「味の素」=「"化学"調味料」?―あらゆる思い込みを解き放て!
今日、朝食にソーセージを食べました。
「あれ?今日のソーセージはいつもと違ってうまい」
と思ったので奥さんに聞いてみたら
「お母さんが味の素をかけていたよ」とのこと。
たったひとふりで「うまい」と思わせるなんて……恐るべし、味の素。
で、奥さんと味の素談義に。奥さんはこう言いました。
「うちのお母さんは
『味の素は体に悪い』と言って絶対に食べなかった。
子供のころからそう聞いていたし
「化学」っていう言葉に、なんとなくそういうイメージを抱くよね。
だけど、最近は『うま味調味料』って言われているみたいだね。
何でも取りすぎるのはよくないと思うけど
『全部だめ』というものでもないと思う。
私はお母さんに刷り込まれているんだね。刷り込みって、怖いね。」
確かに、刷り込みって怖いね。
昔から、田舎で出されるお茶請けと言えば漬物です。
以前は、たっぷりの味の素がかかっていました。
「化学」という言葉の響きからか、うちでも一時期あまり使わなくなりました。
でも、最近では、ときどき味の素がかかっています。
味の素、少しかかっているとおいしい。
ちなみに、味の素が「化学調味料」と呼ばれた経緯は、メーカーのサイトに書かれていました。
「うま味調味料」や、「味の素®」が時々“化学調味料”と呼ばれるのはなぜですか?
前置きが少し長くなりました。
今日は、味の素のお話をしたいわけではありません。
「刷り込み」についてです。
味の素に限らず
「本当はそうとは言い切れないのに、いろんな情報に『刷り込まれている』」
ことって、結構あるんじゃないかなぁ。
それが、自分にとって役立っているならいいけど
あまり役に立たない思い込みだったり
何らかの制限になっていることもあるんじゃないかなぁ。
それはもったいないことだと、僕は思います。
たとえば……
「仕事」=「楽しくないものだ」「苦しいものだ」「我慢が必要だ」
「お金」=「苦労をしないともらえない」
「安定」=「大企業や役所に勤めること」
「自分」=「自分には何の魅力もない」
「協調」=「周りの意見に従うこと」
そういう一面もあるかもしれないけれど、そうとも言い切れません。
「仕事」=「楽しい」
「お金」=「他の人を幸せにすると手に入る」
「安定」=「誰かや何かに依存せず、自分で考え決める習慣」
「自分」=「結構いけてる」
「協調」=「自分も正しい、相手も正しい」
そう思っている人も、たくさんいます。
こんな一面があることに少しでも気がつくことができたら、可能性が広がりそう。
あなたが
「○○」=「○○」
だと思っていることは何ですか?
それは、本当にそうなのですか?
本当は
「○○」≒「○○」
「○○」≠「○○」
ではありませんか?
それは、誰かや何かから「刷り込まれた情報」ではありませんか?
少し時間があったら、「これは、本当にそうなのか」を考えてみてください。
いろんな思い込みや制限から、解放されるかもしれません。
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