書いたらいいのだろう・・・)
書いたり、消したりを繰り返した。
「矢島様
突然のご連絡で申し訳ありません。
私は、菊池と申します。
先日、私の妻から、矢島様のお話を伺いました。
もし、ご相談に乗っていただけたらと思い、ご連絡を差し上げました。
不躾なメール、どうかお許しください。
実は、私、1か月前に医者にうつと診断され
休職しております。
それから、薬を服用しているのですが
一向に良くなる気配がなく、どうしたらいいのか悩んでおりました。
最近になって
仕事上の悩みを誰かに聞いてほしいという思いを抱くようになり
カウンセリングを受けようと思っていたのですが
なかなか機会がつかめずにおりました。
そんなときに、妻から矢島様のことを伺いました。
私は36歳でIT企業に勤めておりますが……」
非協力的で、自ら行動しようとしない部下のこと。
上には調子がいいが、全部丸投げで何もしない上司のこと。
職場で、一人で頑張らなければならなかったこと。
その他、これまであった出来事を書いた。
メールを送ることを少しためらったが、何度か読み返して送信ボタンを押した。
何の変化もない1か月を過ごしてきたタツヤにとって、メールを送っただけでも、何か、今までとは違う気がした。「今までと違う結果を得たかったら、今までと違うことをしよう」という言葉が思い浮かんだ。
そんなことをボンヤリ考えていたら、メールの着信を知らせるメッセージがパソコンの画面中央に表示された。
タツヤは、恐る恐るメールを開いた。
「菊池さま
矢島です。はじめまして。
お話は伺っています。
今は外出先なので、改めてご連絡差し上げますね。
取り急ぎ。
矢島伸之助」
タツヤはホッとした。短いメールだが、なんとなく暖かそうな人柄を感じる。
それから、矢島からの返信を待った。こんなに待ち遠しいのは、いつぶりだろう?結婚する前、デートの待ち合わせでサトコを待っているときと同じぐらい、待ち遠しかった。
その日はメールの返信がなかった。翌朝、メールボックスを開くと、矢島からのメールが届いていた。
「菊池さま
矢島です。昨日は失礼しました。
大変な状況のようですね。
私も過去に似た経験があるので、その気持ち、分かります。
私は医者ではないので、菊池さんの病気を治すことはできませんが
話を伺うことぐらいなら、できるかもしれません。
まずは、私のことを知ってほしいと思います。
ホームページとブログのURLを付します。」
矢島のホームページやブログには、チームコミュニケーションのコンサルティングをしているようだ。コーチングやカウンセリングにも造詣が深いらしい。
タツヤは、矢島と何回かメールのやり取りをした。自分の気持ちを分かろうとしてくれる人がいるだけで、うれしい。
その一方で、頭の中にあることを文字だけで伝えるのは、思ったより難しかった。頭の中には確かにあるのだが、上手く言葉にならない。できれば、直接会って話してみたい。そう、思い始めていたとき、矢島から「一度、会って話をしよう」という提案があった。
矢島が指定したカフェで待ち合わせることにした。
「菊池さん、どうも、矢島です」
「初めまして。菊池です」
「どう、緊張してる?」
「はい、すごく緊張しています」
「そりゃぁ、そうだよね。ボクも心臓バクバクだよ。人見知りだからね。ハハハ」
何となく、場を和ませてくれようとしている気持ちが伝わってきた。菊池のホームページによれば42歳と書いてあったが、ホームページの写真よりも若く見える。
「メールありがとう。30分ぐらいしか時間が取れないんだ。早速、本題に入っていいかな」
「あっ、ハイ。ありがとうございます。お忙しいのにすみません」
「いや、こちらこそ急かしちゃってごめんね。で、改めてなんだけど、今、何に困っているの?」
「はい、メールでもお伝えした通りなのですが、ボク今、うつで休職しているんです。休職する2週間前ぐらいから会社に行きたくなくなっちゃって、それでもがんばっていっていたんですが、ちょっと限界かなぁって感じ始めて、病院に行ったらうつと診断されちゃって……」
「そうかぁ、うつと言われちゃったんだね。私の意見では、一言でうつと言ってもいろんなタイプの人がいると思っています。本当にうつの人もいるかもしれないけれど、中には、本当はうつまでいっていないのに、うつと言われることで、本当にうつになってしまう方もいるんじゃないかと思っています。権威のある医者から言われる言葉は重い。ショックだったろう。辛かったね」
「はい、かなり落ち込みました。それから、薬を飲んでいるんですけど、全然よくなっている感じがしなくて……」
「私は仕事柄、うつを経験している人と出会うことがあるけど、多くの人はみな『うつはいい経験だった』と言っている。だから、菊池さんも近い将来、きっといい経験だったと言える日が必ず来るから、大丈夫。ところで、菊池さんをそこまで追い込むことになったのは、どうしてかな?」
「ボクは会社で中間管理職の仕事をしているのですが、とても孤独なんです。部下は自分の仕事はするけど、それ以上は自分で考えて動いてくれないし、上司は自分の保身ばかりで、大事なシーンになるといつも仕事を押し付けて逃げてしまいます。結局、忙しいのはいつもボクで……」
「なるほど、菊池さんばかりが一生懸命がんばっていたんだね」
「そうなんです。仕事は納期があるので、結局誰かがやらなければなりません。ボク一人が残業や休日出勤してフォローするような毎日でした」
「周りに仲間がいるのに、一人で頑張り続けなければならなかったんだね、大変だったね」
「しかも、そのせいでうつになっちゃって……もう、最悪です」
「なるほど、それでもリーダーの役割を果たそうと、今までがんばってきたんだね」
なんだか、ボクの気持ちが伝わったようで、うれしかった。この人なら、分かってくれる気がした。
「じゃあ、もし仮にだよ、明日の朝、目が覚めて、何でも願いがかなっているとしたら、菊池さんはどうなっていたらいいと思う?」
「う~ん、そうですね~。何でも願い叶うとしたら……今は何か、いろんなことで頭が一杯なので中途半端感があります。もっと集中してとことんと仕事がしたいです。」
「え?とことん仕事がしたい?今までも一生懸命がんばってきて、今のようになっているのに?」
「そういえば、そうですね」
「OK、じゃあ、もし、仮にだよ。菊池さんが部下や上司のように自己中心的になれて、途中で仕事を投げ出してもいいとしたら、どう思う?」
「う~ん、それじゃあ、何か無責任のような気がします」
「なるほど、無責任のような感じがするんだね……わかりました。ひょっとしたらね、菊池さんに起こっている問題は、確かに、部下や上司にも原因があるのかもしれない。だけど、他に根本的な原因があるような気がするなぁ」
「根本的な原因?それって、一体なんですか?」
「今の私には、明確に『これ!』っていうことを示せるわけではないんだけど”がんばる”みたいなことがキーワードになってくるかもしれない。そのヒントが分かる簡単な方法があるんだけど、やってみる?」
タツヤは「根本的な原因」という言葉に引っ掛かった。
そもそも、ここでの問題は部下が協力してくれないことや、上司が自分の事ばかり考えていて丸投げしてしまうことのはずだ。
それなのに、その原因ばオレにある?
そんなことは思ってもみないことだった。仮にそれが事実だとしても、そんなこと、認めたくない。
「でも、元々は部下や上司が悪いんだと思います。彼らが協力的になってくれればいいはずです」
「まぁ、確かにそうかもしれないね。じゃあ、ここでやめてもいいけど、どうする?」
どうする?と聞かれても、他に解決策があるわけではなかった。
「分かりました。やってみます」
(つづく)